もうひとつのホノルル(Great Aloha Run)

ホノルルへ戻ってきた。2001年2月17日(土)、ホノルルマラソンが終了してから約2か月後あの時
と同じように天候は晴れ、ただ空港を行き交う人々の様子は少し違った。ホノルルマラソンの時は、
いかにもランナー風の人が多く、これから始まる大きなイベントを感じさせる活気に満ちた雰囲気が
漂っていたが、今回は卒業旅行の学生や団体観光の人達が多く、この中にグレートアロハランと
いうレースを知っている人達は殆どいないのだろうなと感じた。

そう、このグレートアロハランというレースは、日本ではあまり知られていないレースで、日本での
認知度でいえば、ランナーよりもウォーカーに知られている大会らしい。コースはアロハタワーから
アロハスタジアムまでの全長8.15マイル(13.1km)という手頃な距離。速いランナーは40分程度で
走ってしまうが、遅いウォーカーは、5時間を経過してもコースに残っているというのんびりとした
レースである。日本からは以前、旭化成の谷口が参加したことがあるらしい。参加者は約3万名、
参加者の規模ではホノルルマラソンに匹敵する人数だが参加者の殆どはハワイ在住の人達。
次いでアメリカ本土、カナダからの参加者、日本からのランナーの参加は非常に少ない。むしろ
日本からは『歩け歩けの会』みたいな団体が年間の恒例行事として参加してくることが多いようだ。
それからこの大会はもともと海兵隊の訓練プログラムみたいなものだったらしく、その名残からか
スタートの合図は大砲。さらに一般のスタート前に海兵隊が各部隊ごとにお揃いのTシャツを来て
走り出すという特徴がある。詳しくは
公式ホームページを... 

そもそも今回の旅行は、従妹の結婚式がハワイで行われるので、それに出席するために企画した
旅行だった。しかしガイドブックを見ていたら結婚式の翌日、プレジデントデーという祭日に毎年、
このレースが開催されるということを知り、こんな大きな大会を黙って見逃すわけにはいかないと思い
出場を決めた。申込はホノルルマラソンの時に現地(ランニングルームという店)で行ったのだが、
日本出発直前になっても葉書が届かない。結局葉書を受け取る事ができないまま、日本を出発
しなければならなくなってしまった。(Eメールで問い会わせたところ受付は確認しているとのこと
だったのでまあ何とかなるだろうとは思っていたが...)それから今回の旅行は私とK枝の他に、
私の母も同行する事になった。私とK枝の二人だけだったらエコノミークラスで行くのが当たり前
なのだが、母は身体にやや不安があり、エコノミー症候群を恐れていたため、ビジネスクラスでの
旅行となった。ちなみに中華航空のビジネスクラスは5万円から7万円程度の追加料金で乗れるの
で、意外と現実的!? ホテルはパシフィックビーチホテル。10時にチェックインできるのと、大きな
水槽があるのが特徴。

初日は、母がハワイ初旅行という事で午後から半日観光を予定していたが、その前にG.A.R(グレー
トアロハランの略)の受付にいかなければならない。ホテルからG.A.Rエクスポが行われているニー
ルブライズデルセンターまでタクシーで直行(チップ入れて約10ドル、20分くらい)さて、ここからが
問題。受付葉書なしでどうやって会場内に入るか? とりあえずインフォメーションセンターで事情
を説明してみる(英語で...)。なんとなく通じたような通じないような...事務局とやりとりしたEメー
ル(プリントアウトしたもの)を見せると事情がわかったようで、名簿の中から私とK枝の名前を探し出
し、臨時入場券(ゼッケン引換券)らしきもの渡してくれた。会場内に入ると、ランニング関係のブー
スが数多く立ち並び、全部見てまわったらそれだけでも1日はつぶれそうなくらいの数だった。本当
はゆっくりと見てまわり、ランニンググッズを購入したかったが午後からの半日観光を控えている
うえ、母をホテルに置き去りにしているので、ゼッケンの引き換えだけ済ませ、後ろ髪引れる思いで
ホテルへ戻った。

