何もない部屋にただベッドだけが浮かんでいる。
その存在を簡単に確かめることの出来た時間はすぎ、八樹に背を向ける躯はその距離よりも遠く感じられた。 「半屋君」
静かに呼びかけると、その人は顔をしかめながら、わずらわしそうに八樹を見た。
「よかった?」
話すことがあるわけでもないから、半屋の望む仮面をつけて、彼の嫌がる言葉を投げかける。
「いいわけねぇだろ」
「そう?」
含みをもたせてそう言うと、半屋はムッとした顔をして、また八樹に背を向けた。
単純な反応。簡単な躯。
何をきっかけにこうなったのかも定かではない関係で、手に入ったのはただそれだけ。
心地良い疲れに身をゆだねて、物思いにふけっていると、少し苦しげな寝息が聞こえてきた。
「そのまま寝たら駄目だよ」
「るせぇな」
「起きて。洗ってあげるから」
まだ気怠くてあまり動きたくはなかったが、このままでは半屋が本当に眠ってしまう。
八樹はゆっくりと半身を起こし、半屋の躯を揺さぶった。
半屋は八樹の手を邪険に払い、ベッドに顔を伏せた。
「そのままで寝るのが好きなの? なら別に止めないけど」
上辺だけの悪意を混ぜてそう言うと、半屋はぴくりと反応する。
「俺はシャワーを浴びてくるから。君は寝ててもいいよ」
悪意を乗せるのは、優しくするよりも負担がかからない。
昔はそう思っていた。
脱衣所の鏡で自分の顔を見る。
鏡を見るのは好きではなかった。誰にも見せたくない顔をしているし、どういう表情を取ればいいのかもわからない。
それでも時々鏡を見る。
いつかここに映る顔も、人の望む顔になればいい。
そうすれば、こうやって悩むこともなくなるだろう。
しばらく待っていたが、半屋が動く気配はない。どうやらあのまま寝てしまったらしい。
今日は無理を強いてしまったから疲れているのだろう。
そのまま寝かせてやりたいが、そうもいかない。
八樹はタオルに冷たい水を含ませ、軽く絞り、寝室へ引き返した。
「てめぇ………っ、何してる」
「何って、君が寝てるから仕方がないだろ」
突然、水に濡れたタオルで敏感な場所をぬぐわれて、半屋は跳ね起きた。
「ふざけんな。どけ」
半屋は八樹を乱暴に振り払うと、そのままの勢いでバスルームに向かった。
強いシャワーの音が聞こえる。
多分、半屋はシャワーを浴び、体を洗いながら、小さく毒づいているに違いない。
八樹はしばらく待ってから、半屋のいるバスルームに向かった。
「入ってくんな」
扉を開けたとたん、半屋が嫌そうな顔を向ける。
「俺、まだ洗ってないよ」
「ンなこと知るか。とっとと出てけ」
いつもと同じとげとげしい会話。
「だってここは俺の家だよ」
半屋はムッとしてそれ以上何も言わなかった。
半屋がシャワーを使っているので、バスタブに溜めた湯で体を洗ってからバスタブに入ると、疲れた体を温かく柔らかい湯が包み込んでくれる。
「半屋君おいで。洗ってあげるよ」
本当は傷つけるのではなく、優しくいたわりたい。
でもそれは自分には似合わない。
「洗ってあげるよ。自分では無理だろう?」
優しく言うこともできるはずの言葉に精一杯の悪意を乗せ、偽りの笑顔を浮かる。
今は鏡は湯気に曇って見えないから、どんな顔を作ることも出来る。
「てめぇ、そんなのの何が楽しいんだ?」
「さぁ? もしかしたら半屋君は楽しいかもしれないね」
「くだんねぇな」
八樹が浴槽から出ると、入れ替わりに半屋が浴槽にはいる。
「照れなくても、一緒に入れば良かったのに」
「洗い終わったんならさっさと出てけ」
「顔赤いよ。のぼせないようにね」
それだけ言って八樹は浴室を出た。
半屋の事を愛おしく思うようになったのは、半屋と躯を重ねるようになってからしばらくたってからだった。 何がきっかけという訳でもない。もしかしたら、気がついていなかっただけで、こういう関係を結んだ当初からそう思っていたのかもしれない。
しかし気づいた時にはもう遅すぎた。
その頃には半屋との関係は、人付き合いとは呼べないような醜く歪んだものになっていた。
それからずっと八樹は偽りの表情を浮かべている。
言いたくもない言葉を言い、取りたくもない態度を取る。そうしないと、この関係さえ崩れてしまうだろう。
着替えた半屋が八樹のベッドに潜り込んできた。
「てめぇももう寝ろ」
「そうするよ。おやすみ」
半屋はその言葉をうるさがるように、ベッドの端で、八樹に背を向けるようにして眠った。
どこに行くのかも、どこまで行けるのかもわからずただ彷徨い続ける。
自分を偽り続け、手にはいるのは空虚な関係だけ。それでも、それを手放したくなくて、あがき続けるしかない。
「半屋君、おやすみ」
すでに寝てしまったらしい半屋は何の返事も返してこない。
すっかり眠ってしまっている半屋の体に手を伸ばす。
触れたら起きてしまうだろうから、触れないように気をつけながら彼の体のラインをなぞる。
「おやすみ半屋君。いい夢を―――」
半屋をなぞった指を唇に押し当てる。まるで彼に口づけているようで、少しだけ寂しさが消えていった。
聖書から題材を取ってお話を作ろう! というテーマで書き始めたのですが、いざ書き始めたら聖書ネタの入る隙間などなく、「♪せーつない片思い あなたはきづかーなーいー」みたいな話になってしまいました(笑)
一応、タイトルだけには聖書ネタの名残がありますね(笑)
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