2002年ホノルルマラソン  マラソン当日 −後編−

ハワイカイを周回する16-17mileは7分13秒(4:30/km) 良いペースをキープして、気持ち良く走れていた。
夜は完全に明け、朝の爽やかな雰囲気が漂っていた。ハワイカイの住人は、家の外にチェアーを並べて
応援している。時折、バナナやキャンディーを配っている人もいる。賑やかなホノルルマラソン(ロックを
演奏したり、ハワイアンを演奏したり)の応援風景とは、ちょっと異なり、何かほっとする場所でもある。
そしてここからはおり返しとなるので物理的にもゴールへどんどん近づいていく。

ハワイカイをぐるっと1周廻って(これが結構長いのだが)、ハイウェイに戻ると風は追い風に変わる。去年も
同じことを思ったのだが、向かい風の時はひどく強く感じていた風が、追い風に変わるとピタッと止んでしま
ったように感じる。その為、往路で受けた負債を取り返すほどの利益は得られない。また、身体で感じる風
がない分、暑く感じる。そんなこんなで、ペースは上がるどころかやや落ち気味。17-18mileは、7分22秒へ
と落ちた。A子さんとすれ違ったのはこの辺りだったかな? その後少ししてK枝ともすれ違った。こうなると
忙しくなってくる。続々とチームぴあのランナーが登場する。『バーン』というポーズを次から次へと出さなけ
ればならない。廻りのランナーの奇妙な視線を感じたので、1度無視してみた。ところが相手が悪かった。
チームぴあの走って応援隊だったのだ。彼らはリュックを背負って走り、チームぴあのメンバーを励まし、
サポートするのが役目だ。盛り上げるのも彼らの役目と言うわけで、彼は、私が応えるまで通りすぎても
『バーン』を繰り返していた。合計3回。これ以上は無視できないと思い、振りかえって応えた。

それでもこんなことをしていたら、疲れるのを忘れ、距離はどんどん進んでいた。18-19mileは2度目のアミノ
プロ摂取を行い、7分40秒(4:47/km)に落ちたが、30km地点を2時間18分21秒(4:36/kmペース)で通過した
後の、19-20mileは7分16秒(4:32/km)にペースアップ。このまま行けば、3時間15分は切れる。この頃、
前方200mくらいの位置に中継車らしきバンが見えた。この時は気付かなかったが、終わってから記録を照ら
し合わせてみたら、どうやらこの中継車は長谷川理恵カメラだったようだ。そのことに気付いていたら、もう
1段階ペースアップできたように思うのだが、気付かなかった。そしてこのあたりから徐々に前半のツケが
廻ってくる。

20mile(32km)地点を過ぎた辺りから、足に張りが出始めた。そんなにひどいものではなかったが、今までは
意識しなくても足が出ていたのに、出づらくなってきた。そして意識すればするほど、足に力が入り、疲労感
を感じてしまう。特にふくらはぎ。練習でふくらはぎが張り始めるのは、腰が落ちてきたとき!というのを思い
出して、上体から整えていく。上体を起こし腰をしっかりと入れてみると、短期的には回復するのだが、長続き
しない。20-21mileは、何も余計な作業はしていないのに(給水も走りながら摂ったのに)、7分45秒(4:50/km
)掛かった。こうなるとあとはなりふり構わず、気持ちでペースダウンを食い止めるしかない。残り8km。
ハイウェイは終盤の緩やかな上り坂に差し掛かっっていた。

とりあえず、ハイウェイを降りるまで頑張ろう!カハラの住宅街に入ったら何か良い事があるかもしれない。
さっき飲んだアミノが効いて来るかも。そう自分をだましすかして、何とかこれ以上のペースダウンを食い
止める。1mile8分(5:00/km)は絶対に越えてはいけない。その思いを強く持って、21-22mileを7分55秒(4:56
/km)でギリギリ、クリヤした。そしてコースはハイウェイを離れて、カハラの高級住宅街へ移った。ハイウェイ
から住宅街へ入るガソリンスタンドの横では毎年派手な応援が繰広げられる。今年も大音響でロックバンドが
生演奏。腹に響くようなドラムの音。それに大声援。『Looking good!』、『keep running!』、『You can do it!』
と言ったランナーを称える声援が飛び交う。この声援に触発され、残されていた力を搾り出した。22-23mileは、
7分44秒(4:50/km)。少し押し戻した。その後も歯を食いしばり、廻りのランナーに遅れをとらないよう食らえつい
ていくが、最後の難関、ダイヤモンドヘッドの登り坂を迎えた時に危機が訪れた。

