さまよいの記 Vol.3 

99.5.1
 今日も仕事。ほとんどやる気なし。それでもGW明けのために仕事を3本平行してこなす。おかげで途中女子社員に頼んだ仕事の内容を勘違いするありさま。だから言ったじゃない。そんなに利口な頭をしてないんだから。夕刻より飲み会。さしたる面白味もなかった。帰宅後コンビニに行くもどうも関節が痛い。特に腰が異常に痛い。パソコンの前に座れないほどだった。執筆したくても出来ない状況のため、そのまま就寝。

99.5.2
 久しぶりに散歩をしようと思い、昔よく遊びにいった公園まで歩く。ずいぶんと変わってしまって唖然とする。いつも子供の頃に登っていた小高い丘はなんと古墳だったらしく、立ち入り禁止となっていた。しばらく物思いに耽る。そのあとブラブラと公園を一回りしたあと、少し遠まわりのルートで散歩を続ける。そして中学の時に世話になった私塾の場所まで歩く。今回小説を書くにあたっての(珍しい)取材のため。やっぱり変わっていた。その私塾のあった場所を煙草をくわえてしばらく眺めていると、近所のおばちゃんが怪訝そうな顔でこちらを窺っていた。不審人物と思われたくないので、自販機でコーヒーを買ってまたぶらつく。
 歩けばそれほど遠い場所じゃないのだけれど、ここ五年いっていなかった。あらためて行くその場所には間違いなく郷愁があった。

 川沿いに出て、家に戻ろうとしたけど、勿体ない思いにかられ、そのまま土手に座って煙草をふかした。

 執筆なし。

99.5.3
 珍しく早く起きて、近所をぶらついていると近所の知り合いに沢山あう。その度に声をかけられ、雑談をする。昼過ぎに大阪へ行っている友人が遊びに来てくれる。そのまま路上で雑談。これからもう大阪に戻るとのこと。夏には大阪に行く約束をして見送る。所用があり、出掛ける。
 夜、友人と会う約束をしていたのに一向に連絡が来ない。なんだかしらけてしまい、ごろごろしていると連絡があった。夜十時過ぎから会う。

 何度も同じことを繰り返すのは、人間しかたのないことかもしれない。同じ悩み、失敗を繰り返し、人間は一つづつ学習し、次こそは、次こそはと成長していく。けれど、そういう人間もいれば全く進歩のないやつもいる。解決できることをいつまでもそのまわりを回っているだけ。
 そういう人は結局周りに甘えているだけなのだ。友人や知人。運命なんて陳腐な言葉、環境にすがっているだけだ。
 この身に起こるすべての出来事、悩み、不幸の原因はすべて自分にある。わかっている。多分そう言う。でもそれでも何も解決されないのはわかっていない証拠だ。出来ないのではない。やらないだけなのだ。人間には解決できる力がある。すべてを開かせる力を持っているのだ。
 その場所を、環境を、人間関係を、変えゆくのは自身である。自分にしか出来ないのである。
 と今日反省した。

 執筆枚数2枚
99.5.4
 朝から雨。昼から用事があり、出掛ける。
 夕刻がっかりすることあり。

 他人の親切が重荷になる瞬間がある。いや期間といったほうが正しいかもしれない。僕にはそういうのがしょっちゅうある。いかんなあと思いつつも、適当にあしらったり、不機嫌な口調で応対してしまう。実に恥ずかしい行動だ。
 ここ数週間、僕はそういう状態だった。何もかもが面倒臭く、親切が偽善に思えた。だから一人で勝手にイライラしていた。けれどGW中に会った大阪の友人、近所のおっさんに会い、話すことによって自然に解消された。

 なんとはなしにいい気分になっている。そんな気まぐれから掲示板を復活させた。ま、期間限定だけれど。なんだかんだ言ってすぐに言ったことを守らない悪いクセだな。

 執筆枚数五枚

99.5.5
 今日は昼ごろまでのんびりとした後、母の買い物に付き合う。
 暖かい(というより暑い)、のんびりとした日であった。GWも今日で終わり。明日からまた面倒な仕事だ。

