ストロベリータイム



ストロベリータイム




 三日前、パソコンが届いた。濃桃色のimac。あの人が欲しがっていた機種だ。
 でも僕は未だにそれに手をふれることができない。
 このimacを立ち上げたら一番初めにあの人にメールを書こうと思っているのに。メールを書くのが怖くて、梱包を解くことすらできない。
 だからまだimacはきれいなデザインの箱に入ったまま、妙に幼く感じる僕の部屋の中に置かれている。

 僕があの人、嘉神さんと出会ったのは、インターネットの掲示板でだった。誰も友達のいなかった僕は、カウンセラーさんのすすめでインターネットを始めた。でも、そこで知り合った人たちはみんな変に優しすぎて、逆に友達にはなれないような気がしていたころ、嘉神さんに出会った。
 嘉神さんは、ただ優しくうわべだけの返事をくれる人とはどこか違っていた。メールの中で会うだけの人だけど、ちゃんと『僕』と話してくれている、そういう書き方をしてくれる人だった。
 僕はすごくうれしくて、本当に具合が悪くてお医者さんに止められたとき以外は毎日、嘉神さんにメールをうった。

 嘉神さんは繊細な文章を書く人で、僕は嘉神さんのメールを読みながら、病室にいると感じることのできない四季の移り変わりを感じることができた。料理と編み物が趣味で、繊細な嘉神さんの文章を読んでいると、なんだか暖かい気持ちになってきて、ある日僕はこれが初恋なんだ、ということに気づいた。
 嘉神さんはどんな人なんだろう?
 僕は古いメールや新しいメールを読み返しながら、毎日毎日そればかり考えた。嘉神さんがどんなお年寄りだろうと、たとえば結婚していようと、退院したら僕の気持ちをうち明けて、どうにかして僕のお嫁さんになってもらおう、と心に決めてしばらくたったある日、僕は嘉神さんのフルネームを知った。
 嘉神己一。
 どこからどう読んでも男性の名前だった。
 僕はモニターの前で、僕の初恋が終わったことを知って、少し泣いた。

 嘉神さんが男の人だと知っても、やっぱり嘉神さんからのメールはうれしかった。前と変わらずうれしくて、前と変わらず暖かい気持ちになった。
 嘉神さんは男の人だから、僕が退院したらキャッチボールをしてもらえる。一緒に釣りにだって行ってもらえる。そう考えたら、嘉神さんが男の人で良かったような気がした。
 それに、よくわからないけど、男の人が男の人を好きになることだってあるのだそうだ。きっと僕はそれなんだろうな、と思ったら少し安心した。嘉神さんが男の人だって知っても同じように好きだなんて、なんだかすごくおかしいような気がしていたから。他にもそういうことがあるんだって知って、安心したのだ。

 男の人でもいいからお嫁さんになってもらおうと決めてから、数ヶ月。なんべん頼んでも嘉神さんは写真を送ってくれなかった。デジカメを持っていない、って言うんだけど、別に普通の写真でも良かったのに。
 僕は嘉神さんがどんな顔をしていても、例えばおじいさんだったとしても(このころには嘉神さんが高校生だ、ということは分かっていた。なんでも生徒の数が五千人もいる高校に転校したのだそうだ)がんばって僕のお嫁さんになってもらうつもりだった。
 だからどんな顔でもいいから写真が見たいのに。ただ嘉神さんをもっと知りたいだけなのに、嘉神さんは絶対写真を送ってくれなかった。

 しばらくして、僕は検査のために東京に行くことになった。東京には嘉神さんがいる。嘉神さんに会えるんだ、と思うとどんな検査だって受けられる気がした。それなのに、嘉神さんはなかなか会ってくれるとは書いてくれなかった。一日に何通もメールを出して、ねばりにねばってようやく、嘉神さんは会ってくれると書いてくれた。
 どうやら嘉神さんは自分の容姿にあまり自信がないようなのだ。
(そんなこと気にしてるなんて、かわいい人だなぁ)
 僕は嘉神さんがどんな顔をしてても、絶対見分ける自信があった。嘉神さんはきっと優しい目をしている。嘉神さんがどんな外見だったとしても、僕には全く関係ない。

 そして嘉神さんがお見舞いに来てくれると約束してくれた日。部屋の外から聞こえてきた声だけで僕は嘉神さんがわかった。人のことを真剣に心配していそうな声。きっとあの人だ。
 それなのに、嘉神さんと名乗った人は頭に角を刺したような妙な髪型をした、空手着を着た男の人だった。
 僕はその角を刺したような人の横にいるすごく身長の高い人が嘉神さんだ、ということに気がついていた。身長がものすごく高くて、がっしりした体型の人だったけれど、やっぱり優しい目をしているひとだった。
 嘉神さんと話をしたかったのに、嘉神さんは嘉神さんだということを名乗りもせず、角を刺したような髪型の人(嘉神と名乗ってはいたが、結局誰だったんだろう?)の後ろに隠れるように去っていってしまった。
 僕はいてもたってもいられなくなって、あわてて嘉神さんを追いかけた。ようやく会えたのに、話もできないなんて。
 僕はお医者さんに止められていたけど、走って嘉神さんを追いかけた。そうしたら、本物の嘉神さんが僕を心配して、今までごまかしていたことも忘れて、あわてて戻って来てくれた。僕はようやく嘉神さんに会えたのだった。