それは去年も見まわれた危機。足の痙攣だ。今回はその危険を感じたので、ペースを極端に落とした。その
甲斐あってなんとか攣るという状態にまでは至っていない。今回は痙攣予防の為に塩を持って走ったのだが、
アミノプロを飲んだときに、落してしまったようでポケットの中に塩は見つからなかった。(30km地点で判明) 
そんなこともあってカハラに入ってからは、痙攣をずっと恐れていた。そしてその危機がついにやってきてしまった。
こうなったからには、もう仕方がない。ジョギングいやウォーキング並みにペースを落としてでも確実な坂越えを
試みる。攣りさえしなければ、残りの下り坂や平坦は走れる。我慢に我慢を重ねて、ゆっくりと慎重に足を運んだ。

この上り坂は大きく分けて2段階。最初のほうがキツく距離も長い。最初の坂では、歩いてしまおうかと思うほど
スピードダウンした。それでも何とか痙攣を免れ、今度は2段階めの坂へ立ち向かう。こちらは上ったり平らに
なったりを繰り返して進んでいく。斜度も緩く感じるので、多少ペースが上がった。最初の上り坂終了付近に、
24mileの標識があった。23-24mileはペースがガタ落ちして、8分51秒(5:31/km)。ついに5分/kmペースを
越えてしまった。それも大きく… このままでは、3時間20分を切るのも怪しくなってきた。

それでも2段目の坂に入って、時折現れる平坦部分でいくらか持ちなおし、24-25mileは、8分13秒(5:08/km)
まで回復した。と言っても身体の状態が良くなったわけではなく、コースが楽になっただけだが…
25mile地点はkmに直すと40km地点となる。残りは2kmちょっと。そしてここから先は、もう上り坂は無い。坂を
下って、カピオラニ公園に入れば、あとは平らな1kmに及ぶ花道を残すだけだ。
気持ちをもう1度奮い立たせて、坂を下る。ストライドを広げて一気に下りたいところだが、もうそんな筋力は残っ
ていなかった。それでも、下りだから足は勝手に動いてくれる。攣りそうな感じもなくなってきた。
このまま行けば、3時間20分を切れる可能性は残っているので、気持ちを切らずに踏ん張った。

坂を下り終えると、足の重さがダイレクトに伝わってきた。ここからは平坦な道のりが続く。自分の力でしっかり
と走らなければ前へは進まない。『あのカーブを曲がれば、公園の入り口だ!公園に入れば観衆の声援が
後押ししてくれる。まずはあのカーブまで頑張ろう!!』気持ちを奮い立たせて残された力を出し尽くした。

見えた!公園の入り口が… JALのエイドステーションもある。ゴールまでの花道だ!何度走っても、どんなに
疲れていてもこの直線だけは頑張れる。去年より30分、一昨年より1時間早く到着したせいか、少し観衆の数
は少ない気がするが、それでもゴールへ1歩1歩近づく度に、観衆の数は増え、声援は大きくなっていく。
チームぴあののぼりを持った応援隊にも声援を贈ってもらった。それに帽子を取って応えた。
『ゴールまであと少し』の垂れ幕をくぐると、フィニッシュゲートがはっきりと見えてきた。去年は星条旗を肩に
掛けてゴールし、ランナーズにその写真が掲載されたが、今年は何も考えていなかった。ゴール横の時計を
見ると3時間21分30秒を過ぎていた。スタートまでのロスタイムが3分弱あったので、3時間20分を切れる事は
確信した。あとは1秒でも速く! ひとつでも上の順位を!の思いを込めて、ラストスパート!!

