夏のおもいで


 その場所は、半屋がようやく見つけた、少しはマシだと思える場所だった。
 今日は朝からハイキングで、それだけでも厭でたまらなかったのに、部屋に帰ると梧桐がまくら投げをしていた。
 他の部屋も、どこもかしこもトランプをしていたり、走り回っていたりする子供で溢れている。温泉に入る時間も決められていて、その決められた時間にいけば梧桐がいるし、他の時間に行くのも面倒だ。だから昨日も風呂に入っていない。今日は夜中にシャワーでも浴びようと半屋は考えた。
 今、半屋のいる布団部屋は、ほこり臭く真っ暗だった。その代わり比較的静かで、半屋はこの林間学校に来て始めて落ち着くことが出来た。
 

 

 まず好きな人同士で班を決めるというところからしてイヤだったのだが、その後も係りの割り当てやら事前準備の話し合いやらと、半屋にとっては耐えがたいことが続いた。しかもクラスメート達は林間学校のかなり前から浮き立っていて、そのことも半屋をいらつかせた。
 来てみたら来てみたで、誰に告白するの誰から告白されたのと浮かれていて、半屋でさえ三人組の女子に呼び出され、なんだかんだ責め立てられた。
 どうやら林間学校でカップルになるというのが、クラスメート達の憧れであるらしい。

 

 半屋が布団部屋で目を閉じていると、
「は、半屋!」
 急に部屋の明かりがつき、ドアが開けられた。
 見覚えがあるようなないような男子が三人、ドア付近に固まっている。
 半屋はその三人を睨みつけた。普通ならそれで彼らが逃げていって終わるはずだ。
 しかし、三人は互いに肘でつつきあっている。
「あ……は、半屋。た、高橋が小池のこと好きだって知ってるだろ?」
 高橋も小池もどんな顔だかもわからない。半屋は話している子供を睨みつけて黙らせようとしたが、それでもその子供は話し続けた。
「だからさ、これから、ふたりっきりにして、た、高橋に告白させようって話になったんだよ。だから……」
 三人はまた肘でつつきあっている。
「だ、だから、ここ…ここ…」
「消えろ、うぜえ」
 半屋がそう言っても、三人はどかなかった。
「だ、だ、だから…」
 面倒になって半屋は立ちあがった。ほっとした顔をしている一番近くにいた子供を殴り倒し、半屋はその部屋を出ていった。

 

 自分の部屋に戻るのはイヤだし、こんな林間学校などやめて帰りたい。たいした金も持ってきてないから、帰れないのはわかっているが、半屋はその建物を抜け出して、外に出た。それほど考えての行動ではない。ただ何となくこの場所を離れたかった。
  半屋のいる宿舎は別荘地の中に建っているため、回りには明かりが少なく、かなり暗い。
 半屋はそれを気にせずに山道を下り始めた。このまま下に降りれば大きな道に出るはずだ。
 

 

 どうやら途中で道を間違えたらしい。そう気づいた半屋は、歩いてきた道を引き返そうとした。
 この場所は細道が多く、木製の看板がそれぞれの別荘地への目印になっている。道は暗く、看板はよく見えない。気がつくと半屋は、歩いてきた道もよくわからなくなっていた。 
(朝まで待つか)
 どうやら迷ってしまったらしい。しかし宿舎の名前もよく覚えていないし、闇雲に歩いても、よけい迷うばかりだろう。日が出ればきっと見覚えのある景色も出てくるはずだ。
 もともとあの宿舎にいるのがイヤで出てきたのだから、どこか落ち着ける場所さえ見つかれば―――
「道に迷ったのか、サル!」
 突然聞き覚えのある声が聞こえ、半屋は驚いた。
「てめェ、梧桐、なんでここに…!」
「はぐれザルを回収に来たのだ。オレは班長で児童会長だからな。サルのくせに道に迷ったのか」
「迷ってねぇよ」
「そうか。なら案内しろ。オレは迷った」
「はぁ? てめぇ、どうやってここに来たんだよ」
「貴様のあとをついてきたのだ。どこに行く気なのか見てやろうと思ってな」
 最悪だ。半屋は一瞬目が点になった。
「てめェはどっか行け。オレは行くとこがあんだよ」
 別に行くところなどないのだが、とりあえずそう言っておかなくてはどうにもならない。
「聞こえなかったのか? オレは道に迷ったのだ。貴様が案内しろ」
 何でこの男は道に迷ったというのに、ふんぞり返っているのだろう。
「湖に行くんだよ。てめェは帰れ。上に登れば見つかるだろ」
 ここから湖はかなり距離がある。そう言えば引き返すだろうと思い、とっさに言ったのだが、
「そうか。それは面白そうだな」
 梧桐はついてくるようだった。
 その後、しばらく言い争ったり、殴り合ったりしていたのだが、結局、湖に下りてゆくことになった。
 もし引き返したら、絶対に道がわからなくなる。しかし湖なら必ず見つけられる。梧桐の前で道に迷うなどまっぴらだ。
 適当に道を選び、とにかく下に降りてゆくと、大きな道に出た。半屋はその道に見覚えがあった。しばらく歩けば湖に出るはずだ。
 ようやく知った道に出て、少しほっとした。しかしほっとしているところなど見つかったら、梧桐に何を言われるかわからない。しかし隣を見ると、梧桐はそれにまるで気づいていないようだった。

