お昼休み。御幸はもはや恒例となった手作りのお弁当を届けに生徒会室に向かった。 「勢ちゃーん! 今日のお弁当はねー!!」 思いドアを勢い良く開けると、そこには予想していた生徒会の喧噪はなく、伊織佳澄ただ一人が静かにパソコンを操っていた。 (げ……っ!) 伊織は苦手だ。話しづらいし、自分の本性を知っているし、なにより自分より梧桐と親しいのが気にくわない。ついでに言うと本物の女だ。まったく気にいらないったらない。 またこようと引き返しかけると。 「セージならすぐ戻ってくるわ。毎日、御幸さんのお弁当を楽しみにしているの。少し待っててくれるかしら」 そう言われてしまうと帰れない。大体、梧桐が御幸のお弁当を楽しみにしている様子なんて表面上はまったくない。それをぬけぬけと「楽しみにしている」なんて言い放って、しかも、 (きゃーん。勢ちゃんったらやっぱりミユキのお弁当楽しみにしてくれてたのねー!!) なんて、伊織にそう言われただけで思ってしまう。だから、この女は苦手なのだ。
「ねぇ」 一分ほどは辛抱したが、静かな部屋は嫌いだ。伊織は苦手なのだが、この際しかたがない。 しかし伊織は仕事に集中してるのか返事を返さなかった。 「ねぇ、ってば」 出会い方が出会い方だったので、伊織をなんと呼んだらいいのか未だにわからない。御幸は普通、女の子を「ちゃんづけ」で呼ぶようにしているが(そのほうがキャラに合うからだ)伊織に対してはそうもいかない。だから、未だに伊織の名を呼んだことがなかった。 「なにかしら?」 「あんたさぁ、バレンタイン、どうするの? 勢ちゃんになにあげるの?」 間近に迫ったバレンタイン。御幸は当然スペシャルなチョコレートを梧桐に作るつもりだ。しかし、この女はどうなんだろう。一応梧桐を好きなもの同士、仲間というわけでもないが親近感がないわけでもない。 「あげないわ」 「えー!!」 何を考えているんだ、この女は。せっかく女なのに! 「今まで一度もあげたことがないわ。そういうつきあいではないから」 そんなもんじゃないだろう。この時期、女子高生だったら少しはウキウキとしてて当然。しかも、彼氏(とは絶対認めないけど!)のような存在がいるわけだから、あげて当然。まぁあんまり似合いそうにないから、ウキウキはしなくてもいいけど、せめて無表情のままでいいからチョコをあげるぐらい……! (しそうにないか。この娘は) 本来、校内公認の梧桐の彼女であるのに、実体は違う。伊織は何があろうとも「彼女」になろうとしない。 (それでも、それでも、それでも……!!) チョコぐらいはあげなくちゃいけないような気がするのだ。それぐらいの楽しみはなくちゃいけないような気がするのだ。伊織といえども女の子なのだ。 「わかったわ! 買いに行きましょう!」 「いえ、わたしは……」 「つべこべ言わないの! 今日の放課後! 迎えに来るから! それとこれ、勢ちゃんに食べさせといてねっ!」 御幸は一生懸命作ったお弁当を伊織に押しつけて生徒会室を出た。なんだかちょっと梧桐にお弁当を食べさせてあげる気分ではなくなってしまったのだ。
放課後。いやがる伊織の首根っこをつかまえて、各種のチョコレートがそろうことで有名なデパートの地下へ引きずっていった。 「……!」 女性でごった返すチョコレート売場を見て、伊織は絶句していた。全ての売り物はチョコレート一色。仕事帰りのOLがうじゃうじゃと目を血走らせて品定めに励んでいる。 (この娘、この時期チョコレート売場に来たこともないんじゃないかしら?) そうだとしたら、この時期日本で一番チョコレートのそろうこのデパートはちょっとしたカルチャーショックを起こすものかもしれない。大体、制服姿の二人は周囲から浮き上がっている。 「きゃー! キハチの限定チョコケーキ、予約がいるなんてー!! ああっ! クイーンアリスのも!!」 ショーウィンドウにはものすごくおいしそうな見本が飾られていた。知っていたら予約を入れたのに。綺麗に飾られたケーキが御幸を誘っている。 振り向くと、伊織が不思議そうな顔で御幸を見ていた。 「ごめんね。私、こういうの好きなのよ。……とにかく勢ちゃんのチョコを買わなきゃね。どんなのをあげたい?」 「私は別に……」 「生チョコやオレンジピールはおいしいんだけど、ちょっとバレンタインらしいかわいさが足りないと思わない? ちょっと国産メーカーはヤな感じだし、いまさらゴディバでもないしね。ま、初めてなんだから無難にデメルのザッハトルテとかノイハウスでもいいかもしれないけど、やっぱせっかくここにきたんだからここでしか売ってないような……」 御幸はチョコを選ぶ女子高生っぽい熱に浮かれてぺらぺらと話し続けたが、ふと横を見ると隣で伊織が目を白黒させていた。 「……もしかして、わからない?」 伊織が大きく頷いた。伊織は美人だが、こういう仕草は女の子らしくてかわいい。 「ああ、もう! 説明してあげるからこっち来なさいよ!」 御幸は伊織を引っ張って、ごった返す売場をずんずん進んだ。あれがどこそこの王室御用達。あれは青山の人気ケーキ屋で……と熱心に説明する御幸に伊織はいちいち頷いていた。