ゴールの瞬間は自然にガッツポーズが出た。国内の大会ではあんまりしないのだが、自然に出てしまうという
のはやはり、大会の雰囲気だろうか?ゴールタイムは、3時間21分53秒。ネット計測では、3時間19分00秒と
なった。最後の2.195kmは、10分14秒(4:39/km)とかなり持ちなおした。

ゴール後、貝殻の首飾りを掛けてもらい、シャワーを浴びたら、すぐ近くで長谷川理恵さんがインタビューを受け
ていた。ゴールタイムで5分。ネットタイムで2分28秒かなわなかった。1度くらいは走っている背中を見たかった
んだが(TVに映るかも?なんて期待していた)、ゴール後に見ることになるとは…
その後、テントまで歩いて行こうとしたら、チームぴあのスタッフがのぼりを持ったまま案内してくれることになっ
た。途中で写真も撮ってもらった。チームぴあのテントに到着すると、サンタクロースの格好をしたお姉ちゃんの
お出迎え。クリスマス仕様に飾られたテントに赤い絨毯の花道が作られ、そこを歩いて入っていく。
ぴあのスタッフ、レースデーウォークに参加した方々に拍手で迎えられた。テント内を見渡すと、まだマラソン
参加者の姿は見えなかった。ひょっとして1番? テント内に案内され、預けた荷物を受け取り、ゴールした人
をチェックするボードの前に通された。ボードを見ると、まだリボンがひとつもついていない。『やったー!!
1番だー!!』と心の中で叫んだ。というよりもニヤッと笑ったというほうが正しいかな。
ぴあのスタッフから、『優勝ですよ。おめでとう御座います。賞品はキャデラックですよー(笑)』と声を掛けられた。

スタッフばかりで、ランナーがいないテントは妙な感じだった。テントサービスのトン汁を貰い、すすった。
廻りの視線を感じながら、トン汁を味わっていると、遠くから『ゴールしたばかりなのに、トン汁食べてるよ!』
というヒソヒソ声が聞こえたが、とにかくお腹が空いていたので気にせず、食べつづけた。
トン汁を食べ終えると、キャップがテントに現れた。テントには私以外に一人の男性ランナーが帰ってきただけで
女性ランナーはいなかった。キャップは女性で1番になったのだ。おででとう!の言葉を交し合った?

指圧マッサージコーナーを見てみると、それほど列ができていないことに気付いたので、マッサージを受ける事に
した。『マッサージで攣っちゃう事あるんだよー』というキャップの忠告を聞いていたが、そんなに足のダメージは、
大きくなかったように思えたので、大丈夫だろう!とこの時は、思っていた。自分の順番が十数分後に廻ってきた。
年配のおじさんがまずは、うつ伏せ状態でマッサージを行う。所々痛い箇所はあるが、イタ気持ち良いという感じ
で心地良かった。しかしマッサージの箇所が左足に移った瞬間、それは訪れた。ふくらはぎが攣ってしまったのだ。
手の平でふくらはぎを押した瞬間だった。やばい!と思った時は、もう取り返しのつかない状態になっていた。
『痛っー!』と声をあげたが、おじさんは、『easy! easy!』と話しながら、足の甲を直角に曲げ、攣った状態を
元に戻した。その後は、仰向け状態、座った状態でマッサージを受けて終了。攣った左足に痛みが多少残った
がかなり軽くなった気がした。

