八樹宗長には「線」が見える。 モノの壊れやすいところ。モノの「死」が。 すべてのモノはガラガラと崩れる。人も。この世界も。
月姫 -digest-
前からくる青年の躯にはたくさんの「線」が走っている。「死」が近いのだろう。もう助かることはない。 あの線のどれかにナイフを突き刺せば、その部分は死に果てて決して生き返ることはない。 それは知っている。試したことはないけれど。 八樹はすぐその青年に興味を失った。
そのとき、八樹の目の前を白い影がとおりすぎた。
―――ドクン
八樹の中の何かが激しくうずいた。
八樹は何かに憑かれたようにその白い影の後を追った。
―――ドクン、ドクン
白い、見たことのない男だった。
八樹はただその後を追い、彼が開けた彼の自宅のドアを押さえてその中に入る。
そして、怪訝そうな顔で八樹を見上げた彼の躯に走る線を切り裂いた。
―――ドクン、ドクン、ドクン
彼の躯はあっけなく切り裂かれ、玄関に血溜まりができる。
極度の興奮がおさまり、あたりを見回してみれば、見知らぬマンションの一室、生々しく光沢を帯びた赤い血、そしてついさっきまで人間だった肉塊。
オレハ、ヒトヲコロシタ。
俺は――― 八樹はその場から逃げ出した。
八樹は公園のベンチに座っていた。自分がどこを歩いていつからここにいるのか、まるで思い出せなかった。
いつの間にか雨が降ってきていて、八樹の躯をぬらしていたが、そのことにも気づいていなかった。
「いつまでそうしているつもりだ」 「梧桐、くん…」 傘もささずにいつものように厳しい瞳で八樹を見下ろしていたのは、生徒会長の梧桐勢十郎だった。
つれてこられた梧桐の部屋でシャワーを浴びながら、八樹はこんなことをしていていいのだろうかと不安になった。 人を殺したというのに。 八樹を見た人は―――梧桐は八樹を人殺しだと気づかないのだろうか。
次の日、梧桐は先に学校に行ってしまい、八樹は部屋の鍵を管理人にあずけ学校へ向かった。 もしかするとあれは夢だったのかもしれない。 今までどれだけ人の「線」が見えようと何もしたことはない。 それをいきなり―――見ず知らずの人間の「線」の全てを引き裂いて殺してしまうなんて―――そんなことはありえない。
そうだ、ありえない。この手に残る感触、むせ返る血の香り、そしてあのとき感じた極度の興奮も―――全ては幻にすぎない。 昼休みがすぎるとその思いは確信に変わった。
俺が人なんか殺したわけがない。
朝は休んでしまった部活も通常通りにこなし、八樹は校門へ向かって歩いていた。 昨日の自分が嘘のように気分が軽い。
夕日に染まる校門にタバコを吸いながら寄りかかっている人が見えた。 ―――ドクン まさか、そんなはずはない。 「おい、てめぇ八樹ってんだろ」 そんなはずはない。この人は夢の中の人。 そして―――殺したはずの人。 「おい」 その白い人はいらだたしげに八樹に触れた。八樹は思わずそれをはねつけた。 「あ、ごめん」 「んだよ、つまんねーヤツだな」 その人は八樹に興味を失ったらしく、こんなに長い間待っていたはずなのに、そのままどこかに行ってしまおうとする。 「待って、君は―――」 八樹が引き留めるとその人は嗤った。 「まさか知らねぇとか言うんじゃねぇよな」 知らないわけがない。その白い躯に走る線を、昨日自分が切り裂いた。今だって―――
でも、それは、自分のユメのはずだ。 「知らない……と思う」 「んだよ、相当だな。 ……てめぇに昨日殺されたんだよ。そう言えばわかんのか?」 「そんなことがあるわけないだろ」 八樹が小さい声でそう言うと、その人は『場所換えるか』と言って八樹を自分の部屋へ、あの場所へ連れていった。八樹は無言でついていった。
血溜まりのできていた玄関は、まるで何事もなかったように元に戻っている。 「俺は………昨日、君を殺したんだよね?」 その人は八樹を居間に座らせると、缶ビールを取り出し八樹に勧めた。 「ようやく思い出したのかよ」 ならあれは現実。たとえ「線」が見えても、決して人だけは殺すまいと思っていたのに。あんな簡単に、ただ自分の愉しみだけのために―――… 八樹が顔を上げると、その人と目があった。 そうだ、ならこの人は誰なんだ? 「君は…」 「半屋工」 「そうじゃなくて………半屋、君? 君は…」 「ああ、見りゃわかんだろ。生き返ったんだよ。さすがにもう一度切られたらムリだな」 「え?」 「てめぇ、何やったんだ? あんなとんでもねぇ切り方しやがって。おかげでしばらく全然くっつかねぇし、あのヤローの場所もわかんなくなってるし…」 確か、八樹は彼をバラバラに引き裂いたはずだった。どうしてそんなことをしたのかはわからないが、線のとおりに切り裂いた。 どんなものでも線を切れば生き返らないはず。 なら、これは、何なんだ? 「もしかすると、君、人間じゃないの?」 「あたりまえだろ、あんなんで生き返る人間なんていねぇよ」
半屋の説明によると、彼はいわゆる吸血鬼で、不老不死の躯を持っているらしい。ただ、「完全体」の吸血鬼のため人の血を吸うこともないし、十字架やニンニクをおそれることもない。 さすがに全く死なないって事はねぇけど、と彼は嗤った。
半屋は天敵を追ってこの街にやってきたのだという。 なんらかの力を使い、ようやくその所在を感知できたとき、八樹に殺されたのだという。
「時間がねぇんだよ」 だから手伝ってくれと、半屋はイヤそうに言い出した。 「………」 「てめェは殺し好きだからヤバイ橋も渡れるだろうし、わけのわかんない切り方ができるし、だいたいてめぇが殺すからわかんなくなったんだから……」 「うん、手伝う、けど。俺は………」 殺し好きなんかじゃない、と言おうとしたとき、新しい缶ビールを取りに立ちあがった半屋がぐらりと倒れた。 「半屋君!!」 抱き込んだ半屋の息は不自然に荒かった。今にも死んでしまいそうで………ようやく、八樹は自分が昨日、彼を殺したのだということを自覚した。 「半屋君!」 「…へ…いき…だ。じき…おさまる。それより…」 この街にいる「ごとう」という人間を捜してくれ、と半屋は言った。 |