感動のゴール

カピオラニ公園に帰ってきた。足はもう動かない。でも1年前とは大きく違う。1年前は
何とか戻って来れたというホットした気持ちと、自分の不甲斐なさが入り混じっての
最後の直線だった。周りからの大声援を複雑な気持ちで受け止めていた。今年は?
胸を張ってのフィニッシングロードだ。この1年間の成果を思う存分発揮して、ゴール
へ向うこの1kmの直線は、最高の気分だ。足の疲れなんて忘れた。(と言っても動きは
しないが..)もうペースを上げる必要なんて無い。この雰囲気を楽しんでゆっくりと
ゴールへ向う。目標の4時間30分までには15分以上ある。JALボランティアによる最後の
エイドステーションでも水を貰った。コースの両脇から、大きな拍手と声援が飛び交う。
疲れきった身体は、早くゴールしたいと思っているのだが、気持ちはこの雰囲気をずっと
味わっていたい。色々な事が頭に浮かんだ。真夏の炎天下で走りこんだ大庭城址公園。
江ノ島やえぼし岩を遠くに眺めながら走った湘南海岸。通常の練習コースにしていた大庭
墓苑。朝早く起きるのが辛くて何度もくじけそうになったが、この瞬間を夢見て走り続け
て来たんだ。これまでに走った全ての道がここにつながっている。ゴールが近づくにつれ、
完走できるという喜びと、これで終わってしまうという寂しさが同時に湧いてきた。
残り100m、はっきりとゴールゲートが見えた。最後の直線では何人のランナーに抜かれた
ろう。抜くことは無かったナ。さっき抜いたぴあのランナーにも抜かれた。それでもいいんだ。
この歓声を長く受ける事ができるんだから...

あっそうだゴールでは写真撮影があるんだ。帽子を被りなおし、
ブリーズライトテープを剥がした。残り50m、取り敢えず1回、
万歳の練習。よしこれで大丈夫。残り10m、あまり人のいない
コースを選んで、早めに万歳(右手はサムズアップ、左手は拳
を握って)そのままの体勢をキープ。そしてゴール。
最後の数十メートルは写真うつりのことばかり考えていた。
その為にゴールの瞬間には、これといった余韻もなかったが、
とにかくゴールした。この瞬間、1999年にスタートしたホノルル
マラソンが2000年に幕を閉じた。貝殻の首飾りをかけてもらい、
頭からシャワーを浴びる。頭の中が真っ白になった。
そして見上げた空は真っ青で吸い込まれて行きそうなくらい、
高く感じた。終わった。終わってしまった〜。
(→なかなかの格好で写ってる!走る練習もさる事ながら、
ゴールする時のポーズも随分、練習してきたからね。)
今年の大会に出場した、オリンピック陸上800mのファイナリスト高野進は
完走後、『地獄を味わった!』と語ったそうだ。

K枝
その頃私は、長かったハイウエイをやっと脱出し、カハラの住宅街を走り始めていた。
私は、カハラに入ると少しは日陰があり暑さがやわらぐのではというイメージを持っていた。
がしかし、イメージほど日陰は多くなく、やっぱり暑かった。おそらく一年前にこのあたり
を通過したときは、もっとぼろぼろでまわりをよく観察していなかったから、ちょっと誤解
したイメージを一年間持ち続けていたのかもしれない。そういえば、一年前は、ちょうど
このあたりで足の裏が痛くなり、走ったり、歩いたりを繰り返していたけど、どうしようも
なくなって、大きなお家の前の花壇に座り込んでしまいシューズを脱ぎ、足の裏の
マッサージをしばらくしたっけ。今年の私は違う!っと、言い捨てたいところだけど、
やっぱり足の裏が痛くなってきた。給水所以外は、ぜったい歩かないって心に決めて
スタートした私だったが、ふと昔、仕事上でお付き合いのあった、客先のちょっと偉い人
の口癖を思い出した。「人間は、逃げ道を作っておかな、あかん!」
そうだ!ストレッチをする時は、止まってもいいことにしよう!そう思って、ちょうど走って
いる人のじゃまにならないような場所をみつけ、いったん走るのをやめてストレッチを少し
した。ふと視線を感じ、横をみたら、沿道で応援しているマダムと目があったしまった。
「大丈夫?足がつりそうなの?」マダムはかなり心配して声をかけてくれた。
「ちょっとストレッチがしたくて。」と答えた。「オレンジあるわよ。食べる?ちょっとバテ 
ちゃってるみたいよ」っていわれた。応援する人からは、私がそうとう辛そうに走ってる
ように見えるんだな。でも、とってもありがたかった。甘いオレンジを遠慮なくいただき、
再び走り始めた。