この後、島内半日ツアーに出かける。コースはダイアモンド
ヘッド→この木なんの木がある公園→パイナップル園→
石原裕次郎邸→ハナウマ湾→潮吹き岩というコースだった
がこのツアーの参加者は私達3名だけだったので、特別に
シナボン(日本でも有名な)を買う為にカハラモールへ立ち
寄ってもらうことにした。卒業旅行の時に一度行った事が
ある場所が殆どだったが、ツアーガイドの人から色々な
ハワイの話しを聞けるという点では、こういう在り来たりな
ツアーもたまにはいいかなとも思う。そういえば、日本を出発
する1週間前にえひめ丸と米潜水艦の衝突事故があり、
日本でも一日中これに関連するニュースが流されていたが
ハワイ現地での話しを聞くと微妙にずれがある。日本では
潜水艦引き上げにアメリカがあまり協力的ではないような
報道がされていたが、実際はここ1週間16年ぶりの悪天候
とかで、樹齢何十年という木がバタバタと倒れるほどの強風
が吹き、また大雨で道路が冠水してしまうような日が続いて
いた為、作業しようにも出来なかったというのが本当のところ
らしい。たしかに天気が悪いというのは聞いていたが、
これほどひどいという状況は知らされていなかった。ただ
アメリカ人の考え方というのは、日本人とは異なり、生きている
可能性があるものはどんな事をしてでも救おうとするが、
可能性がないと分かればそれ以上のことはしないという面も
あるそうだ。その例として、戦艦アリゾナ号は上から見える
くらい浅い海底に沈んでいるにも関わらず引き上げは行わ
れず、乗組員たちは今でも船の中にいるそうだ。そういう
意味では引き上げ作業にあまり乗気ではないのも事実かも
しれない。しかし日本人の気持ちとしては、遺骨だけでも国
へ持って帰りたいと思うものだから、アメリカ側の対応に苛立
つのも分かる気はする...

写真は上段:この木何の木の気になる木、中段:石原裕次郎の別荘、
下段:ホテルからの風景、カピオラニ公園,ダイヤモンドヘッドの眺望

観光ツアー自体はこれと言って驚くほどのことはなかったがホノルルマラソンのスタート地点となる
アラモアナ公園を車窓から見たり、車でダイアモンドヘッドの坂を昇っていたりすると今回は走る
わけではないのに何故かドキドキしていた。ホノルルマラソンのコースとなっている道を車で走るだ
けで身体が反応してしまうようだ。それから、初めて食べたシナボンの味は非常に私好みの味で、
美味しかった。それに同じ店に売られていたシナモンスティック。これも美味かった。
私達は4個入りのシナボンを購入し、この旅行が終わるまでの3日間、毎日これをつまんでいたが、
飽きる事は無かった。日本のシナボンはかなり待ち行列ができるようだがこちらでは誰も並んで
いなかった。それと、ハナウマ湾。この日はくらげが発生して入場禁止になっていた為、誰一人
いない静かなハナウマ湾を見下ろす事ができた。ある意味では貴重な体験!?

