教師の首をしめたくなるとき



 森絵都の『永遠の出口』を読んだ。「児童文学の枠を超えて綴られた初の作品」と著者略歴に書いてある。しかし読んでみると、児童文学そのものだ。

 これまで読んだ作品は中学生が主役だったのに、今回は小学生からスタートして高校卒業までの成長を追っている。全体としては、新しい領域にチャレンジして失敗したというのが感想だ。だからといって駄作というわけではない。第2章「黒い魔法とコッペパン」は私の記憶を猛烈に呼び起こし、今これを書かせている。

 岸本紀子は、小学生5年のときにとんでもない担任に当たってしまう。それは彼女が、その先生のことを黒魔女と呼ぶほどのとんでもなさだった。

 しかしその圧政ぶりを読んでも、まったくリアルさが感じられない。これじゃ3年生じゃないか。自分が5年生のときを考えたら、級友たちがこんなにおとなしくやられているわけがない。おそらく束になって反発しただろう。とはいっても私はそれを傍観しているだけなのだが。なにしろ11歳の誕生日を迎えるまで、彼女のクラスメートであるトリと同じように冬眠していたのだから。

 学級担任がクラス内で独裁者になってしまうという現実を描きたくて、無理に設定を小学校にしたようだ。トリと紀子の会話は、どうみても中学生のやり取りだ。他の章には、彼女らしさが発揮できているところもあるが、つまらない作品のほうが多い。

 森絵都の真髄は、中学生のことばのキャッチボールにある。そこにこだわったほうがいい作品が書けるような気がする。もう一度、原点に帰ろう。
(2003-07-27)