初めての××××  −2001荒川市民マラソン−


1.走ってこそランナー
やっぱり、ランナーは走らなきゃ駄目だ。他人が走っているのを見てるとウズウズしてくる。
3月4日(日)、この日は小田原尊徳マラソンに出場するメンバーを応援する為に、会場と
なっている小田原アリーナへ足を運んだ。3週間後に控えている荒川市民マラソンへ向け、
最後の走りこみを積むべき時期に、何故自らは走らず、他人の応援に行ったのかと言うと、
それはモチベーションを高める為というのがそれらしい理由だろうか。ファンランのつもりで
走ったグレートアロハランを除くと、荒川市民マラソンは2ヶ月ぶりのレースとなる。この間に
それなりの走りこみはしていたがホノルルマラソン完走後の脱力感が拭い去れず、練習
していても、あまり気持ちの入らない日が続いた。その為、この時期になっても体重は74kg
〜75kgとホノルルマラソン出走時の72kgより2〜3kgも重い。72kgという体重が自分のベスト
体重ならこの程度の増加も仕方ないが、身長が178cmである自分にとっては、72kgでも重い
くらいで膝などへの負担を考えると、最終的な目標としては68kgまで落したいと考えている。
頭の中では、荒川市民マラソンで4時間を切るという大きな目標を持っているにも関わらず、
なかなか気持ちが盛り上がってこない。このモヤモヤした気持ちを振り払うには、サムズ・
アップのメンバーが真剣に走ってる姿を見るのが一番だと思い、応援に駈け付けた。しかし
ながらこの日は大雨。尊徳マラソンに出場するメンバーも、この状況に戸惑いの表情を
見せる。しかも寒い。このレースには荒川市民マラソンへ出場するメンバーも3名含まれて
おり、体調を崩してしまうのではという心配から、リタイヤする事もやむなしという雰囲気さえ
流れていた。そんな雰囲気が漂う中、ハーフマラソンがスタートしていった。凍えるような寒さ
の中、冷たい雨にうたれ、頭からつま先までびしょ濡れになって走って行く姿を見たときは、
このレースに出なくて良かったと思っていたが、10km地点を通過して行くランナーの姿は、
激しい雨など乗り越え、走ることに集中していて逆に傘をさしてランナーを見送っている自分
のほうが可哀想に思えてきた。ゴールまで残り数100mの地点を通過して行くランナーからは
この過酷な条件を乗り越えてきたんだという満足感が感じられ、走っているランナー達が羨ま
しく思えてきた。そう感じた瞬間、このレースを観戦した目的を果たす事が出来たように思う。
やはり、ランナーは走ってこそ価値がある。この思いを強くして、翌日からの走りこみに熱が
入っていったことは言うまでも無い?

2.秘策?
今回の荒川市民マラソンでの目標「サブフォー達成」へ向け、いくつかの秘策を考えた。
一つ目は、普段の練習方法に関する事。これは某ランニング雑誌(といっても一誌しかない
ような気がするが...)に載っていた方法で、1キロ〜2キロのコース間に、坂道を取り入れ、
その坂道を腿上げなどを意識的に取り入れたランニングフォームで走り、筋力アップをはか
るというものだ。幸いにも近所には1周1キロと1周2キロのランニングコースがあり、その両方
に坂道が配置されている。本番までわずか3週間。あまり時間が無いのでどれだけの成果が
上がるかは分からないが、とりあえず試してみる事にした。たしか、競走馬の世界では坂路
調教をいち早く取り入れた関西馬が、関東馬を圧倒した時期があった。ひょっとしたらマラ
ソンの世界でも通用するかもしれない?二つめは、シューズ。荒川市民マラソンからシューズ
を新しいモデルに交換することにした。今までは安全性重視でフル5時間以上という目安の
ついたものを履いていたが、ホノルルマラソンで5時間を大幅にきることに成功したので、
ランニングショップの人と相談して、やや軽めのシューズを購入した。軽くなった分、ショック
の吸収具合は弱くなるのかもしれないが、軽くなる事でのメリットに期待したい。3つ目は、
レースのローテーション。これは偶然なのだが、荒川市民マラソンの1週間前に昭和記念公園
で行われるリレーマラソンへ出場する事にしている。このレースは、1周約2キロのコースを10名
以下のグループで襷をつなぎ合計42.195キロ走るというレースで、一人当りにすると2周から
3周という短い距離になる。一見するとフルマラソンには繋がらないような気がするが、どこから
か仕入れた情報によるとレース1週間前の刺激?というのが効果的であると聞いた。これが
本当ならちょうど1週間前に4キロ程度の短い距離を全力に近い速度で走るというのはまさしく
刺激ではないだろうか?まあ、秘策と呼べるほど大袈裟なものではないが、自己記録(4時間
22分)の大幅な更新を目指す以上、何らかの工夫を持って望まないと不安で仕方ないので、
この3つの秘策にすがることにした。