ゴールタイムは(後で分かったのだが)、4時間21分09秒。30km以降かなりペースダウン
したと思っていたが、6分33秒/kmペースで走っていた。ちなみに寛平リーダは、4時間16
分48秒。その差は4分21秒。30km以降も23秒ほど差を縮めていたことになる。
最初の10kmで11分20秒の差が大きかった。やはり前半勝負が有効だったのか?いやいや
今回はこれで良かったんだ。ハナっから寛平リーダに勝とうなんて思ってないんだから...
でも今まで雲の上の存在だったランナーの背中がちょっと見えてきたかな。
参考までに私のスプリットタイムとペースを整理すると、
スタートから10kmまでが1時間07分11秒、ペースは6分43秒/km。スタートラインまで
5分位かかった割にはまずまずの立ちあがり? 10kmからハーフが1時間02分56秒、
ペースは5分40秒/km。このあたりから調子が出てきた。ハーフから30kmまでは51分04
秒。ペースは5分44秒/km。依然として調子は良かったが30kmちょっと手前あたりから
見えない疲れが出ていたのかも… 30kmからゴールまでは、1時間19分56秒 ペースは
6分33秒/km。この区間は厳しかった。特に残り7kmはもうヘトヘトだったな。体に残った
傷跡は、太もも内側にすり傷が...やはり股ズレを起こしていた。もっと肉を落さないと
だめなのかな?
今大会に出場した有名人で私の記録に割りと近い人を調べたところ...
元世界チャンピオン井岡弘樹さんは3時間49分28秒(約30分差)、石田純一の彼女でモデルの長谷川理恵
さんが3時間59分21秒(約20分差)、彼女は2ヶ月前から谷川真理さんについてトレーニングを積み、この大会も
一緒に走ってこの記録。マラソンをやらない人は『谷川真理に付いてれば良い記録が出て当たり前だ』みたいに
言うけど、マラソンはそんな甘いもんじゃない。誰が付いていようと結局は自分の足で走らなければならないの
だから...漫才師サブローシローの太平サブローさんが4時間9分55秒(約10分差)、彼は、吉本軍団の中でも
寛平リーダーに次ぐ実力者だとか..そしてオリンピック陸上800mファイナリストの高野進さんが4時間18分42秒
(3分差、今思えば、惜しい!)

ゴール地点からチームぴあのテントまでは、スタッフの方々の誘導にしたがい進む。がっ
これが遠かった。途中フィニッシャーTシャツの引換所があったので受け取った。そう言えば
去年のフィニッシャーTシャツには一度も袖を通さなかった。何故だろう?
やっぱり心のどこかで引っ掛かっているものがあったのかな?今年のTシャツは胸を張っ
て着れそうだ。それから去年のフィニッシャーTシャツも... そんなこんなでチームぴあ
のテントに辿りついたのは、4時間35分くらい。四捨五入して4時間40分となり、申告タイム
とぴったり一致。チーム戦に貢献できたようだ。テントではサンタの格好をしたお姉ちゃん
が、『お疲れ様、おめでとう御座います。』と言いながら、肩にタオルを掛けてくれた。
残念ながら寛平リーダはお疲れのようで個室テントに入っていたが、先にゴールした人や
メイヤーズウォーク参加の人、応援の人、ぴあのスタッフなどがすれ違う度に声を掛けて
くれる。足は引きずるようにしか動かないが、満面の笑み!?
ゴザの上に寝転がり、固まっていると、スタッフのお姉さんがスポーツドリンクを持って
きてくれた。(ちなみにお姉ちゃんは25才未満、お姉さんは25歳以上と区別しています。)
スポーツドリンクを一気に飲み干し、宙を見つめていた頃、K枝は?