「ほら」 今買ったばかりのチョコを渡すと、伊織は不思議そうな顔で御幸を見上げた。 「あげるわよ。食べてみれば。別にそんなにおいしくないけど」 ゴディバの売場で御幸が一粒だけハート型のチョコを買うのを伊織は横でじっと待っていた。 「でも……」 「バレンタイン用だったらこんなの買わないわよ。とりあえず超定番なんだから、一度は食べてみたら。ま、こっちのミルクチョコのはそんなまずくないから」 じっとにらみつける御幸の気迫に押されたのか、伊織はそれ以上逆らうでもなく、いただきますと言ってそれを食べた。 「おいしい」 そう言って伊織は珍しく笑った。ここのチョコは有名だけど、それほどおいしくないと御幸は思う。しかしとにかく一度は食べとかなきゃいけない種類のものだ。 「生チョコは?」 「……?」 「生チョコは食べたことあるのって訊いてるのよ」 「ないわ」 まったく梧桐は一体何をしているのだ! 生チョコのブームなんて一体いつからだと思っているのだ。この娘をこんなまま放っておくなんて。 わかってはいる。この二人はこれでいいのだということをわかってはいるけど。 「私、勢ちゃんに生チョコ作ってあげるから、余ったのあげるわよ」 「私は別に……」 「勢ちゃんにおいしいとこだけあげるから、ものすごく余るの! もったいないからあげるわよ」 その後、二人でぐるぐると売場を回って、結局伊織は御幸が勧めた店の、女の子らしくてかわいいチョコレートを買った。
(私も何してるのかしら) バレンタインの前日。梧桐にあげるチョコレートを作りながら御幸は微妙に不機嫌だった。 (敵に塩を送るなんて。まったくやきがまわったって感じ!) 御幸が作っているのは、伊織に宣言したとおり生チョコレートである。本当はトリュフにしようかな、と思っていた。トリュフの方が日持ちがするし見栄えも良くなる。でもまぁ生チョコの方が簡単だし、味もおいしい。フレッシュなうちに渡せばいいんだし、工夫によっては見栄えもよくなる。だから別にいいのだ。 一つ一つ、配合するお酒の種類を替える。そしてキレイに切り分けて、見栄えのいいところだけを組み合わせて梧桐にプレゼントするつもりだ。だから、ものすごく余るのだ。あんまり大きく切りすぎるといかにも手作りっぽくてかわいくない。だからとにかく余るのだ。余った分は他の四天王や生徒会メンバーにあげるつもりなのだが、とにかく余るのだから、少しぐらい生チョコを食べたことがないとかいう女の子にあげたって不思議ではないはずだ。 (明日食べなきゃまずくなるし) 生チョコの問題はそこにあるのだ。別にバレンタインに女にチョコをあげる、という意味はない。
「勢ちゃーん!! 私、チョコ作ったの。食べて」 御幸が差し出した、綺麗にラッピングされたチョコレートを梧桐はさまざまな文句をいいながらも、きちんと食べた。その姿を堪能した後、御幸は伊織を部屋の外へ呼びだした。 「ほら、生チョコ。食べてみなさいよ。すっごくおいしく作ってるんだから、すぐ食べてよね!」 梧桐にはものすごく綺麗にラッピングしたものをあげた。四天王や生徒会メンバーにもかわいくラッピングしたのをあげた。しかし、今差し出しているのはラップでくるんで ビニール袋に入れて持ってきたものである。このほうが風味は損なわない。もちろん男性陣にあげたものも、それぞれ渡す直前までビニール袋に入れて置いたが、見栄えさえ考えなければ味はこっちの方が上だろう。 「ありがとう」 「で、勢ちゃんにはもうチョコあげたの?」 「ええ、あげたわ」 (なんだ。やればできるんじゃない) 御幸は少しほっとした。なんだか出来の悪い生徒を見てるような気分だ。そして御幸が立ち去ろうとすると。 「御幸さん、これ」 伊織が差し出したのはこの前一緒に買いに行ったチョコレートだった。 「今、勢ちゃんにチョコあげたって言わなかった?」 「ええ。生徒会の人たち全員に」 「え?」 そういえば生徒会室にはごく安いチョコレートの袋が転がっていたような気がする。 「これは元々御幸さんに買ったものだから」 「はぁ?」 この娘は一体分かっているんだろうか? きっと伊織の人生で始めてプレゼントするチョコレートのはずなのだ。それをちゃんと分かってるんだろうか? (分かってない。ぜぇっったい分かってない) 「御幸さんこれ好きだって言ってたでしょう?」 涼しい顔で続けた伊織に、御幸は脱力しながらそのチョコレートを受け取る羽目になった。
八樹はしぶしぶどうでもいいものをくれた。青木と恵比須は共同で妙なものをくれた。(絶対恵比須が選んだのだ) 梧桐は何もくれなかった。でも少し優しかった。 そして。 「御幸さん、これ」 伊織がマシュマロとキャンディをラッピングしたものをくれた。御幸は伊織にチョコレートをあげたことなどすっかり忘れていたし、ついでに言うなら伊織からチョコレートをもらったことも、頭の中でそういう現象に分類されてなかったから、「おかえし」なんてことは考えつきもしなかった。 「?」 「チョコレートをもらったら、これを返すものなんでしょう?」 伊織は相変わらずの涼しい顔で言った。 「まぁ、そうかも」 すでにマシュマロだのキャンディだのいう風習は廃れてしまっているし、だいたいこんなものはチョコレートをもらったからといって女の子から返すものでもない。でも、まぁ。 「ありがとう」 なんだか妙に嬉しかったから、そんなことは教えないでおくことにした。
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