| 『ハンパなんだよ』 その言葉を聞いて八樹の背中に冷たいものが走った。 多分、それは事実を指摘されたからだ。自分の今の状況、目をつぶってみないようにしていたそれを、半屋は簡単に暴き出した。 「高校ンときの感傷を求めてんなら、会いにくんな。そんなもんにつきあってるほどヒマじゃねぇ」 八樹は自分を偽り続ける大学生活に耐えきれなくなると、半屋にあって自分を慰めていた。半屋に会うと自分を取り戻せる。 いつでも自然だった、優等生を演じていても、皆から恐れられる明稜四天王だったとしても、それがそのまま自然だったころの自分を思い出すことができる気がしていた。 八樹が無言で立ちつくしていると、半屋は紅茶を八樹に返し、立ち上がる。八樹は呆然としたままその紅茶を受け取った。 「じゃあ、な」 半屋が去り際に何かを言うのは初めてだった。その意味を八樹は分かりたくなかった。 「半屋君は……」 半屋は振り返り、八樹をじっと見上げた。相変わらずの無表情。その顔を見ていたら、なんだか泣きたくなってくる。 「そうやって、ちゃんと俺のことを分かってくれるのは半屋君だけなのに、それなのに、会いに来るなって言うの?」 八樹はほとんど叫ぶかのように言った。 「梧桐がいるだろう」 確かに梧桐勢十郎なら分かってくれるかもしれない。でも、ただそれだけだ。梧桐は誰の性格でも、誰の考えでも理解できるだけの能力を持っている。ただそれだけのことだ。半屋とは違う。 「そういう話じゃないだろ? わかってるのにそんなこと言うなんてずるいよ」 半屋が半屋自身に向けられた話をそらそうとするのは、人付き合いが苦手な彼の防衛本能のようなものなのだから、いちいち気にしない方がいい。そらされていく言葉に反応していたら、彼の真意はつかめなくなる。 八樹は片手を伸ばして半屋の肩を押さえた。そうしないと半屋がどこかに行ってしまいそうな気がしたからだ。 半屋はその手をふりほどこうとはしなかった。 「てめぇは……、いや」 半屋は何かを言いかけて飲み込む。彼が言い淀むなんて珍しい。半屋は険しい顔をしてしばらく逡巡したあと、吹っ切ったように八樹を見上げた。 「てめぇは自分に負けた人間を見てぇだけなんだよ。その辺で闇討ちでもすれば、大学だって行きやすくなるぜ?」 そう言って、半屋は不敵な顔で笑った。 「ひどいこと言うね……」 八樹は一瞬、半屋に殺意をすら覚え、押さえていた肩を、力の限り握りしめた。もしかすると、それは図星を指されたせいだったからかもしれない。 「言わせたのはてめぇだろ!!」 半屋はあいている方の手で、背にしていたフェンスをたたきつけた。激しい音が小さな路地にこだまする。その音の激しさに、八樹は冷静さを取り戻し、つかんでいた肩を放した。そのまま掴んでいたら、半屋の肩をつぶしていたかもしれなかった。 「ごめん」 半屋のそばにいると楽になれるのは、自分に負けた半屋を見下しているからなのかもしれない。そのことを八樹は考えないようにしていた。でも、半屋は早くからそれに気づいていたはずだ。それでも彼は、決してその話を持ち出したことがなかった。 それに、半屋は「決着がついていない」と言ったことはあっても「負けた」と言ったことはなかった。それを言わせてしまうほど、八樹は半屋を追いつめていたのだ。 「ごめんね……」 「とにかく帰れ」 「うん。一度考え直してからまた来くるよ」 「てめぇ、人の話きいてんのか?」 「悪いんだけど、今、結論が出せないんだ。頼むから、もう一度だけ来させて」 静かに真摯に頼む八樹を見て、半屋の表情も落ち着いたものに変わる。 「てめぇは、あっちの世界を選んだんだろ? だったら覚梧を決めろよ。高校ん時のことなんか思い出してないで、ちゃんと普通に生きてけよ。逃げるな」 ゆっくりと言われたその言葉が、引き出そうとしていた半屋の真意だ、ということがわかる。だから彼は、会いに来るなと言っていたのだ。 本当に、こうやってわかってくれるのは半屋だけなのに、八樹には「今の生活から逃げるため」以外に半屋に会いに来る理由はないのだ。友人になれるようなつきあい方はしてこなかった。もし、半屋のいうように覚梧を決めるとしたら、半屋には会えなくなる。わかってくれるのは彼だけなのに。 「半屋くん」 八樹が何も考えがまとまらないまま口を開いたとき、半屋の瞳が鋭く動いた。八樹もつられてふりむく。 「ご、ごめんなさい。大きな音が聞こえたから……」 そこに立っていたのは、大学で授業を受けているはずの女だった。つけられていたことに気づかなかったのは迂闊だった。 女は半屋の外見と目つきの鋭さにおびえながら、八樹の後ろに隠れるように近づいてくる。 「あ……、あの……」 女がこびた瞳で八樹を見上げる。近頃、ときどきいなくなるから、後をつけたんだけど、当然許してくれるよね? 不安だったんだから、こういうことしてもあたりまえだよね? 女の、そのこびた瞳は、おしつけがましく自分の正当性を語っていた。半屋に一番見せたくなかった女。自分が打算で選んだ女。自分を打算で選んだ女。 「うん。わかってるから。大丈夫」 八樹は女に優しげな微笑みを向けた。それだけで、女は安心したようだ。 その様子を、半屋は何を考えているのかまったく読めない無表情で眺めていた。 「八樹くん、この人……」 そう言って女は口ごもる。路地に響き渡ったフェンスの音、ピアスに入れ墨という半屋の外見、鋭い口調。女がおびえるのは当然だ。それが普通。そういう世界に八樹は所属しようとしている。 「ああ、高校時代の友達で、半屋君」 「ダチじゃねぇ」 半屋の鋭い口調に、女の肩がびくっとすくんだ。 自分と半屋が友人ではないことを、八樹はよく分かっていたが、他人に説明するときぐらいは『友達』と言わせて欲しかった。でも、仕方ないのかもしれない。落ち込んでいた八樹は、女が半屋の言葉で安心した様子をみせたことに気がつかなかった。 「じゃあ、俺はこれで」 これ以上この女とここにいたくはない。話の結論はでていなかったが、帰るしかないだろう。 「ああ」 半屋も女の前では、さっきの話を蒸し返さなかった。 女を連れて、路地を出ようとしたとき、半屋の声が聞こえた。 「さっさとそっちの世界にいっちまえ、バカ」 吐き捨てるように言われた言葉は、なんだか優しい色をしていた。 ルミナス3へ |