2日目は、従妹の結婚式が午後から予定されていた為、ツアーの予定は特に無し。しかし目が
覚めたのは午前5時。その後も目が冴えて眠れない。暫くはベッドの上でじっとしていたが、それも
限界を越えた。ふと窓の外を覗くとまだ暗い中、ジョギングしている人がいる。よし、軽く走ってこよ
う!というわけで、走る準備を整え、ホノルルマラソンのコースを軽く走ってみようと思い、ホテルを
出発した。時間は午前6時30分。カピオラニ公園の周回道路でホノルルマラソンで使用された部分
を選んで走った。まだ薄暗くて足元がはっきりとは見えなかったが、楽しかった。わずか2か月前の
ホノルルマラソンがすごく懐かしく感じてきた。あの時は大勢のランナーの中でじっと耐え、ペースに
気を配りながら走っていて、周りの景色などあまり見ていなかった。今はポツリポツリと走っている人
がいるだけで物音は殆どしない。でも楽しかった。ペースを気にせず、夜明け前の公園を走ってい
るこの状況が嬉しかった。暫く走ると、公園の入り口(?)ホノルルマラソンでは最後の直線の入り口
にあたる部分に差しかかったので、戻ろうかとも思ったが、何人かのランナーがダイアモンドヘッドの
ほうへ走っていくので、それにつられて列に加わり、ダイヤモンドヘッド方面へいく事にした。この道
もホノルルマラソンのコースだった。上り坂が続くコースでレースの時はいやな感じのする場所だが
今日はこの坂を登ることですら楽しい。水平線の彼方から少しづつ明るくなっていく景色を眺めなが
ら走る。暑くも無いし、寒くも無い。呼吸も苦しく無いし、足も痛くない。ただひたすら坂を登る。
そして午前7時少し前に坂を登りきったところにある展望台らしき駐車場に到着した。ここで走るのを
やめて石の上に腰掛け、水平線を見つめた。しばらくすると水平線と空の境目からまぶしい光が現
れた。次の瞬間、オレンジ色の太陽が昇り始める。ビデオの早送りでもしているかのように太陽は
スーっと昇った。わずか1分程度で太陽は全ての姿をあらわした。その瞬間何に感動したのか分か
らないが涙が流れていた。偶然早起きして、思いつきで走り始めた結果、こんな綺麗な景色が見ら
れるなんて...太陽が完全に昇ったのを見届けてから、来た道を戻る。そして公園の入り口から
ホノルルマラソン最後の直線を走ってホテルに戻る事にした。ここに最後の給水所があって、この
あたりではぴあの帽子を被った人が応援していた。ここには残り?mの横断幕があって、ぴあの応
援隊が... なんて考えながら走っていたらあっという間にゴール地点に到着してしまった。レース
の時はヘトヘトで長く感じられた直線をあっという間に走りきってしまった。今度挑戦する時はこの
くらいのスピードで走ってみたいもんだ。(無理だな)

この日はこの後、結婚式へ出発するまでワイキキの海岸でゴザを広げ、寝転んでゆっくりと過ごし
た。前回の旅行で、この最高に贅沢な昼寝(まだ昼ではないが...)の味を知りハマってしまった。
木陰にいると本当に気持ち良い。時間さえあれば、一日中こうしていたいもんだ。

午後1時20分、シェラトンモアナサーフライダーを出発して
結婚式が行われるキャルバリー・バイ・ザ・シーという教会へ
向う。この教会はホノルルマラソンのコース途中にある教会
(ハイウエイの中盤)だった。次にホノルルマラソンに出場
するときはこの教会が良い目標になるかも...結婚式は
ハワイ風?に行われた。ハワイではアロハシャツが正装だと
聞いていたので、その風習に従い、アロハシャツを着て式に
出席したが、アロハシャツを着ているのは私だけ...
まっいいか。この教会は海が見渡せる事でも有名で、全方向
ガラス張りで景色がものすごく綺麗だった。それから式では
日本で(?)良く聞く賛美歌は歌われず、ハワイアン音楽が
歌われた。海外の結婚式に出席したのは初めてだったので、すごく新鮮な感じがした。そして
新婦の父から新郎へ花嫁を渡す時、日本ではお互いが頭を下げるだけだが、ここでは握手を
交わす。なんとなくこの何気ない行為に感動。良い雰囲気の結婚式だった。結婚式の後は、
シェラトンモアナサーフライダー内にある、バニアンベランダというカフェレストラン?でアフタ
ヌーンティー、ちょっと高貴な気分?も味わった。