3.練習は裏切らない?
谷川真理ハーフマラソンが終了してから、走ろうという意欲を持つ切っ掛けとなった小田原
尊徳マラソンまでの50日間で走った距離が128.6km。雨が多かったり、旅行へ行ったりと
色々言い訳はできるが、ちょっと少ない。ホノルルマラソンの時は月平均120kmくらいは走っ
ていた。そこで尊徳マラソンから本番までの20日間で100km走るという目標を立てた。
ちょっと急仕上げという感じはするが仕方あるまい。私の場合、毎日走るということはしない。
基本的には1日おき。平日は8kmくらいの距離を1日おきに走り週末は2日間で最低20kmは
走ろうと考えている。今の体重で足の故障を避けながらということになるとこのくらいがちょうど
良いように思う。この目標を達成する事ができれば、それなりの自信を持って大会へ挑む事
が出来るような気がする。今回の目標であるサブフォーは、1キロ6分ペースでは達成でき
ない。後半ペースが落ち込む事を考えると、1キロ5分30秒くらいのペースで押して行く必要が
あるだろう。練習の時の平均ペースは5分30秒くらいだが、フルマラソンを最初から最後まで
このペースで行くとなるとそれなりの勇気が必要だ。それには、これだけの練習を積んだの
だから大丈夫という自信を持たなければならない。自信を持つ為に走りこむ。練習は裏切ら
ない筈?だから...

尊徳マラソン後、気温が徐々に上がってきたこともあり、朝起きるのが大分楽になった。冬の
間は目覚めてからベッドを抜け出すまでに一苦労。着替える為にコタツから抜け出すのに
二苦労。暖かい部屋を出て外へ行くのに三苦労。と走り出すまでに高いハードルをいくつも
乗り越えなければならなかったが、暖かくなってくるとベッドから抜け出し、すぐに着替えて
走り出す事ができるようになる。体もすぐに温まってくるから走っていても気持ちが良い。
一日おきのトレーニングメニューは順調に消化されていった。3月10日(日)大安の日に荒川
市民マラソン用に調達しておいたシューズをおろした。前のシューズと比較して、特に軽さ
などは感じないが、これといった違和感もないので大丈夫そうだ。つま先にも余裕がある。
平日は一日おきに7キロ〜8キロ。途中坂道を混ぜ、キロ5分30秒というペースを意識して
走りこんだ。そして昭和記念公園リレーマラソンの前日(3/17)までで尊徳マラソン以降、
80kmに到達。残り1週間少しづつ距離を落しながら調整していっても本番までに100km
はいけると思っていたのだが...