 無名であろうが有名であろうが、一人の人間を抹殺するのは簡単なことだ。話題に出さなければいいのだから。
 文壇から抹殺された人間は多い。才能があろうがなかろうがその数ははかりしれないだろう。
 島田清次郎という大正の作家がいる。処女作「地上」はベストセラーになり、一気に文壇の寵児となった有名な作家だ。新潮社は彼なくして今の地位を築けなかったほどだ。しかし、その言動や行動に眉をひそめるものも多く、文藝春秋(当時の編集長は菊池寛)はゴシップで徹底的に攻撃。非難中傷、デマの限りをつくした。その理由は彼の才能を妬むというのが大半の理由であった。そして島田はその波と自信過剰ともいえる行動が仇となり、抹殺されてしまう。今どこを探しても島田の名前は存在しない。けれど彼の作品は残っている。
 どんなに抹殺しようが(肉体であれ、社会的であれ)、その人の作品、魂は消えようがない。永久普遍に残っていくのだ。

 TBSで特番があった。内容自体は非常に興味があったけれど、司会者が良くない。いささか興醒めした。巨人はまた負けた。Jリーグじゃ横浜は負けた。あんなに良い試合したあとに負けるなよな。

執筆枚数六枚

99.5.8
 土曜日だけれど連休明けなので会社はある。今日も残業やるせナイト。

 夜NHKのBS2で小堺一機氏が司会の映画の番組がやっていたけれど、これが実に面白かった。スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」の講釈を森本レオ氏がしていたのだが、いや実に興味深い話だった。結局は「この映画は何を言いたかったのか」を話していたのだけれど、僕はオツムがぬるいから「へえ、そんな意味があったのか」と感心した。
 森本氏の解釈が全てではないだろうけど、僕はこの番組ですっきりとした(何が?)。
 やっぱりNHKはいい番組を作るな。

99.5.9
 日曜日なのに出勤。仕事はてんではかどらず、焦るばかり。夜十一時帰宅。

 僕は勢いと情熱だけで小説を書くタイプだけれど、文章の確かな小説、文章で読ませる小説を書ける人がウラヤマシイ。良い文章というのは淀みがなく、流れるように、歌うかのように綴られている。そしてそれは自己完結ではないものだと勝手に解釈している。
 ネットで小説を書く人は多い(多分ネット以外だとすればもっと多い)。そのなかでこういう素質がある人がいる。僕はもうウラヤマシイし、どこがどう違うのかなんて小学生並みのレベルですねている。ここ最近では昆布ぱんさんという方の文章はいいなあと思う。この方の小説は実にいい。何度読んでもしっかりとした文章で、再読に堪える。きっと誰よりも多く本を読み、きちんと体に吸収されているのだろうなと思う。そう僕が言ったところで、昆布パンさんが何も得はしないんだけれど。

99.5.11
 「深夜特急」全巻(全六巻)読了。第五巻は死ぬほど怠かったけれど、面白かった。僕としては一巻と六巻がオススメである。夜親戚の結婚式の会場まで道がわからないから新しいロードマップを買う。

 NATOの中国大使館誤爆で、中国では空爆停止を求めるそうだ。実際自分たちの身に振りかからないとわからないのかもしれないな、人間というのは。
 文豪ヴィクトル・ユゴーは「九十三年」という小説にこういう場面が出てくる。
 亭主が戦闘に巻き込まれ、殺された。軍曹が女に聞く。
「殺ったのは共和派(あお)か? それとも王党(しろ)か?」
「鉄砲玉にやられたんです」
 全くもって戦争というのはこのとおりだ。殺される側に区別はないのだ。この小説の話は事実ではない。真実だ。

