2002年ホノルルマラソンを振りかえって

2002年のホノルルマラソンが終了した。8月の夏合宿から始まって約4ヶ月、ホノルル
マラソンを目標レースに定めて、トレーニングを積んできた。4月の小笠掛川マラソンで
出した3時間32分というタイムをどれだけ縮められるか、年代別5%以内の順位は叶うのか?
チームぴあでの入賞は?などいくつかの目標を掲げて挑んだ2002ホノルルマラソンだが、
その成果を振りかえってみようと思う。

トレーニング&調整過程
8月の夏合宿前に考えていた目標タイムは3時間20分を切ることだった。これを達成できれば
前年の結果から判断するに、年代別の上位5%以内は確保できる。さらにこのタイムで走れ
れば、チームぴあの上位3名にも運が良ければ入れるかも? そんなところからこのタイムを
当面の目標に掲げてみた。8月の合宿は辛かった。参加メンバーが自分よりも格上の人達
ばかりだったし、サロマ湖100kmで染みついた摺り足走法からもなかなか脱却できなかった。
指摘されたスピード不足を解消する為、レースペースでのペース走やフォームを意識しての
走り込みにより、徐々にではあるが調子が上向いてきた。9月〜11月は、週末のレースを
トレーニング代わりにして走りこみ、月間300kmに到達。ゴールタイムをそれほど意識して
いないにも関わらず、走るレース毎に記録を更新。怪我も無く、体調も崩さず、現状でやれる
べき事は全て行った。そう自信を持って大会に挑んだつもりだったが、今思えば、ひとつ足り
なかったことがある。うさぎさんにも指摘されたが一度に行う30km以上の走りこみ(ある程度
ペースを定めてのもので、マラニックは除く)の本数が足りなかった。8月〜レースまでで行った
30km以上の走りこみは9月に1回(霧ケ峰合宿30km)、10月に1回(小金井公園フルマラソン)
11月に1回(小金井公園練習30km)の計3回だけ。各月にもう1回づつ30km走を入れていたら
後半、また違った結果(粘り)が出ていたかも・・・
今後は、いかにして30km以上の練習を行うかがポイントになりそう。給水面や、コースの設定
など20km程度ならどうにでもなるが、30kmとなるとちょっと構えてしまう。レースで代用できれば
ベストだが30kmのレースって意外と少ない。フルマラソンに出場して30kmまでペース走を行い、
それ以降はジョグで流すと言う方法もありそうだが、ジョグで流すというほど余裕が持てるかな?
いずれにしても、フルマラソンでもっと上を目指すのであれば、最低月2回、30km以上の練習は
必要と思われる。

レース直前の調整&レース
今回はレースがハワイということで、時差19時間(実質5時間)があったし、飛行機による移動時間
もあったので国内のレースに出場する事を思えば、調整が難しいのは確かだった。レース途中で
眠くなったのは、やはり時差ぼけの影響だろうか?眠くなったのはスタートしてから約1時間後。
ハワイ時間で朝6時。日本時間だと深夜1時。前日入り強行スケジュールによる時差ぼけ一発解消
を狙ったが、私の身体はそんなに、うまくは出来ていなかったようだ。まあホノルルマラソンとは、
毎年こういうものなのだから、8割の状態で走っても10割の状態で走っても同じような結果が出せる
ような図太さを身につけていく事が大切かな?

