風太郎の眼



 「SHINOBI」(2005)は、仲間由紀恵とオダギリジョーの忍者版ロミオとジュリエットだ。山田風太郎の『甲賀忍法帖』を大胆にアレンジしたもので、けっして悪くはないのだがつまらない。技術の進歩で、むかしの映画よりもはるかに忍法らしい映像になっているのだが。きっと企画が悪いのだろう。その結果、つまらない脚本ができあがる。

 『くノ一忍法帖』を橋本治がキャスティングすると、伊賀忍者七斗捨兵衛にジョン・マルコビッチ、くノ一お眉にシャロン・ストーン、千姫にジョディー・フォスター、家康にアンソニー・クインとなる。

 もっとも、この配役は12年前のもの。今なら、誰だろう。超一流で素っ裸になれる役者をそろえないと、映画化はむつかしい。とうぜんR指定だろうし。「スパイダーマン」みたいにお金をかけないと、ろくな映画にならない。それが風太郎の忍法帖シリーズなんだと思う。

 晩年には小説以外の本も書いていたけど、多忙な時期にはあまりエッセイを書いてない。『風眼抄』が初のエッセイ集のようだ。

 マニアではないので、はじめて知ることばかり。もともと推理小説を書いていて、江戸川乱歩とも交流があった。いわば弟子筋にあたる。若いころ「先生は眼高手低ですな」と言っても、むっとした顔をされなかったとか、「江戸川乱費」といわれるほど金使いが荒かったとか書いている。

 マージャンもそうとうお好きなようで、「麻雀血涙帳」では歌を詠んでいる。「廃県置藩説」とか「日本駄作全集のすすめ」など、私好みのタイトルもある。

 作家として他人の作品をどう見ているかも気になる。吉川文学や漱石の評価が高い。なかでも『丹下左善』を、一世風靡した初の悪漢小説とたたえている。
この丹下左善の林不忘にかぎらず、その前後に出た久生十蘭、或いは同じころ全盛を極めた雑誌「新青年」などを思うと、昭和十年前後というのは奇妙な時代であったといわざるを得ない。一方で、同時に、支那事変や太平洋戦争でいっせいに湧き出したあの野蛮人たちを内包していた時代だからである。(p198)
 「自分用の年表」という実用的な文章もある。西暦で統一して東西を比較するなんてことは、だれでも思いつく。たとえば、ワシントンと蕪村が同時代の人だとか。

 年表に生年を書き込むと、八代将軍吉宗がお庭番制度を作った年に、尾形光琳が死んで、蕪村が生まれたとわかる。もうひとひねりすれば、桜田門の変が起こった年に、遣米使節団がニューヨークをパレードし、その中に「風と共に去りぬ」のレッド・バトラーを登場させたりできる。

 こんな年表を作っていると、いろいろ面白いことを発見して、小説製造を忘れてしまうこともたびたびだったとか。

 賞をもらうようなエッセイ集ではないのだが、つい時間を忘れて読みふけってしまった。
  • 風眼抄 山田風太郎 六興出版 1979 NDC914.6

(2006-10-23)