99.5.15
 ネットでの文芸賞落選。がっくり。ま、感想が一つあったのが何よりも嬉しかった。入賞はしなかったけれど、感想を貰った作品は僕だけだ(今の所)。「賞よりも読者に愛されることが一番」とかの山本周五郎氏も芥川賞辞退のさいに言っていた。負け惜しみにそう思っておこう。

99.5.16
 従兄の結婚式に出席のため、府中に向かう。前日じっくりと地図を見たけど、やっぱり王道の府中街道にした。家族で久しぶりに写真を撮った。従兄に会うのも何年ぶりか。
 帰りは雨に降られるし、渋滞に会うしでヒドイ目にあったけれど、何はともあれめでたい日であった。

99.5.18
 実に馬鹿げた話(笑い話じゃない)を聞いてあきれ返る。そんな論理がまかりとおっていいのかなと馬鹿馬鹿しくなる。
 どうにも空回りをしているなと思う時がある。それは自分に甘えている証拠なんだろう。何かをするために何かを欲しがったり、斜に構えるのは改めないといけないな。自分が為したいことを全うさせるには、自身が決意をしなくちゃいけないんだ。
 時間がないだの、まずはこれができたらなんて思っていたら、一生が無駄にすぎちまう。
 そう言うときにこそ、はじめないといけないな。

 夜Kさん宅へ深夜お邪魔をする。うなだれるのみ。

99.5.19
 Iさんと夜に会う。懇談。自分は何もしていないような言い方にカチンと来たが、本当のことなので何も言い返せない。真剣にやっている。そうだ、僕は真剣に生きている。けれどそれはつもりだったのかもしれない。否つもりだった。それでも今までを否定されては叶わない。
 僕は勘違いをされることが多いんだな。

99.5.21
 自分の生き方をこれほど恥ずかしいと感じた日はなかった。不真面目に生きてきたわけじゃないけれど、それでも僕は真面目じゃなかった。我が身の恥ずかしさに泣けてきた。

99.5.22
 昼ごろより会社へ。残した仕事を片付けに行く。職場には三人ほどいた。
 夜七時頃会社を出て、本屋に顔を出す。ちょろちょろと見回すがこれといって欲しい本なし。帰宅後友人のW君と会い、話す。軽くて小説専用のエディタってないものだろうかと話したら、なんとW君、「じゃあ浅井君専用のエディタを作ってあげるよ」と申し出てくれた。あまりに嬉しい話で、はしゃいでしまう。そのほかコンピューターの話を色々聞く。
 T君より電話。雑談。

 友人というものはなんと素晴らしい存在であるか。金よりも、名誉よりも、良い友人がいるということのほうが財産だ。

99.5.23
体調が悪い。昼過ぎまでぐったりとしていた。そんな状態だから自然人の声がうっとおしく感じる。Kさんからの電話でひどくウンザリする。
 いいかげんに生きている人間だけれど、自分でやりたいことは多い。あくまで自分のペースでやりたいのだけれど、それを通すことが出来ない状況に、すごくイライラしてしまう。
 たのむ、しばらくほっておいてくれ。

99.5.24
 過密スケジュールの仕事も今日で一区切り。体調は依然悪い。体が怠い。また思いと体がバラバラのようだ。ひきさかれるほど痛い。

 深夜特急の中で沢木耕太郎は「もしかしたら人生は旅というのは案外あたっているのかもしれない」と思う箇所があり、それをなんの脈絡もなく思い出す。沢木氏自身も人生は旅だなんて陳腐だと思っていたが、あの長い旅を続け、終点に近づいた時にそう思う。確かにそうだろうな。ああいった旅をすれば誰だってそう思うだろう。僕らが旅と称するものは旅行だろうな。そんなものだったら多分人生は旅だなんて思いもしないだろう。
 浅井にとって人生ってなんじゃと聞かれたら、僕はなんと答えるのだろう。間違っても旅とは答えないだろうな。うーん、人生とはなんぞや?