再びチームぴあのテントに戻り、お握りやサンドウィッチなどを食べてくつろいでいると、寛平リーダーが戻ってきた。
タイムは4時間8分とのこと。寛平リーダーが専用のVIPテントに入ると、突然スーちゃんが登場した。直前に腰を
痛めており、さらにかなり後ろからのスタートだったにもかかわらず、4時間ちょっとで完走。サブフォーまであと一息
だったらしい。惜しい! スーちゃんと合流して、暫らく話しをしていたら、スタートから4時間30分を経過していた。
K枝の目標タイムは、4時間30分。そろそろ戻ってきて良さそうなもんだが、まだ来ない。それから10分以上経過
して、『ちょっと遅いな、先に戻ってくるのはA子さんかな?』と思い始めたら、K枝が戻ってきた。今回は最初から
身体が重く感じ、ペースが思ったように上がらなかったと語っていた。しかしながら、前半のハーフを2時間20分52秒
で走って、4時間40分26秒でゴールしたということは、殆どイーブン(後半のほうが若干速い)という見事なペース
配分?だったようだ。その数分後A子さんも帰還。4時間50分台のゴールということで、ついに念願のサブファイブ
を達成した。スーちゃんは私達としばらく談笑し、妹さんのゴールを迎えるため、テントを離れた。ハワイには3月
まで滞在するらしく、次はグレートアロハランに出るのだそうだ。(羨ましい・・・)

    
 テントに戻ってきたK枝          テントに戻ってきたA子さん

これで4人ゴール。残りは母-叔母コンビ。5時間を過ぎた辺りで1度携帯に電話を入れてみた。声はかなり
元気だった。チームぴあのビリ襷を受け取ったが、足の方はまだ大丈夫。25キロ付近を走って(歩いて)いる
という。ペース的には、12:00/km弱くらいだろうか?このペースから予想すると、ゴールは8時間30分前後
になる。迎えにいくのはまだ早いので、もうしばらくテントでくつろぐことにした。テントサービスのフルーツを
食べたり、トン汁をお替わりしたりしていたら、寛平リーダーが登場して、戻ってきたランナーの出迎えに現れ
た。折角だから?ということで、タイミングを見計らい、一緒に写真に映って貰う事にした。
ビリ襷とは、チームぴあ参加メンバーの最後尾に位置するランナーが付ける襷。ちなみにゴールした時は
後に2人のランナーがいたのでビリ襷からは開放されたらしい。


寛平リーダーと記念撮影。

7時間を経過した頃だろうか?携帯に再度電話を入れた。その前の時とは声がだいぶ変わり、疲れているのが
伺えた。今どの辺りを歩いているのかも良く分からないらしい(マイル表示を覚えていない)。廻りの景色などを
聞き、そこから察するに、ハイウェイの終わりに差しかかっていたようだ。距離にすると35km付近。残り7kmと
なっていた。『もう惰性でただ歩いているだけ・・・』という状況で、疲労の真っ只中、かなり一杯一杯の状態が伺
えたので、迎えに行くことにした。『何か食べたい物は?』と聞くとお握りという返事が戻ってきたので、テント内
に用意されていたお握りを2個とミネラルウォーターを持って救出?に向かった。

カピオラニ公園を横切り、ダイヤモンドヘッドの坂を越え、3km以上戻って、カハラの住宅街に入った時、2人の
疲労困憊している姿が見えてきた。叔母の方はおにぎりを食べれるくらいの元気が残っていたが、母は、食べる
元気もないらしい。とりあえず水を渡し給水を促した。またエイドでは、頭から水を被るように指示。気持ちが何とか
前向きになるよう声を掛けるが、全く響いていないようだった。それでも必至に私の早歩きについてこようとして
いたので、12:00/kmペースはキープできているようだった。まあ二人にしてみれば、『タイムなんてどうでも良い、
一刻も早くゴールしたい』という気持ちだけだったと思う。その気持ちは良く分かる。初めてホノルルに出場した
ときは、半分くらいは走ったものの、最後の方は今の二人と変わらない状態だったから・・・

でも休んだり、歩くペースを落としたからと言って、決して楽にはならない。それよりも廻りのランナーを少しでも
抜いて行った方が気持ちが切れずに進める(自分よりもシンドイ人がいるんだって思えるから…) だから敢えて
早歩きをして二人を引っ張った。その甲斐あってか、猫背だった姿勢が少し前向きになってきた感じがした。
廻りの人を次々に追い抜いていく。苦しい最後の上り坂も越え、あとは下り。この下り坂が、疲労している足には
堪えたようで、膝をガクガクさせながら下っていった。フルマラソンを歩いて完走なんて最初から無茶な計画だと
は思っていた。でも、『やる!』と言ってるものを止める理由はなかった。母は3年前に脳梗塞で1度倒れている。
幸いにも麻痺などの後遺症は殆どなかったが、あの時のことを思えば、今、こうして42.195kmという距離に
挑戦するなんてことは夢のようだ。だから応援してきた。持っている知識は色々授けた。