−ここからはK枝がゴールまでの独占レポートを行います−
K枝
その頃私は、カハラの(高級)住宅街のど真ん中を走っていた。なんとなく気持ちが 
なえていた。35キロ地点のタイムを考えると、とてもじゃないけどなんとなく目標にしていた 
5時間をきることは不可能だと認識し始めていたからだ。完走のみを目的とするなら 
のんびり行こうよって、耳元で悪い悪魔がささやいているような気がした。そして、再び 
ストレッチをするためと心の中で言い訳をしながら立ち止まってしまった。ストレッチを 
はじめようとした時、またしても視線を感じ、その方向へ目をやった。沿道にデッキチェア
を構えて声援をおくっているマダムらしかった。私に向かって、「氷水、持って来てあげる
わね!」っていって、お家に入っていった。そう、わたしの右手には、次の給水ポイントを
確認するまで捨てられないでいたスポンジが。しかもほとんど乾いていたのだった。
ストレッチをひととおり済ませたが、さっきのマダムがなかなか戻ってこなかった。
どれくらい時間がたったのかはよく覚えていないけど、ふとマダムが入っていったお家を 
観察するとすごーく大きな門構えで、なかのお家のビックなこと!キッチンにたどりつくまでに 
時間がかかるんだとわかった。でも、うれしそうに「はい、ありがとうございます!」って返事を 
してしまった手前、その場をさることができなかった私は、その時間を利用して、ポシェットの 
ゼリーを食べたり、再びストレッチをしたりと有効に過ごすことにした。やっとマダムが戻って 
来て、スポンジを冷たい氷水にひたし、頭にしぼったりしていると、マダムが言った。
「いいタイムよ!これなら5時間代でゴールできるわ、もう少しだからがんばって!」
その言葉がとってもはげみになった。そうだった。5時間はきれないけど、少しでも速いタイム 
でゴールしなくちゃ!ダイヤモンドヘッドの坂が見え始めているじゃない。よーし、がんばろう。
そう思ってマダムにお礼を言って、再びはしり始めた。
ダイヤモンドヘッドの坂をのぼり始めた。やはり体は重かった。が、歩いている人がたくさん
いたけれど、私は、歩かずゆっくりではあるけれど、すこしづつ坂を走ってのぼった。
この時私は、練習していてほんとによかったと思った。いつも走っていたコースの坂に 
くらべたら、たいした斜度じゃないじゃないって感じたからだ。そうこうしているうちに沿道で 
応援しているスポーツクラブの応援団のひとりがコースに身をのりだすように 
「あと3キロ!がんばれー!」と叫んでいた。そうかあ。あと3キロなんだ。3キロといえば、
いつも練習しているコースの1周半でしょ。行けるよ!って心の中で叫んだ。
ひたすら集中し、いつもの練習コースの景色を思い出そうとしていた。残りの距離を
練習コースに置き換えながら走れば、つらくないような気がしたからだ。
そんな時、ふと顔をあげ、左側に視線を向けた。海がとても奇麗だった。
そっか、私は今、ホノルルでマラソンをしているんだよね。いつもの練習コースを 
思い浮かべるのもいいけど、この景色を楽しまないのは、なんだかもったいない。
そう考え直し、ほとんど気力だけで前へ進んだ。そう、ゴールが見えて来たような気がした。
ダイヤモンドヘッドの坂をのぼりきったとき、ぴあの応援隊のはたが見えた。
足をとめると再び出発できない気がするし、あんまり声援を聞くとはやくも泣きそうだった 
ので、精一杯の笑顔をつくり大きく手をふり、下り坂へと走っていった。下り坂もここまで 
疲れていると楽ではなく、ころばないように足をふんばるのが精一杯だった。
そして下り坂が終わって平らになってからは、もっとつらく感じられ、たとえていうと、
下りの階段で、まだもう一段あると勘違いして、思いっきり平らな地面へ踏み込んでしまった 
時のような衝撃がずっと続いているような感覚だった。足の裏に磁石でもついてるのでは 
と思うぐらい前へ足を進めることがつらかった。
そして最後の給水所。一年前はもう水も受け付けなかったが、今年は、最後の直線のため 
しっかり給水をとった。