 その日から。寝ても醒めても嘉神さんの顔が頭から離れない。ちょっと身長が高いし、ちょっと体つきも大きいけれど、思った通りの優しい目をしたかわいい人だった。
 どうにかして病気を治して、嘉神さんにふさわしいような男になって、いつか嘉神さんをお嫁さんにするんだ。そう思って僕は治療に専念した。

 そして一週間ほど前に無事に退院し、今に至るのである。
 退院が決まったころは、すごく幸せだった。きっと嘉神さんも喜んでくれるし、休みになれば東京に行って嘉神さんに会うことだってできる。嘉神さんを驚かせようと、退院を内緒にしていた僕は、退院祝いに嘉神さんも欲しがっていたimacを買ってもらった。もちろん立ち上げたらすぐに嘉神さんにメールを送るはずだった。
 でも。
 実際退院してみると僕は急に不安になった。嘉神さんは「入院して友達のいない少年」とボランティアでメールを交換していただけなのだ。僕が退院してしまったら、嘉神さんは他の子供とメールを交換するのだろう。
 僕はそれを嘉神さんに書かれるのが怖い。きっと嘉神さんは優しいから、直接そんなことを書いたりはしないだろうけど。それに僕がメールを書いたらちゃんと返事をくれるだろうけど。
 入院もしていない僕に嘉神さんの時間を割く権利はない。

 そして、あけたらすぐにインターネットに接続できるというimacも、あけることができないまま三日が経つ。
 嘉神さんは少しは心配してくれているだろうか。
 退院したことを伝えて、嘉神さんのおかげだと感謝して。そういうメールを本当は真っ先に出さなきゃいけないんだけど。それで本当に終わりになりそうだから。嘉神さんのおかげで入院生活を乗り切った僕には、嘉神さんが他の子供とメール交換をするのを止める権利はないし、いままでのように無邪気に日々の出来ごとを書き送って、嘉神さんの貴重な時間を割くわけにも行かないだろう。
 
 いっそのこと入院しているフリを続けようか。そうしたら、嘉神さんはずっと僕のものだ。そんな誘惑が時々頭をよぎる。でもそんなことをしたら嘉神さんの純粋な好意を裏切ることになる。

 そんなことを悩んでいるうちに一週間経った。僕は検査のためにまた病院に行かなくてはいけなかった。野球選手になるのが僕の夢なんだけど、健康に普通に練習できるようになるにはまだ時間がかかる。

 病院に向かう道の途中、見覚えのある人を見つけた。頭に角の刺さったような髪型の、あの嘉神さんと初めてあった日にいた人だ。
(なんでこんなところにいるんだ?)
「元気そうだな」
 その人は、多分嘉神さんがメールで書いていた生徒会長の梧桐さんという人だと思うが、その梧桐さんがまっすぐに僕を見ていた。
「俺の下僕のメカゴリラが合宿のついでに貴様の見舞いをしてくれ、などと頼むからわざわざ病院まで来てやったんだけどなー。元気そうだなー」
 僕は梧桐さんの目が怖くて目をそらした。なんだかすべてを見透かされそうだ。
「で、なにか言い訳はあるのか?」
 僕は何もいえなかった。
「俺は自分の下僕を侮辱されるのが一番嫌いだ」
「侮辱なんてしてない!」
 僕に嘉神さんを侮辱なんてできるわけがない。いくら怖い人でも、そんなことを言わせるわけにはいかない。
「ほーう。そうか。退院したぐらいで態度が変わるだろうなどという浅はかな考えは、嘉神を侮辱しているとは言わないのか?」
「え?」
 そう言われて、僕の頭の中は真っ白になった。
 もしかして僕は気がつかないうちに嘉神さんを軽く見ていたのだろうか。
 自分の感情を守ることに必死になって、嘉神さん本人を見失っていなかっただろうか。
 僕の好きになった嘉神さんは、誰のことでも真剣に考えてくれる優しい人だったはずだ。退院したからって態度が変わるような人じゃないはずだ。
 僕は自分の気持ちを傷つけたくないあまりに勝手な想像をして予防線を張って、その予防線に自分で引っかかって落ち込んでいたような気がする。
「嘉神は貴様の容態が変わったんじゃないかとひどく心配している。はやく退院を知らせてやれ」
 梧桐さんは相変わらず怖い顔をしていたが、なんだか僕には彼が少し照れているような気がした。
「ありがとうございます」
 きっと梧桐さんは嘉神さんが心配しているのを見てられなくなって、ここまで来てくれたのだろう。嘉神さんと初めてあった日も梧桐さんがいなかったらきっと、本物の嘉神さんに会うことはできなかった。
「貴様が嘉神のことを考えすぎるあまりに連絡をとらなかったことはわかっている。くだらないことを心配するより、嘉神を信じることだ」
 そう言って梧桐さんは帰っていった。

 家に帰って僕はすぐにimacをセッティングした。宣伝の通り、すぐにインターネットにつなげる環境が整った。
 とどいていたメールは20件。そのうち14件が嘉神さんからのメールだった。一日に何通も来ている日があったり、逆にまったく来ていない日があったりするメールの日付を見ただけで、嘉神さんが真剣に心配してくれていたことが分かる。

 嘉神さんがあの大きな体を折り曲げて、心配そうにメールを書いてくれている姿が自然に浮かんできた。
 もしかすると、僕が思っている以上に僕と嘉神さんとは人間的なつきあいをしてきていたのかもしれない。そんなことを考えながら、僕はメールを書き始めた。




 そして甲子園で活躍した少年は、ドラフト一位になった日に嘉神にプロポーズしにくるのよー!! とまで考えた私は結構ぼけぼけですね。


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