獄中記を読む『死と生きる』は、正確には獄中記と言えないかもしれない。これは池田晶子と東京拘置所で死刑判決が下りるのを待っている殺人犯睦田真志との往復書簡だ。きっかけは、池田が書いた文章を読んだ睦田が出版社宛てに書いた長い手紙だった。それを読んだ池田が往復書簡を提案して実現した。 二人をつなぐキーワードは、「ただ生きることではなく善く生きることだ」と言ったソクラテス。はじめの2通目、3通目あたりの手紙を読んだだけで、なんかすごい奴だということが分かった。極悪非道な殺人を犯した人が、なぜ27歳にしてこんな文章が書けてしまうのか。はっきりいって驚いた。 哲学おんちの私には、あれがあれなんだよな、という文章を読んでいるかのような理解の程度だったが、あらためてソクラテスを読んでみてもいいなという気になった。二人のやりとりには、そんな引力がある。 プラトンは、永年にわたりソクラテスが討論してきた過去を振り返って、対話形式で本を書いた。しかしこの二人は現在進行形で、しかも往復書簡という形式で書いている。無謀とも思えるこの試みがある程度成功したのは、池田の力量に負うところが大きいと思う。実質的に彼女が編集もこなしたに違いない。そしてこの本は、出版社ゆえに実現できた企画だ。個人のホームページではむつかしい。 東京拘置所では、週に3冊だけ本が買えるそうだ。これではかなり厳選しないとならないのだが、彼には池田という専任のアドバイザーがついている。プラトンは『パイドロス』がいいですよ、などと助言をしてくれ、上げ膳据膳で読書と執筆の日々を送れる。なんとうらやましい環境。しかも彼が書く手紙を添削し、励まし、方向づけてくれる。彼は幸せものだ。 死刑を覚悟したことにより、善く生きることに目覚め、後世に残る手紙を残そうとする睦田。そして産婆役に徹する池田。見事なコンビネーションだ。その結果生まれたこの本は、同じく刑務所で書かれた『我が闘争』を思い出させる。両者の成り立ちが違えば、人に与える影響も異なるだろう。後の世の人がこの本をどう読むのだろうかと、思わず想像してしまう私である。
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