ここで従妹家族とは分かれ、私達は夕食後、ナイトショー(マジックオブポリネシア)へ、しかし感想
は・・・個人的には、以前見たソサエティーオブセブンのほうが面白かった。こうして2日目が終了。
ホテルに戻ったのは午後11時。翌日はG.A.R。ホノルルマラソンの前日だったらこんな遅くまでショー
なんか見てないな。きっと早めに夕食(パスタかうどん)を食べて、早めに寝ていただろう。

3日目G.A.R当日、午前4時20分に起床。スタート地点のアロハタワーはダウンタウン。私達の宿泊
しているホテルはワイキキでスタート地点までは7、8キロある。歩けない距離ではないがシェラトンワイ
キキホテルからG.A.R事務局が用意している無料の選手専用送迎シャトルバスが出ているのでこれを
利用することにした。ちなみに帰りは、アロハスタジアムからワイキキまでやはり無料の送迎バスが出て
いる。いつも通りおにぎりを食べ、乳首にテープを張り、ゼッケンをつけてという一通りの準備を済ま
せ、ホテルを出発したのが午前5時。バスは5時15分から6時くらいまで出ているらしい。今回はファン
ランのつもりでいるので、楽しむのが目的。したがって緊張感はあまりないが、K枝はいきなり、その
緊張感の無さを露呈する。

なんとサンダル履きのまま部屋を出たのだ。いくら緊張感がないといってもサンダルでレースに行くと
は・・・エレベータに乗る前に気付いたので事無きを得たが、先行きが不安になった。
シェラトンワイキキには5時10分頃到着、始発のバスに乗車。運転手から『Are you first runner?』と
質問され私は首を振ったが、K枝ははっきりと『Yes!』と答えていた。大したもんだ!!
トドメにもうひとつ、選手待機場所で持参したバナナとポカリスエットを口に入れ、そのごみを捨てる為
ごみ箱を探していたら、ごみ箱らしきものを発見した。しかし私はCollection Timeと書かれているのが
ちょっと気になっていた。ゴミの集配時間のことかな?と考えていたら、K枝はすかさずゴミを投函。 
そう、これはゴミ箱ではなくポストだったのだ。箱の横にはPostage Boxと書かれていた。朝からいきな
り3発もかまされ、もう笑うしかなかった。ハワイの人ごめんなさい。

選手待機場所では、スタート前の最後の準備に取りかかる。
ストレッチを行い、靴の紐を結びなおし、そして顔に国旗の
シールを(日本とアメリカを両頬に)貼る。ファンランだから
楽しもうと思い、国旗のシールを用意していたのだ。腰を
下ろして、お互いの顔を写真撮影していたら、隣に座って
いた若い女性が英語で写真取りましょうか?と話しかけて
きた。お言葉に甘えて、2人で写真を取ってもらう。これも
国旗シール効果か? そのあと会話を交わしたところ彼女
はハワイ在住のアメリカ人だった。やはり地元のランナー
が多いのかな?その後も私達の顔を見て微笑む外人が
たくさんいたが、たまには笑われるのもいいかも...と思った。
実はもうひとつ仕掛けが... それはあとのお楽しみ...
   

日の出前にスタートする海兵隊、暗くて見えない?
午前6時40分、スタート地点へ移動する。スタート地点
には、海兵隊が整列していた。各部隊ごとに赤、白、
青、黄、緑・・・とTシャツの色をそろえたグループが
続々と現れる。髪の毛を短く切りそろえ、なかなか
格好がよい。その後、アメリカ国家が斉唱され、暫らく
すると一般ランナーに先駆け、海兵隊がスタートする。
愛と青春の旅立ちで使われていたような、軍隊の掛け
声を合わせ、かなりのスピードで駈け抜ける。
やはり海兵隊は違うな! 訓練してるからこのペースで
ゴールまで走っちゃうのかナーなんて思っていた。
でも中には、あの体格で大丈夫なのかなと心配したく
なるようなブーちゃんや苦しそうに走っていく女性の姿
も... これだけでも、見る価値充分。みんな胸を張って
走りぬけて行った。