 
 

 

「半屋、あれに乗るぞ!」
 湖が近くに見えたとたん、梧桐は何かを指さして叫んだ。
 見るとそれは大きな白鳥だった。二人で中に入ってペダルを踏む白鳥型の乗り物だ。
「一人で乗れ」
 梧桐は半屋の襟首をつかむと、ものすごい力で半屋を引きずり、気がつくと半屋はその乗り物に乗せられていた。
 梧桐が綱を外し、どうやるんだなどと騒ぎながらこぎ出すと、スワンは夜の湖上を滑り出した。
「なんだ全然進まないではないか!」
 スワンにしては速く進んでいると思ったが、梧桐には通用しないらしい。
「カップル向けなんだから当たり前だろ」
「カップルといえば、貴様のせいで高橋と小池のキスシーンをのぞけなかったではないか!」
「はぁ? てめェそんなことしようとしてたのかよ」
「当たり前だ。全員で布団に隠れて見るつもりだったのだ。なのに、サルが群からはぐれるから見れなくなってしまったのだ!」
 布団部屋に二人きりになって、告白してキスをするという話だったらしい。だから人の来ないあの部屋にこだわったのだろう。
「くだらねぇ。んなもんのぞいてどうすんだよ」
 キスなら何回かしたことがある。姉の友人が「きゃーかわいい」などと言いながら、べっとりとグロスのついた唇を押し当ててくるのだ。
 グロスの感触や煙草の味が、ただ気持ち悪かった。
「面白いではないか」
「あんなもん大したことねぇ。気持ち悪いだけだ」
「なんだ、貴様はしたことがあるのか」
「当たり前だろ」
 梧桐はしたことがないらしい。厭な経験だったが、それだけで少し得意げな気分になった。
「ふん。サルが一人前に色気づきおって」
 そう言って、梧桐はがむしゃらにスワンを漕いでいた足を止めた。
 もう岸からは随分離れている。
 星明かりの中、突然、梧桐の顔が目の前に来たかと思うと、唇に何かの感触がした。
「なるほど、大したことはないな」
「てめぇ……」
 一体何が起こったのだろう。半屋が呆然としていると、梧桐は平然と
「貴様が漕がないから進まんのだ。もっとしっかり漕げ。向こうの岸まで行くのだ!」
 と言った。
「勝手にしろ」
 そして、梧桐はスワンを漕ぎ始めた。
 なんでもいいから速く岸に上がりたい。半屋も仕方なくスワンを漕いだ。
 結局、二人でスワンの中で寝て、朝に見つかって、通報されて、大騒ぎになった。

 

 

 
 「ねー、半屋君。急に黙ってどうしたの?」
 真夏の昼休みだった。半屋がよく休んでいる資材置き場に、たまたまミユキが来ていた。
『ねぇ、半屋君のファーストキスっていつ?』
 不意にミユキがそんなことをきいてきた。ミユキは時々『半屋君の好みのタイプは?』とか『半屋君の初恋の人ってどんな人?』とか訊いてきた。そのたびに半屋は何も答えずにいたのだが。
「あー、もしかして答えにくかったりする? 答えにくい人とした、とか」
 ミユキは半屋の顔をじっとのぞき込んだ。
「んなんじゃねぇよ」
 始めてのキスと言われて思い出したのは、なぜか小六の夏、夜の湖での事だった。半屋は頭を振って、その記憶を追い出そうとした。確かあれではなかったはずだ。確か……
「小五ん時」
 そうだ。姉の友人達にからかわれたのだ。決して梧桐と、ではない。
「さすが半屋君、はやーい。わたしはね、小六の時なの。塾に勢ちゃんに似た男の子がいてね……」
 ミユキは弾むように話し続けた。半屋は目を伏せて、煙草に火をつけた。




 私の時も小学校の林間学校で告白したりしていた人がいたのですが、なんか「すげーなー」って感じで、それほど一般的なことではなかったような気がします。しかし、この前、家庭教師先の子供にきいた話によると、林間学校は大告白大会だとか。すごいな小学生、って感じです(笑)
 梧桐さんがなかなかに積極的ですが、なんとなく小学生時の梧桐さんって今の梧桐さんよりやんちゃ度高めですよね。今の梧桐さんは潔癖な感じですけど、小学校梧桐さんならこれくらいでもありかも、と思いつつ(笑)
 あと背景は自作なのですが、なんだかJPEGの圧縮のおかげでで虹みたいに(笑) 本当はふつーの青空グラデーションだったのですが。ま、ファンシーっぽくてこれでもいいかって感じです(贔屓目)。

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