電気のついていない埃っぽい部屋に、窓からはっきりとした光の筋が差し込んでいる。 その光の中で男が一人、簡単そうな曲を弾いてた。 放課後の音楽室。 オレが入ったとたん、その男はあわてて手を止めた。 「誰か来る前に止めるつもりだったんだけどね」 その男―――八樹は聞いてもいないのに弁解を始めた。 「放課後で音楽室だなぁと思ったらつい、ね。弾けるかなと思っちゃって」 どうも本人としては相当恥ずかしいらしい。 「続けろよ」 「だから誰かが来る前にやめるつもりだったんだって」 誰か、ね。 その『誰か』の気配なら感じ取れる自信があったのだろう。その前にオレが来てしまったというわけだ。 「続けろ」 「こんなとこで弾いてたなんて言わないでよ?」 説得するのも面倒になったのだろう。八樹はさっき弾いていた簡単そうな曲をワンフレーズだけ弾いた。 どこかで聞いたことのある曲だ。薄っぺらい『癒し系』とやらの。 「『放課後の音楽室』って言うんだよ。だからつい」 そう言って八樹は笑った。 あまりに単純だ。だいたい元々こいつは単純バカなのだ。 「めずらしく早いね」 八樹はピアノの前に座ったまま、柔らかな笑顔を浮かべる。 オレはそれには答えず、離れた所に腰を下ろした。 なぜこんなに早く来てしまったのか。 だいたい来るつもりも無かったのだ。 考えるのも面倒になってオレは机に突っ伏した。 「寝ちゃうの?」 今から目を閉じようというタイミングで、八樹が声をかけてくる。 オレは八樹を睨み付けた。 「どうせもうすぐみんな来るんだからさ、少し話でもしない?」 八樹はかなり変わった人間で、オレに常識を押しつけてくる。 例えばこうやって二人でいたら、話をしなくてはいけないといったような。 オレは仕方なくから身を起こした。 八樹の思惑に付き合う気はないが、寝れるような雰囲気でもない。 「半屋君はさ、卒業したらどうするの?」 柔らかい声のまま八樹が世間話とやらを始めた。 「てめェには関係ねーだろ」 「うーん。そうかな。気になるけど、俺は」 オレがそのくだらない世間話を打ちきろうとしたのに、八樹は柔らかく返してくる。 オレはイラついて隣の椅子を蹴った。 静かな音楽室にハデな破壊音が響く。 あっけにとられたらしい八樹はそれ以上何も言わず、ピアノのふたを閉めて窓の外を見た。 西日がほこりの中を真っ直ぐに進んで、八樹を照らしている。 八樹とは最悪の出会い方をした。 だからきっと最悪な人間だろうと思った。 本人は自分を歪んだ人間だと思っているらしい。だから時々そう振る舞う。 でもそんな大層なもんじゃない。ただの単純バカだ。 梧桐への気持ちが強すぎて、あんな事件を起こした。 いつでも梧桐を見ている。純粋に、強い心で。 考えてみればこういう風に八樹を観察するのは初めてだった。 節ばった大きな手をしている。 さっき両手で弾いてたところを見ると、ガキのころはピアノを習っていたのだろう。 そのころ柔らかかったはずの手は、剣道の練習でがちがちに固くなっているはずだ。 剣道の―――いつか梧桐を倒すことを目標に、自分を高めているその練習で。 その想いは歪まないのだろうか。 オレなら無理だ。 純粋な憧れなんてものは持ち続けることが出来ない。 コイツはどうなんだろう。 例えばあの手で梧桐を―――? オレは自分の想像の馬鹿馬鹿しさに首を振った。 コイツはきっとそういうことは考えない。 キレイな顔、キレイな身体、キレイなココロ。 本人がそれに気づいていないから、それは純粋なままで。 オレが近づくと、八樹は顔を向けてきた。 その表情は相変わらず柔らかく、オレが一方的に会話を打ちきった影響がまるで感じられなかった。 「何?」 「てめェはどうなんだ?」 「? ……ああ、卒業したら、ね。大学に行って剣道を続けるよ。もう推薦の話が何校かきてるんだ」 そうやってめざし続けるもの。純粋な―――想い。 オレは八樹の顔に手をかけ、その唇に自分の唇を重ねた。 舌を入れると舌を返される。 オレが触れたいと思った純粋さはそこには存在せず。 向けられた瞳は歪んだ―――腐臭すらただよって感じられる、歪んだ瞳。 「半屋君、俺の事好きなの?」 八樹は徹底的に他人を見下している艶やかな瞳で、オレを見た。口は酷薄そうな笑みに歪んで。 「かもな」 オレも同じように笑った。 「へえ―――。面白いね」 あの純粋さはオレが触れただけで醜く朽ち果てる。当たり前だ。オレのものではない。 「あ、来たよ」 廊下に梧桐たちの気配がする。 オレは八樹から離れた場所に座り直した。 音楽室は一瞬、何事も無かったような静寂を取り戻し。 そこに騒々しく梧桐達が入ってきた。 たまには八樹の純粋で綺麗な部分も書いてみよう! と思ったはずなんですが……。 話として思いついたのはここまでなんですが、書いているうちに「この後、どうなるんだろう…?」と不安になってきました(笑) こんな八樹に手を出したら(←一応、気分は八半なんですけど、この場合『手を出す』のは半屋の方ですよね? いや、どーみても半八に見えるというつっこみは置いといて(笑))大変なことになりそうですが、手を…だしちゃいそうですねぇ…。 |