そして午前7時。日の出と共に大砲が鳴り響き、G.A.Rのスタートが切られた。他の大会とは異なり、
リュックサックを背負ってハイキングをするような格好で歩き出す人も多く、最初のうちはなかなか
スムーズに走ることができなかったが、しばらくするとランナーゾーン?(歩く人がいなくなる)に入り、
調子よく走り出す。ホノルルマラソンとは違い、沿道で応援している人達は少ないが、時折地元の
ハイスクールのバンドやボランティアバンドなどが演奏を行って雰囲気をもり上げる。ランナー同士も
互いに声を掛け合って楽しい雰囲気でレースが進む。しばらくすると仮設のトイレポイント出現。ここは
通過と思ったらK枝、『とりあえず入ってスッキリしないと気持ち良く走れない』ということで寄り道、
ちなみに私は一滴も出ず。このトイレ休憩に要した時間は5分程度。スタートしてそれほど走っていな
かったこともあり、再びウォーキングゾーンに突入。ウォーカー達の間を縫うようにして暫く走る。
それでもいつもよりはかなりゆっくりペース。何て言ってもファンランだから...最後まで笑顔を絶や
さず走る、これが今回の目標。

コースはダウンタウンからNimitzハイウェイへと移る。
Nimitzハイウェイのコースは2階建て高速道路の1階
部分となっているので常に日陰。その分景色はイマ
イチだが、涼しいので非常に快適。また応援している
人の声やブラスバンドの演奏が反響して独特の盛り
あがりが起る。そしてこのあたり(3マイル付近)にくると
海兵隊の脱落者がぽつぽつと現れる。やはり海兵隊
といってもブーちゃん達は、長い距離を走るのが苦手
のようだ。自分もブーちゃんにならないで(?)
良かった。マラソンに感謝!!最初の給水ポイント
は3マイル付近。大声をあげてランナーを応援する
ボランティアの人達、それに応えるランナー。フルマラソンのように悲壮感を漂わせているランナー
はおらず、みんな笑顔。本当にこのレースは楽しい。周りのランナーがみんな笑顔で走っている
から、自分も笑顔になる。K枝も...と思ったら、眉間に皺が寄っていた。『苦しいの?』と聞い
たら『別に...』と応える。もっと楽しそうに走ればと思うのだが...
   
コースはNimitzハイウェイからKamehamehaハイウェイへと
移る。ここで日陰コースから日向コースへ。陽射しが強くな
りかけていたので、ちょっと暑い気はしたが景色がよくなり、
また風が気持ちよかったので快適に走ることが出来た。
大型トラックの運転手はクラクションを鳴らしてランナーを
応援し、対向車線を走る乗用車や観光バスの中では
アロハポーズをとってランナーを応援している。ランナー
もそれに応えてアロハポーズをとる。和気あいあいという
言葉がぴったりとくるようなレースだ。距離表示の看板を
見るたびにゴールへ近づく喜びとは裏腹にまだまだ走って
いたい、もっとこの雰囲気を長く味わっていたいと言う気持ちが強くなってきた。そして7マイル地点
ゴールまであと1マイルちょっと。既にゴールした人達が完走Tシャツを広げて自慢げに戻ってきた。
そして彼方にアロハスタジアムらしきものがちょっとだけ見えた。もう終わってしまうのか・・・
   