4.不運か? 不幸中の幸いか?
3月18日(日)昭和記念公園リレーマラソン。心配された天気も回復し暖かい天候にも恵まれ
またキャプテンの絶妙なチーム分けにより、サムズ・アップの2チームはデッドヒートを繰り
広げたうえ、両チームともに目標タイムをクリア。個人的にも1回目の走りで目標としていた
8分(2キロ)を記録。レース後の宴会も穏やかな天気の中、多少、花粉症の症状は出たもの
のなかなかの盛りあがりを見せた。と、ここまでは良かった。しかしここから先に大きな落とし穴
が待ちうけていた。翌日、喉の痛みと鼻水に襲われていたところまでは、いつもの花粉症だと
思い特に気にしていなかったが、夕方になり帰り支度を始めた頃から異変が...みんなは
暖かいと言っているのにどうも寒い気がする。さらに外へ出てみると背筋にゾクゾクという震え
が...自宅の駐車場へ到着し、車から降りるとその症状はさらに悪化。体中が震えだし、鍵の
穴に鍵を差し込むのさえ、うまくいかない。家の中に入っても震えは止まらなかったので、
ストーブを点け、コタツの中に肩まで入って身体を温めた。しばらくして体温を測ってみると、
38.4度。立派な発熱だ!!どうやら、花粉症だけではなく、風邪も併発していたようだ。
布団に入ってもしばらくは震えていたが、翌日には熱は下がった。レース1週間前に風邪を
ひくなんて...と思うか? 風邪をひいたのが前日じゃなくて良かったと思うか? 
これは結果が出てみないと分からない。しかし、これがあんな結果をもたらす引き金になるとは

5.あとは野となれ、山となれ
大会前日、この日はレースの前日受付を行う為に会場へ足を運んだ。その後、シドニー五輪
代表の川島選手のセミナーを聞き、『さあ、明日は頑張るぞ!』といつもなら気合が入ってくる
ことろだが、なんか気持ちが入らない。明日のレースが他人事のように思えてくる。普通なら
フルマラソン前日となると、緊張感が漂い、何をしていても頭の中はマラソン一色になるはず
なのに、マラソンのことが考えられない。何故だろう? ここ1週間、体調回復が最優先だった
為、気持ちがレースに向いていないのかもしれない。大会前夜の食事はパスタ、これはいつ
ものパターン。それからエクレアを食べた。川島選手のセミナーでレースが近くなるとケーキを
食べると言う話しを聞いていたから、それに習って甘いものを食べることにした。ベッドには
9時30分頃入った。そしてこれまでの過程を思い出す。ここまでの調整過程は、どうかな?
絶対に行けるという自信を持つまでには到らない。大きな故障が無く本番を迎えられるという
点は良かった。しかし1週間前に風邪をひき、この1週間全く走っていないうえ、未だに咳が
少し出る。喉に痰が絡み、咳き込むと肺が痛む。これが影響しなければ良いが...
それから体重もうまく落す事が出来なかった。やはり、この1週間が...
ホノルルマラソンの時と現在の状態を冷静に比べてみると、先ず、コース。これは今回のほう
が圧倒的に楽だろう。河川沿いのロードで殆ど平坦、その上気候も春先ということでハワイの
様に暑くはない。これだけでも数分から十数分の記録アップは望めそうだ。でもこれだけでは
4時間を切るまでには到らない。やはり、ホノルルの時より、パワーアップしているかどうかが
問題になる。練習量からいくと、ホノルルの時より、かなり少ない。足りない量を質でカバー
できていれば良いのだが...去年の荒川と比べたらどうか? 去年は20キロ地点までは
サブフォーペースだった。しかしその後、足の痙攣などもあり、急激にペースダウン。今の
自分はあの時とは違うという自信はある。去年のペースでも30キロまでは行けそうだ。35キロ
はどうだろう? 40キロまで行ければサブフォー達成できるかな?なんて考えていたら急に
眠くなってきた。いつもなら目が冴えてくるはずなのに...
慎重に走っていたのでは、4時間を切る事はできないのだからあとは野となれ山となれの
開き直り精神で突っ走る、今日は、とりあえずぐっすり寝ることにしよう。

レース当日は6時に目が覚めた。去年は自宅(藤沢)から会場(荒川)へ向ったが、途中で
JRの人身事故があり、到着したのはスタートギリギリとなってしまった。それが去年の惨敗の
理由だとは言わないが、一年に数回しか走れないフルマラソンくらい落ち着いてスタート
ラインに立ちたいものだ。そこで、今年は前日に赤羽駅近くのビジネスホテルに泊まった。
そのおかげでゆっくりと朝まで寝られたし、朝食もしっかりと食べる事が出来た。前日に受付
も済ませてあるからゼッケンもつけてあるしRCチップも取りつけ済みだ。とにかく、ここまでは
全てが順調に進んでいる。マラソンはスタートラインに無事辿りつく事が一番大事だからここ
までは、完璧?。あとはレースで自分の力を全て出しきれば、結果は自然と付いてくる筈。
スタートまであと数時間、ホテルを出発した。

