知りたくないの



 藤原帰一『戦争を記憶する』では、広島の平和記念資料館とワシントンのホロコースト博物館を対比させている。どちらも、戦争の被害について被害者の視点から語り伝えている。
広島の被爆体験や、ユダヤ系住民の虐殺体験は、この「記憶」と「伝授」を通じて、その暴力を直接には経験していない人々も含めて共有される、集団的疑似体験に変わってゆく。「記憶」を、広島にもアウシュヴィッツにもいなかった人々に伝えるとき、「語り伝える」という行為を通して、ある世界観が後の世代に伝えられる。その伝授を通じて「記憶する人々」が後代に残されるのである。(p28)
 今から10年前、スミソニアン協会は日本に原爆を投下した爆撃機エノラ・ゲイ号の展示を企画していた。ところが退役軍人団体などの反対により、展示の縮小を余儀なくされた。「同じエノラ・ゲイ号が、アメリカ人にとっては戦勝のシンボルであり、日本人に取っては反戦の出発点なのである」。

 なぜアメリカは負ける直前の日本に原爆を落としたのか。いくつかの考え方がある。その中で多くのアメリカ人が信じているのは、コスト説だろう。つまり、原爆投下により日本の敗戦が早まり、その結果アメリカ人の死傷者の数が減った、という考え方だ。

 あえて反論はしない。その説を認めてもいい。しかし、展示を企画した協会に対してのバッシングは行き過ぎではないのか。とくに原爆の熱で変形した弁当箱の展示への反発が強かったようである。

 そういう爆弾を落とせばこうなりますよ、という事実を知りたくないというのだ。これは政治ではなく、科学の問題だというのに。原爆の人体への影響を知らずに、何を語ろうというのか。アメリカ人は、知ることを拒否してしまった。
  • 戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在 藤原帰一 講談社 2001 講談社現代新書1540 NDC319.8 \714
(2004-05-13)