99.5.25
 のんびりとした一日を過ごそうとしたら次の仕事が決まっていた。ありがとう、おかげでたくさん残業して、お金が稼げます。かなりきつい仕事だと前評判だったのが僕にきた。ありがとう、おかげで体調はもっと悪くなるでしょう。
 どうりで愛想良く上司が話しかけてくると思ったよ。

 夜NさんとKさんと会う。色々なことを話す。おかげで心がほんの少しだけ軽くなるのを感じた。
 帰宅後、HPのTOPを変えようと考えていた案を作りはじめるも、うまくいかないで断念。意欲のあるうちにと思い、久しぶりに原稿(キーボード)に向かう。
 執筆枚数五枚。おかげで頭がふやける。

99.5.27
 仕事もやる気がなくなったので定時で帰宅。自宅でテレビを眺めていると友人のNクンから電話。
Nクンは1年半ほど前まで近所に住んでいて、知り合った。今は地元の熊本に戻っていたけれど、出張でこちらに来たからと食事に誘ってくれた。
 実に1年半ぶりの再会。ここのところ空回りしていた僕に勇気と気力を与えてくれた。長く話していたかったけれど、用事があって二時間ほどしか話せなかった。
 嬉しかったなあ。メールアドレスを教え、今後連絡を取りあうことを誓った。

99.5.28
 やる気が出る。相変わらず空回りだけど、少しづつ地道に努力したもの勝ちだ。やいのやいの騒いだところでしょうがない。なにがなんでも今年はいい小説を書くぞ!

99.5.29
 兄と夕刻パソコンショップへ。中古のパソコンに異常に興味を覚えた。いいなあ、欲しいよなあ。行き帰り兄と様々な事を話す。
 YクンへTEL。久しぶり。明日会う約束を取る。
 初めての人より拙HPに来てくれ、作品を読んだ感想をメールして頂いた。
 僕自身これほど嬉しいことはない。作品を読んで頂けること自体、ありがたいことなのに、あまつさえ感想まで頂けるのは喜びである。誉めていただくも、辛口であろうともそれは僕の糧であり、財産となる。深く感謝。

99.5.30
 Yくんと昼より会う。クルマを新しくしたからホイールを換えたいというのでそれに付き合うことにする。近所を見たけれどいいのがないのでどうしようかと思案をすると晴海に大きなショップがあるから行ってみないかというのでそれに乗る。首都高に乗ってドライブ。新しいクルマにひたすら感心する。東京というのは僕には近くて遠い街だ。本当はすぐそこなんだけれど、道がてんでわからないし、昔仕事でヒドイ目にあっているので好きじゃない。住んでいる人には大変に申し訳ないけれど、僕は住みたいとは思わないな。田舎な横浜万歳。
 結局晴海でもなく、横浜に戻る。一日中クルマに乗っていたけれど、やっぱりクルマは面白い。助手席に乗っているだけでもウキウキする。

 帰宅後小説を執筆。執筆枚数3枚

99.5.31
 プライベートで久しぶり(かな?)にキレる。目上の人だったけれど、カチンときた瞬間に喧嘩を売っていた。まさに電光石火。
 向こうも百戦錬磨の人で、まさしく正論を吐く人なのだが、それがどうしてそういう行動になるのかが納得出来ず、説明をしてほしいと詰め寄った。近所のおばちゃんがいるのに、である。
 おばちゃんがびびっているのが見えたが、気にもしなかった。僕をなじるのも勝手だし、まさしくその通りだとグウの音もでない。しかし僕の大事な先輩にまでそれが及べば別だ。僕はその先輩についていくと決めている。その人が責められれば黙ってはいられない。たといその先輩がその人の言う通りだとしても、僕はそれに同調する気はさらさらない。どこまでもついていく。それが義だ。
 適当にはぐらかされ、終わったが、実に不愉快である。
 自分のペースで行くというのが甘いのかもしれない。しかし、悪く乱されるのは非常に不愉快だ。

 ひどくつまらないことで体力を使ってしまった。


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