3月25日午前9時、天候曇り 2001年荒川市民マラソンのスタートが切られた。最初の
2,3キロは慎重に行き、そこから1キロ5分30秒ペースに上げる。あとはこのペースをどこ
まで維持できるかだ。キロ6分を最低ラインと考え、6分ペースで走りつづけていくと42.195
キロは、4時間13分10秒かかる。ということは、4時間を切るには、40キロ通過までに13分
10秒の貯金を作る必要がある。5分30秒ペースで走れば10キロで5分の貯金を作り出せる
わけだから、3キロ〜27キロを5分30秒で走ると貯金が13分30秒となる。残りの12.195キロ
は6分ペースで走れば目標達成となる訳だ。予想通り、序盤は混雑していて、ペースを
上げようにも上がらない。やはりキロ6分くらいかかってしまう。しかしここで焦って人ごみ
を縫うような走り方は自重する。このままの流れにのって気負わずにじっくりと走る。
何とか最低ペースは守れているようだ。ここから先の27区間(27キロ)で5分30秒を出せば
良いのだから、焦る必要は無い。ここで無駄なエネルギーを使わないように気をつけよう。

5キロ地点を迎えた。2キロ過ぎからペースは5分30秒ペースにのった。このままこのスピ
ードを維持して行けば良い。練習では何度もこのペースで20キロ走を行っているので、
20キロまでは余裕で行けるだろう、と思っていたが、早くも異変が起きた。右わき腹に
痛みが走ったのだ。息を大きく吸い込むと痛みは激しさを増す。また給水を行うとさらに
痛む。初めての経験だった。こういう時は痛い所を摘むと痛みが治まるという話しを聞い
たことがあるので実践してみたがいっこうに痛みは収まらない。それでもこの痛みは一時
的なものだと信じて、ペースの維持に努めた。しかしその後もこの痛みに苦しんだ。
この痛みが続くようだと... 記録更新はおろか、完走に対する不安が頭をよぎった。

10キロ通過は、54分53秒(GTmailより)予定より少し早いくらいのペース。しかし体調の
ほうは思わしくない。耐えず続くわき腹の痛みが、走っているという行為を忘れさせてくれ
ない。これまでのフルマラソンでは、走っているという意識が飛んでいる区間があった。
気持ち良く走れている時、何の不安もなく走っている時は、マラソンとは全く別の事を考え
ていたり、何も考えず、廻りの景色を見ていたりして気付いたら、何キロも走っていたと
いうような事が起る。そのおかげで精神的に随分救われるのだが、今回はそれが起らない。
一生懸命走ろうとしないと足が動いてくれない。これはきつい。さらに息を吸ったときにわき
腹に痛みが走るため、浅い呼吸しか出来ない。これが影響したのか足が重く感じるように
なってきた。15キロ付近の折り返しを過ぎると呼吸が苦しくなり始めた。わき腹の痛みを
こらえ、大きく深呼吸するが息苦しさは変わらない。この体調の異変が徐々に完走しようと
言う気持ちをグラつかせる。20キロ通過が1時間51分。タイムはまずまずだが、それとは
裏腹に体調は悪くなる一方で息苦しさのあまり、27キロ付近で歩き始めてしまった。
それでもまだこの時点では、歩く事で息苦しさを解消できた。息が整うとまた走り始める。
しかし状態はさらに悪化し、歩いていても息苦しい。28キロ過ぎでついに足が止まった。
もう止まっていても苦しい。それでもゆっくりと歩き出し、30キロを目指す。30キロ過ぎで
一度会場に戻ってくるので、そこまで辿りつこうと歩き始めた。その後は息苦しさと、肺の
痛み、わき腹の痛みに襲われ、真っ直ぐに歩くのもままならない。意識はしっかりしている
はずなのに、どうしても右に右に寄って行ってしまう。29キロを過ぎると、手の指先が痺れ
始めた。そして全身には鳥肌が... 走ろうという意欲も消え始め、肉体的にも、精神的
にも追い詰められた。残り10キロ以上の距離を果たして走れるのだろうか? このまま行
ったら救急車のお世話にならなければいけないかもしれない。記録なんてもうどうでも
いい、でも完走だけはしたい。走ると決めた以上途中で投げ出すのは嫌だった。
しかしその気持ちとは裏腹に次々に襲ってくる身体の異変と自分で自分をコントロール
できなくなっている状態に恐怖を感じていた。呼吸は益々苦しくなるし喉から変な音も
し始めた。指先の痺れは徐々に広がり始め、膝から下と肘から先の感覚が消えた。
苦渋の決断を迫られていた。