アロハスタジアムが見えてきた。もう残り1キロ足らず。
ここで手に握り締めていた万国旗を広げた。日本、
アメリカ中国など10枚の国旗が繋げられている。私が
その片方の端を持ち、もう一方をK枝が持つ。旗は
風になびいていた。そう言えば、このレースは仮装して
いるランナーがあまりいなかった。その為、私達が
かなり目立っていたのかスタジアム周辺で応援している
人達やゴールして会場をあとにする海兵隊が声を
かけてくる。『Go flags!』,『Looking good!』,
『Good job!』など色々な言葉をかけられる。応援して
いる人達が皆、こっちへ視線を向けている。
『やったね、作戦成功だ!』 K枝も『最高だね!』と話す。
約半周スタジアムの周りを走ると、ゴールがやってきた。
ゴールはアロハスタジアムの中。グラウンドへ入る花道を
抜けると正面にゴールゲートが見えてきた。男性と女性の
ゴールが分かれている為、旗は私一人で身体中に巻き
つけるようにして持った。そして歓声が渦巻く中ゴール
ラインを走りぬけると、ボランティアをしている女の子達の
ハイタッチ攻めにあった。最後に美味しいところを一人
じめにしてしまったようでK枝には申し訳ない気がした
がすごく楽しかった。楽しさと言う点では今まで出場した
レースの中では間違いなく1番だろう。ゴール後、お互い
旗を持った姿を写真に収めスタジアムの外へ足を運ぶ。

スタジアムの外では、水、バナナ、クッキー、パンそして完走Tシャツを受け取った。時間は8時40分
くらい。ということは、完走タイムは1時間30分くらいだろうか? 時間を気にせずに走っていたので
ゴールの瞬間、時計を止める事すら忘れていた。このあと、12時30分くらいまでコンサートや抽選会
などが行われるそうだが、私達は母をホテルに置き去りにしていたので、送迎バスにのってワイキキへ
戻る事にする。帰りのバスはスクールバスだった。アメリカのスクールバスに乗る事なんて滅多にない
のでこれも良い経験かな?バスの中は殆ど外人。ところが偶然、私達の前の座席に座っていた人は
日本人で私達の会話を聞いて声を掛けてくれた。彼は沖縄在住のホテルマンでシェラトンホテルに
研修を受けに来ていたらしい。那覇マラソンに出場したこともあるそうだ。沖縄の読谷村にあるリゾート
ホテル内のレストランでソムリエをしているそうなので沖縄を訪れる事があったら再会できるかも...
そしてバスはワイキキへ到着。私達のG.A.Rは終わった。

ホノルル滞在が最後となるこの日はこの後、完走Tシャツを着てアラモアナ
ショッピングセンターで買い物。G.A.Rの完走Tシャツに気付いた店員から
何度と無く声を掛けられた。『今日走ってきたのか?』、『タイムは?』、
『ランニング? ウォーキング?』など。完走Tシャツに気づいてくれたのが
妙に嬉しく何故か誇らしかった。そして夕方になり、この旅行の締めとなる
ディナークルーズへ出発。ナバッテックというハイテク船で揺れが少ないと
評判の船だったが、結構揺れた。この揺れが眠気を誘い、クルーズ後半の
事は良く覚えていない。まあ一度乗れば、もういいかなー?という印象くらい
しかなかった。(ジョギング→結婚式→G.A.Rともうお腹一杯だったのかも)
こうして今回のハワイ旅行は終わった。時間的に短く、ちょっと慌しかったが
充実した3日間だった。今回の旅行のきっかけは、従妹の結婚式へ出席す
るというところから始まった。その結婚式はとても新鮮でいい想い出になっ
たし、早朝ダイヤモンドヘッドから見た朝日は忘れられない記憶となった、
G.A.Rは、最初から最後まで思う存分楽しむ事ができた。

もしこの時期に旅行する予定があれば、またこのレースに出場したいと思う。ホノルルマラソンのように
何ヶ月も前から準備して走り、満足感を味わってゴールした時の感動をかみしめるのもいいけど、
G.A.Rのように気軽にスローペースで会話や景色を楽しみながら走るのもまたいいもんだ。今回は
走るということの楽しさを改めて教えられた様な気がする。これからは、10キロ、ハーフ、フルでは記録
を目指してもがき、それ以外の距離では、今回の様に肩の力を抜いて、楽をして、楽しみながら走っ
てみるのもいいかなーと感じた。

−完−


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