当日のレースはどうか? これは反省点がたくさん出てきそうだ。まず一つ目はスタート直後に渋滞
にはまりイラついてしまったこと。右に左に激しくコースを移動して、いち早く渋滞から脱したかったが
私のコース取りが下手だったようで、1mile付近では、キャップがかなり先行していた。
焦らず、コース左寄りなら左寄りの範囲内で無理無く交して行けばもっとロスが少なかったかな?と
思う。まあそれよりも、もっと前からスタートするほうが簡単そうだけど・・・
次にペースが安定しなかった事。ちょっと上げようと思うと極端にあがってしまったり、そうかと思うと
ガクッっと落ちてしまったり。暗闇・起伏・周囲のランナーの影響もあると思うが、まだペース感覚と
いうものが身についていなかったようだ。最後は上半身の筋力。前半は背筋を伸ばし、腰のしっかり
と入った姿勢を維持できたように思うのだが(主観ですが・・)、後半35kmを過ぎたあたりから、
気がつくと腰が落ちていた。急激なペースダウンに陥ったのは、この直後。30km以上の走りこみが
少なかったのも影響しているのか、上半身の筋肉(腹筋?)がフルマラソンに耐えられなかった気が
する。ただ精神面で、肉体的に足りなかったところをある程度は補えたように思う。後半苦しくなった
時も合宿でみんなに置いて行かれそうになったことを思い出すと、前を走っているランナーに遅れを
取ってなるものか!という気持ちが湧いてきたし、霧ケ峰のクロスカントリーコース30km走の辛さを
思い出したら、歩きそうになったダイヤモンドヘッドの坂も越えられた。河原駅伝で優勝を逃した悔しさ
があったから、最後の直線では、チームぴあのランナーが後ろから迫っている事を想定して、何が
何でも逃げ切るんだと奮い立ち、ペースを上げる事ができた。反省点も多いが、この4ヶ月の成果も
充分感じられた。

最後に・・・
今回記録した3時間19分00秒というタイムは良かったのか?悪かったのか? 当初の目標から
すれば3時間20分を切っているので良かったということになるが、レース直前の状況(ハーフの
記録)などからすると、あと4、5分は速く走れてても!という気がする。

でも、そもそも、3年前、1999年のホノルルマラソンにチームぴあの一員として出場したとき、ラン
ニングを始めてから僅か2ヶ月でフルマラソンに挑戦し、6時間以上掛かったあの時、自分がこんな
タイムで走れるようになるなんて想像しただろうか? あの時は4時間を切れるようになることさえ、
現実的な目標ではなかったし、もし4時間を切れたら、それが自分にとっての到達点(頂上)となっ
ても、充分満足していたと思う。それが昨年のホノルルマラソンで4時間を切ったら、頂上だと思って
いたその記録より、もっと上に頂上があることを知り、そこへ向かって走り始めていた。

あれから1年。3時間19分00秒という記録が出た。去年、自分がいた場所を見下ろすと、随分と
高いところへ登ってきた気がする。走り始めたときにいた場所なんて霞んで見えなくなってしまった。
おまけに表彰なんかされちゃったから、すっごく見晴らしが良くなった。
3年前、ランニングを始めた時には見えなかった雲の上に、今の自分は立っているんだと思うと、
やれば出きるんだな-!と思えてくる。でも今、自分の要る場所が、頂上かと言うと、そうではない。
上を見上げれば、まだ高い山がそびえたっている。今、見とおせる頂上は、サブスリー?辿りつける
かどうかは分からないが、そこへ向けて、また走り出したいと思っている。

もしサブスリーという今見える頂上に到達したら、また高い山が見えてくるのかな? その時はどう
思うのだろう? また新たな頂上を目指して登るのか? もうここでいいやと満足するのか? どう判断
しても良いと思う。登りたけりゃ、また頑張って登れば良い。そこで満足したなら、しばし留まって、景色
を存分に楽しみ、体力の衰えとともに下山すれば良い。ただ、下りて行くときは、できるだけゆっくりと
下りて行きたい。数年で掛けあがった山道を何十年もかけて下りて行く。現在の自己ワーストを更新
するのは、遅ければ遅いほど良い。60歳、70歳になってから、30歳の時に出した記録に並ぶ!なんて
良いと思いませんか?

このたびは、8月から長い期間かけてダラダラと書いてきた拙文にお付き合い
下さいまして有り難うございました。このレポートが読んだ方にとって有益なこと
は殆どないと思いますが、せめて暇つぶしにでもなっていてくれれば幸いです。
今後も、懲りずに、気が向いたらレポートを書きたいと思いますので、時間に
ゆとりのある方は、お付き合い下さい。
 
    それでは今回のレポートはこれにて・・・
    
完と致します。

      
      ホノルルマラソン2002のメリットアワード
      (性齢別上位5%以内が表彰対象)

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