毒舌は気持ちいい



 小説には、どういうわけか純文学とエンターテイメントの区別がある。その純文学をやり玉にあげているのが『夢見る頃を過ぎても』である。
自分の金で、自分の目で本屋で選んだ本をあくまで、一読者としてのスタンスで、面白いか面白くないかだけで判断するだけの読書人でありつづけます。
という中島梓は、現代の作家について次のように語る。
(村上春樹の)インポ的能天気ワールドと(村上龍の)男尊女卑の右翼ワールドのどっちを好むかはその女の資質によるんだろうが、(中略)それに対応しうる唯一の女性作家は吉本ばななであるわけなのだから、確かに世界の行く末は暗い。
日本の小説はへた、おもしろくないとさんざんけなした後で、作家に問う。
自分の小説をあなたは読んで、「この世で一番面白い。誰がなんといっても、わかからない奴にはわからないけれども一番面白い」と力強く感じることができるのだろうか?
 それなら私も問いたい。この問いを受けてあちこちの作家に聞いて歩いた文芸雑誌の編集者はいるのだろうか。そして回答特集を組んだ雑誌はあるのだろうか。

 「少女たちの見る夢は」の章に出てくる名前を見ると、ほとんど知らない作家ばかりだ。でも氷室冴子のマンガ批評はすばらしいし、新井素子のような子がもし自分の後輩であれば子分にしてしまったかもしれない。

 『コミュニケーション不全症候群』を東大のゼミでテキストとして使った先生がいる。ところが学生たちにはとても反感を持たれたという。二十歳そこそこの人間がそんなに鈍感だなんて、ちょっと信じられない。

 彼女の本を読むと、まるでマンガや文学に強い同級生からうんちく話を聞いているようで心地いい。そして小説よりもマンガのほうが好きな私には、『マンガ青春記』が楽しく読めるのだ。
  • 夢見る頃を過ぎても 中島梓の文芸時評 中島梓 ベネッセ 1995 NDC910.26
     「海燕」の連載(94/5-95/4)をまとめたもの

  • マンガ青春記 中島梓 集英社 1986 NDC914.6
     マンガに熱中した少女時代の自伝で、小・中・高までがおもしろい。
(2000-10-13)
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