ゴ−ルしてから30分以上が経過した頃、ふと我にかえり時計をみた。時計は10時10分
となっていた。スタートから5時間10分が経過。そろそろK枝のゴールが近づいている筈だ
ここは一つ余裕をみせつけて応援にでも行くか。と身体にムチを打ち立ちあがる。
カピオラニ公園最後の直線、ゴールまで残り200mくらいのところで腰を下ろし到着を待つ。
そういえば今年は仮装ランナーを殆どみなかったなーっと思っていたら忍者が登場。
この日照りの中、黒づくめの衣装は暑いだろうな−と思っていたらダースベイダー登場。
これは大人気。なんだこの辺には結構いたんだなーと思っていたらK枝がフラフラになり
ながら(少なくとも私にはそう見えた)走ってくる。腰が落ち、身体が傾き、お世辞にも格好
のいい走りとは言えないが、一生懸命さだけは伝わってきた。『ガンバレーもう少しだ!』
と声を掛けると気付いたようで周りのランナーを掻き分け、こちらに向かってくる。
そしてサムズ・アップのポーズを取った。カメラを向けるとこのポーズを取るというのは
モデル並?、いや"パブロフの犬"並だ。ここで、もうひとつ余裕を見せつけておこうと
並走してみた。でも一度、気持ちの切れてしまった身体はそんなには動かず、10mほど
で失速。ここから先はもう一度K枝にマイクを...

K枝 
T.Kが感じたとおり、もうフラフラだった。この最後の直線は 
800メートルといいつつもすごーく長く感じられるのは、 
よくわかっていた。しかし、あとは、倒れてもいいから力を 
ふりしぼって走ってみたかった。でもイメージどおりには 
いかず、体が重くて重くて。。。前に進めないのに呼吸だけが 
くるしくなっていた。左側から誰かがどなっているのに気づいた。
ぴあの応援隊かな?と思い視線をやった。でも旗は見つからない。
そのかわり、やつれたT.Kが私にカメラを向けてさけんでいた。
なんと言われていたのかはわからなかったが、無意識にサムズ 
アップのポーズをとっていたらしい。しばらく、T.Kが並走して 
くれた。ふつうならジーンとくるのかもしれないが、あまりにも 
苦しかったのでほんとにほっといてほしかった。T.Kの並走は、
以外とすぐに終わってしまったので、あとは、ゴールに集中し 
最後の力をふりしぼった。そして待ちに待ったゴールの瞬間、
私は、できるだけ高く、できるだけ長く両手を上にあげ、
ゴールゲートをくぐった。
5時間はぜんぜんきれなかったけど、病み上がりにしては、よくやったと思うことにした。
そして5時間以内にゴールすることは次のレースへの課題とすることにした。貝殻の首飾り 
をかけてもらったあと、帽子をとり水のシャワーへまっしぐらにあるき頭からシャワーを
浴びた。気持ち良かった。やっと生き返った気がした。両足の感覚がおかしくて、
どうも行きたい方向へうまくあるけなかったが、アミノバイタルを飲みながら、目印のサンタ
クロースのお姉さんをさがし、ぴあのテントへ向かった。向かう途中、ほっとしたのか 
今ごろになって涙が込み上げてきた。
ゴールしてからたぶん10分ぐらいたっているとは 
思うけど、少したってから、ジーンとくる反応の遅さ 
はとっても私らしかった。しかし、一年前と同じで 
やっぱりぴあのテントは遠かった。なんと前日、
チームぴあに申告した予想タイムとぴったり同じ時間 
にテントに到着することができた。一年前と同じルール 
だったら、すごい賞品がゲットできたのにと少し残念に 
思ってしまった。到着後、寛平ちゃんと握手をしたり、 
いっしょに写真をとったりし、テントで用意された 
おにぎりやトン汁、ジュースを飲み、くつろいだ。 
ゴザに寝転んでストレッチをしながら、 
”あー終わったんだな今年のホノルルマラソンは” 
とあらためて感じた。

スタートからおよそ7時間が経過した。チームぴあの団体戦グループのメンバーが全員
ゴールしたのでホテルへ戻る事にした。まだ走っているランナーがたくさんいたので、
後ろ髪を引かれる思いではあったが、自分の身体と相談しこれ以上声援を送るのは無理だ
と判断。ホテルへ帰る途中"義経"で昨日予約した完走記念湯のみを頂く。そしてホテル
に戻り、シャワーを浴びて夕方の完走パーティーまで熟睡した。


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