コースは最後の直線、カピオラニ公園の入り口に差しかかっていた。『残り1km、ここからが1番気持ちの良い所
だから頑張っておいで!』と二人を送り出す。K枝、キャップ、A子さんも迎えに来てくれた。二人の腰に巻いていた
ポーチを預かり、身軽な状態にして二人を花道へと送り出した。『それにしても、このポーチ重いな!』どうやら、
持っていったほうが良いとアドバイスしたものを全て持っていったのだが、殆ど食べずに残していた為、ゴール
間近になっても、ポーチはスタート時と殆ど変わらぬ重量を維持していたようだ。折角授けた知識もあまり役には
立たなかったようだ。

ゴールへと続く花道に入ると、廻りからの歓声に刺激されたのか、ペースが上がった。コース外を歩いている
私達がついていくのが、やっと!という状態にまでペースアップしていた。チームぴあの応援隊前を歩きぬけ、
二人揃ってゴールラインを踏んだ。何のポーズも無かったが、やり遂げたという満足感は伝わってきた。
完走タイムは二人揃って、8時間24分18秒。 ピッタリ12:00/kmペース。いやいやお疲れ様でした。二人とも
力は全て出しきったようで、テントまで歩くのもままならず・・・と言った感じでノロリノロリとテントへ向かう。
(もう殆ど、お年寄りの散歩状態)

テント前には残り少なくなったランナーをスタッフが暖かく待っていてくれた。テントに入ってからは、それはもう
大騒ぎだった。まず座る事が出来ない。座ってもそのまま動く事が出来ない。と言うわけで、フィニッシャーズ
Tシャツの受け取りや食料の調達など、身の回りの世話をみんなで行った。でも1度は自分たちも経験してる
辛さだから、自然と身体が動く。何かしてあげたいという気持ちなる。やり遂げた者にしか分からないんだよね。
この苦しみや、感動は・・・

 
 テントに戻ってきた母-叔母コンビ
 迎えてくれたサンタのお姉ちゃん

テントで暫らく(1時間くらい?)休憩したら今度はホテルまで戻らなくてはならない。普通の状態なら15分〜20分
あればホテルに辿りつくが、あの二人の状態ではとても無理。というわけで公園付近に停車していたタクシーに
乗ってホテルに戻ることにした。タクシーの運ちゃんが、『マラソン?』と聞くので『イエス』と答えたら、『グレイト!』
と誉めてくれた。ホテルには5分程で到着。このあと午後7時から完走パーティーがあるので、それまで休憩。
ホテルロビーでの集合を約束して一旦部屋に戻った。部屋に戻ってからは、シャワーを浴びて一眠り。朝1時に起
きた事もあり、ベッドの上に寝転がるとあっという間に意識がなくなった。

完走パーティーへ行く為に、私とK枝、母と叔母は、18:40にロビーに集合した。当然、移動手段はタクシー。『あの
二人を歩かせるわけにはいかんでしょ』と言うわけで、フロントでタクシーを呼んでもらった。そして現れたタクシー
は何と、リムジン!! 『ラッキー!これは完走した御褒美かな?』と喜び勇んでリムジンに乗りこむ。以前も一度
ハナウマ湾までリムジンで行ったが、やっぱり気持ち良いね-!ホテルからパーティー会場まで僅か5分程度だっ
たがちょっとリッチな気分を味わった。チャーターした訳ではないので、料金は普通のタクシーと同じだった。

パーティー会場がオープンするまで、暫らく待って会場入り。結団式は後ろの方の席だったが、今度はステージの
真ん前。またしてもラッキー。ディナーはブッフェ形式だったので好きなものを皿に盛り、ビールを頼んで、目いっぱい
食べた。飲んだ。考えてみれば、朝食を3時前に食べ終えてから、テントでお握り、サンドウィッチなど摘んだのを
除けば、殆ど口にモノを運んでいない。お腹は空腹の絶頂だった。大方食べ終えて一息つくと、完走パーティーが
始まった。

