縄紋クッキーの秘密



 むかしから考古学がよく分からなかった。どんどん新しい遺跡が発掘されるし、それを自分の歴史マップにどのように位置づけていいか困ってしまう。それでも日本人の起源や稲作のルーツなどには関心があった。つきなみだが自分の祖先たちのルーツや暮らしを知りたいという欲求があるのだ。

 『発掘を科学する』を読むと、考古学と自然科学の合体のようすが見えてくる。ウマの脳みそを皮なめしに使ったこと、石器に付着した油の分析で宮城県にナウマンゾウがいたと分かること、木の年輪から伐採した年が分かること、地震が時代の目盛りになることなど、読むだけでわくわくしてくる。

 佐原真は、テレビにもよく登場する考古学の世界の有名人だ。研究者としては、すでに現役を退いているのだろう。でも後進を育てるという意味では、かなり重要な役割を果たしていると感じる。その成果のひとつがこの本であると思う。

 佐原氏は、疑うことの効用をとく。
 信じるものは幸いなり。信じてしまえばそれでそのことについての探求は、確かに止まってしまいます。既成の考えを、定説であれ、偉大な先生の学説であれ、ともかく疑ってみる。それでこそ、学問は前進するのです。だからわたしは、考古学の分野ではもちろんのこと、自然科学の分野に関しても、疑いの精神を忘れないようにしようと思います。
 最後に考古学の現状について述べる。
いま、考古学は本来のまともな研究方法にしたがってすすんではいないという現状です。ある学問的疑問ないしは課題を持って発掘調査を行うという「学術調査」は、まれにしかおこなわれません。開発の大波のまえに、縄紋遺跡を掘ったらつぎは古墳、つぎは岩宿時代の遺跡、そのあとは中世の城館というように、自分の専門は問わず、つぎつぎにともかく掘る、掘った成果をよその調査結果と比較検討する十分な余裕もない、というのが現状です。
 遺跡の発掘は、外科手術のようなもの。いったん掘ってしまえば、発掘前の状態を再現することはできない。そうであるなら現場監督が証拠写真を撮るように、発掘作業の一部始終をビデオに記録し、掘り出すさいには多数の証人を用意する必要がある。そうすればねつ造したくてもできないのではないか。最近の事件は、そういう課題を私たちに示しているように思う。
  • 発掘を科学する 田中琢(みがく)、佐原真編 岩波書店 1994 岩波新書355 NDC210.2
(2000-11-10)
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