これが生まれて初めてだという八樹のキスは、馴れていないくせに執拗で、笑い飛ばしてやりたくなるほど不器用で不格好で―――なのに重なったところから一つになろうとするような、そんなキスだった。 「半屋君―――、もう一度…いい?」 八樹の声は深く、余韻に濡れていた。返事もせずに放っておくと、今度は勝手に唇を重ねてくる。 八樹の性格そのままに、自分の思いつくままにしているだけのキスは、初めてだというのになんの飾り気もなく純粋で、知ったかぶりのテクニックでも使ってきたらあざわらってやろうと思っていたオレを拍子抜けさせた。 執拗でどこか一途な八樹のキスは、別に悪くはなかった。オレが今までしてきたキスとは何かが違っていて、それに少し気を取られたが、きっと初めてだからなのだろう。オレは今まで初めてだとかいう人間に当たったことがない。
八樹はもてる。これだけ容姿が整っている上に、インターハイの優勝者だ。もてないわけがない。現に部室の裏に呼び出されて告白されている、なんて光景をオレでさえ何回か見たことがあった。 そんな八樹が高2もおわりのこの時期になってもまだキスもしたことがないなんてある意味異常だ。しかし本人はそんなことを気にしていないらしく、ごく当たり前のことのようにその事実を告げてきた。
「半屋君、気持ちいい―――」 二度目の、長いキスが終わり八樹の甘い声がからみついてくる。オレはなんだか居心地が悪くなって身じろごうとするが、八樹はそれを許してくれない。そして深い瞳でオレを見つめた。 「半屋君も気持ちいい……よね?」 悪くはなかったが、良くはない。ざわざわして全然落ち着かない。オレはこんなキスは嫌いだ。
中坊のころは背が低く、いじめにあっていたのだとかいう八樹は、たぶん気がつくと『当然キスやその他をすませている男』として扱われていて、いまさら初めてだとか人に知られるにはプライドが高すぎて、結局ここまで来てしまったのだろう。 こいつの「好きだ」とかそういう言葉は嘘ではないのだろうが、オレ相手だったらキスやそれ以上をするときにこいつがプライドを守る必要がない、というのも事実だと思う。オレは誰とでもするし、認めたくはないがこいつに勝ったこともない。八樹にとってみればちょうど手頃な人間なのだろう。そう気がついたらなぜか少しほっとした。
そして、オレは自分がぼけていたことに気づいた。頭が真っ白になってぼーっとして、八樹のキスを、初めてだというそれを受けるだけで、何もしなかった。 だからオレは初めての八樹にもっと良くなれるキスを教えてやろうと思った。誰としたって恥ずかしくない、そういうキスを教えてやらなくては。 唇を合わせ、戸惑っている八樹の舌を誘い出す。まったくわからないらしい八樹は何の反応もなくオレの動きにあわせた。面白くなって、いろいろ教えてやろうとするが、いまいち乗ってこない。 「半屋君」 突然体を離された。八樹の瞳も声もひどく怒っていて、オレは何が起こったかまるでわからなかった。 「今みたいのはいらないよ」 八樹は本気で怒っている。雰囲気がものすごく変わるから、こいつが本気かどうかはすぐわかるのだ。 しかし、ちゃんと教えてやったのに、なんでこいつは怒っているんだろう。初めての八樹にはまだ早すぎたのだろうか。 「今みたいなキスはいらない。―――ひどいよ、半屋君」 反論するのもめんどくさくて、オレはただ八樹を睨みあげた。 「さっきまでは俺とキスしてくれたのに、俺はすごく嬉しかったのに、どうしてこんなひどいことをするんだ……」 オレが珍しく親切にしてやったというのに、こいつは全然わかっていないようだ。 「ちゃんと俺を見てよ。逃げようとしないで」 「なに言ってンだよ、てめェ」 オレはまったく逃げてなんかいないし、だいたい八樹なんかとこうやってデートをしてやって、キスだって教えてやって、オレにしてはものすごく譲歩していると思う。 「いい加減わかってよ……! 俺が好きなのは君なんだって、ちゃんと君を好きなんだって、いい加減気づいて」 そんなことは何遍も聞いているから、わかっているつもりだ。だからキスだってさせてやったし、してやったのだ。 「全然わかってないよ! 誰でもいいんじゃない、半屋君が好きなんだって、お願いだから気づいて……!」 オレは八樹の言いたいことがなんなのかよくわからなかった。どうも八樹はオレを好きらしくて、デートもしたがるし、こうやってキスだってした。たぶん寝たいのだろう。オレはわかっているつもりだ。
「帰る」 腹が立ってきて、これ以上八樹といたくなかった。途中までは面白かったのに、なんでこいつはいつもこうなんだろう。わけのわからないことを言ってオレを怒らせる。 「帰れば」 八樹はオレの方を見ようともしなかった。 引き留めるんならいてやってもよかったのに。 別に今日、このまま寝たって良かったのに。
家に帰る気にはなれなくて、そのまま昔よく行ったクラブに寄る。そういえば近頃あまり行く気がしなくなっていた。 「たくみー。久しぶりー」 かろうじて見覚えのある、名前のわからない女がキスを求めてきたから、とりあえず口づけた。馴れた深さの馴れた快感。ちゃんとやり方を知っていれば誰とでも同じように気持ちよくなれる。 「あいかわらず上手いよねー」 女の口紅は外国の安っぽいキャンディーのような味で、名前は知らないがオレの嫌いなメーカーのものだった。そのせいか、なんだか気分が悪くなって、突き放すようにその女から離れた。 他の女とキスしても、男とキスしても、やっぱり誰でも同じだったのに、八樹のキスが消えない。悪くはなかったけど良くもなかった、あの不器用なキスが消えてくれない。 明日になったら八樹ともう一度キスをしよう。早くちゃんと教えてやって、あんな変なキスできなくなるように。こんな風に残るのはきっとあいつが初めてのせいだから。早く教えて早く消してしまおう。 ぬぐってもぬぐっても消えない八樹の感触を感じながら、オレは前とは違って居心地の悪く感じられるクラブを足早に離れた。
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