足を引きづった司会のおぐらさん登場、続いて寛平ちゃんも登場。バッファローゴローも痛々しい足を無理矢理
動かしてステージに上がった。吉本興業会長の『For you』という洒落た乾杯の音頭で宴はスタート。そして待ちに
待った?表彰式が始まった。実はこの時、私は緊張していた。これだけの人がいる前で、ステージに上がりインタ
ビューとかされると思ったら緊張してきた。3位、2位の男女が呼ばれ、次は優勝者。すなわち私とキャップの番だ!
ランニングでの表彰なんて、強いチームに入れてもらった河原駅伝を除けば初めて。ゴルフコンペでは何度か優勝
しているが規模がちと違う。それに、初めてこのチームぴあに参加した時、ステージに立っていた優勝者は、自分に
とっては間違い無く、『超人!』というような存在だった。『いつかあの舞台へ上がってみたいなー!』 みんなが
見ている前で表彰されたらどんなに気分が良いだろーな!そんな風に見つめていたステージに今、自分が立とう
としている。緊張し無い方がおかしいくらいだ。

そして自分の名前が呼ばれた。次にキャップの名前が… 廻りの席から『同じテーブルだよ!』という囁き声が聞こ
えた。良い気分だった。ステージに上がると3位の人から順に賞品を授与され、インタビューを受けた。自分の番が
廻ってきた。ソニーDVDプレーヤーの目録を受け取り、続いてインタビューを受ける。『今の感想は?』と聞かれ、
『初めてチームぴあに参加したとき、いつかこのステージに上がって表彰されてみたいと思っていたので凄く嬉しい』
みたいな事を答えたと思う。続いて『どのくらい練習しているのか?』と聞かれたので、『週に70kmくらいは走って
いる』と答えた。この答えは、初参加したときの優勝者が答えた内容と偶然にも一緒だった。『1日10km走ったら、
あそこに立てるようになれるんだー、でも1日10kmは無理だな。』漠然とそう思っていた事を思い出した。


インタビューを受けているキャップと私。

表彰式が終わると、賞品つきクイズやゲームが始まった。しかしあんまり良く覚えていない。勝ち残り形式なのに、
いつも1回戦か2回戦で終わっていたからかもしれないが、それよりも表彰された!寛平ちゃんと直接話しが出来た
と言う事が嬉しくて、心ここにあらずって感じだった。ほうが強いかな。
パーティーの最後は、今日1日のツアー参加者の活躍をスライドで振りかえる。BGMは寛平ちゃんのRUNRUNRUN
A子さんは出まくりだった・・・、キャップも何回か・・・、私は1回・・・、K枝は何故かゼロ。

今回のチームぴあのテーマはメモリアルだった。色々なメモリアルを持って参加者が集まった。大会は30回という
メモリアルだったし、雑誌ぴあも30周年。司会のおぐらさんは、今年亡くなられたお母様の弔いの意味を込めて走っ
たという。自分にとっては、親子で完走、さらに表彰されるという名誉も頂いた。今年もまたひとつ貴重な思い出が
出来た。スタート前は寝不足のせいか、イマイチ気分が乗ってこないレースだったが、終わってみれば、沢山の思い
出が残った。やっぱりホノルルはいいなー! チームぴあも! 寛平ちゃんも!
(自分の中では、サムズ・アップの原点はチームぴあなんです。)

完走パーティーが終了し、ホテルまではまたタクシーで戻った。
部屋まで母と叔母を送り届け、明日の集合時間を告げると、私とK枝は、部屋での宴(ただビールを飲むだけ)用の
ビールとつまみ、それに寝酒ならぬ寝アイスクリームを購入しにフードパントリーへ足を運んだ。部屋へ戻って改めて
乾杯。今日は飲んじゃうゾー!と思っていたが、疲労は結構たまっていて自分の1カンとK枝の残した半分程度で、
あえなく撃沈。それでもアイスクリームだけはしっかりと食べた。

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