そして30キロ地点を3時間6分で通過した瞬間、リタイアを決意する。コース係員に近寄り、
胸のゼッケンとRCチップを外し、手渡してコースを離れた。係員の人から『お疲れ様、
充分給水して休んでください』と声を掛けられた瞬間、それまで我慢していたものが溢れて
きた。悔しい! 曲がりなりにも尊徳マラソン以降、走りこみを行い、レース2週間前の20
キロ走では、それなりの自信も掴んだ。それがこんな結果に終わるとは...リタイヤした
自分の横を走りすぎていく、ランナーの姿がすごく羨ましかった。

6.挫折を、次のレースのスタートに...
会場に戻ってからも、暫らくは放心状態がつづいた。呼吸の乱れは、いっこうに収まらず
動き出す事が出来ない。ゴールしてくるランナーを横目に、じっとうずくまり、呼吸が回復
するのを、悔し涙を浮かべながら待った。今回の敗因は自己管理の甘さに尽きる。
マラソンはスタートラインにつくまでが勝負というが、この一言が心に響いた。会場に戻って
から30分くらい経っただろうか? ようやく呼吸も落ち着き、身体が動くようになっ
た。しかし頭の中では、完走できなかった悔しさが募るばかり。まだチームメイトは一人も
戻ってきていない。みんなまだ苦しさに耐えて、頑張っているのに、ゴールしてもいない
のに休んでいる自分がちょっと情けなかった。今回はリタイアしたと言うこともあり、レポート
は辞めようかとも思った。しかし、レース前に書き記していた部分がかなりあったし、
マラソンには良い時ばかりじゃなく悪い時もあるんだ。という思いからレポートを書くことに
した。今秋、もう一度サブフォーに挑戦する。その時、このレポートを何度も読み返して、
悔しさを思いだし、それを糧に今度こそ目標を達成しようと思う。そうゆう思いもあって、
悔しさを忘れないうちに超特急で書き上げてみました。
それからこのレースでサブフォーを達成したら、ひらつか6時間にエントリーして、ウルトラ
マラソンへの挑戦を始めようとしていたが、これは白紙撤回。ウルトラマラソンはあくまでも
サブフォーを達成してからのお楽しみにしようと思う。

7.闘い終わって
レース翌日、今の心境は?といえばかなり落ち込んでいる。まあ殆どのランナーからしたら
自分がやっている練習なんて大した事は無いんだろうけど、尊徳マラソン以降は、毎日
体重をチェックし、体調も日記につけそれなりの準備を行ってこの大会に臨んだ。その
努力がなんとなく虚しく感じている。体調は、足は30キロで辞めてしまったせいか、
それほど痛みは無い。肺は大きく息を吸い込むと苦しい。痰は相変わらず切れず、咳は
未だに止まらない。まあレース前とそれほど、差は無いが結果が出てしまった分・気持ち
の張りが無くなった分、沈んでいる。って感じかな...
とりあえず、当分の間は体調の回復に努め、走りたいという気持ちが湧いてくるのを待とう
と思う。それにしても、フルマラソンを完走するという事の非凡さをつくづくと感じたレース
だった。それから、サムズ・アップに合流し、このレースが初マラソンだった方々、
完走おめでとう。すごく羨ましいです。


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