俺の家には父親がいませんでした。
父はいますが、その人は三ヶ月に一回、一週間ほど帰ってくるだけで、今でもずっと海外で働いています。
父と母は仲が良く、よく電話もかかってきていましたが、そして父が帰ってきたときにはよく遊んでもらいましたが、それでも、俺には父親がいないのです。
十一才年上の姉もいますが、姉は俺から見ると大人でした。大人な姉と大人な母はよく大人の会話をしていて、俺と一つ年上の兄はその会話に入っていくことができませんでした。
姉も母も優しい人で、俺と兄の面倒をよくみてくれましたが、それでも話に夢中になり、隣の部屋で二人で遊んでいる俺達に関心がなくなってしまうことがたびたびありました。
学校の話、友達の話、芸能人の話、ニュースの話。俺にはわからない話を二人はよくしていました。
その代わり、俺には兄がいました。
ひとつ年上の兄は、まるで母のように俺を守り、父のように俺を導こうとしていました。いつも兄が俺と一緒にいてくれたので、母と姉の会話に入っていけなくても平気でした。話したいことは兄に話し、兄も様々なことを話してくれました。
俺には兄だけが家族だった。たった一人の家族だったのです。
小学校六年の頃、兄は中学に、俺は小学校にと別れました。
一緒に帰宅することも、放課後一緒に遊ぶこともなくなりました。
俺は私立の小学校に通っていて、その小学校では元々、誰も放課後に友人の家に寄ったりはしていなかったので、いつも兄と共にいることがおかしいとは感じていませんでした。いつでも兄と二人で遊んでいました。兄は優しく、話も面白く、良い遊び相手でした。俺達は二人で近所を散策し、二人で新しい遊びを作っていました。
時々、俺はもっといろんな友達と遊んでみたくなりましたが、他の子供と遊ぶ機会はめったになく、兄と遊ぶのは楽しかったので、それで満足していました。
兄が中学に入り、毎日の生活から突然兄がいなくなって、それまでただのクラスメイトだった友人たちとの仲が急に接近していきました。
それまで必要のなかった友人というものができ、俺の世界は広がっていきました。
兄にはそれが理解できないようで、俺との時間を出来るだけ作ろうと努力していました。
そのころから、俺には兄が少しずつ疎ましく感じられるようになったのです。
俺にとって、本当の意味で家族と言えるのは兄だけであるのは変わりませんでしたが、兄は言うなれば過保護な母親のようなもので、無意識に俺の行動を束縛しようとするのです。兄はとても優しかったのですが、それは例えばお化け屋敷で手を引いてくれるような優しさでした。俺はたとえ怖くても、一人で歩いてみたい子供でしたので、兄のその優しさが束縛に感じられるようになりました。
新しい友人ができ、友人と遊ぶことに夢中になっていた俺は、兄をないがしろにしてゆきました。
家族だから。家族だからこそ、友人との遊びを優先させるのです。だって、家族の絆は何をしても壊れない。そのときの俺がそこまで考えていたとは思えませんが、兄が待っている日に友人との遊びを断ったり、兄が待っているのを知りながら友人と遊んだり、そんなことが積み重なって、兄が疎ましく感じられるようになっていったのです。
俺は友達がいるから、お兄ちゃんも学校で遊んできなよ。そう言うと、兄は寂しそうな顔をして、そうだね、と言いました。
兄はそれまで入っていた文化系の部活をやめ、元々入りたかったらしいテニス部に途中入部し、毎日遅く帰ってくるようになりました。
元々俺と一緒にスクールに通っていた兄は、テニス部でめきめきと頭角を現し、あっという間にレギュラーになりました。
俺もテニスがとても好きだったので、兄のするテニス部の話、テニス部の友人たちの話はとても面白く、俺もまた、兄の通う学校でテニスをしたくなりました。
そう言うと、兄はとても喜んで、裕太だったらすぐにレギュラーになれるよとか、一緒に全国大会に出ようねとかそのようなことを始終言うようになりました。
小学校と中学に別れ、俺にも友人ができ、兄にも友人ができました。そうやって少し離れてみると、兄はやはり尊敬のできる兄で、俺は兄をさほど疎ましくは感じなくなっていきました。
そして俺は兄の行く学校を受験することに決めました。家からも近く、テニス部が充実しているからです。俺はそのために塾に通いながら、テニススクールにも通い続けました。
俺の通っていた小学校では外部受験をする子供が多く、せっかくできた友人達ともしだいに遊ぶ時間がなくなっていきましたが、俺自身忙しかったので、そのことはあまり気にしていませんでした。
空いた時間には、兄からテニスを教わったり、勉強を教わったりもしました。
俺から見ると、兄は志望校の先輩であり、テニスの先輩でもありました。だから兄から教わるのが当然でした。
しかし、多分、兄から見るとそうではなかったのです。
兄から見れば、一度兄の元を去りかけた俺が、また兄の元に戻ってきたように見えたのでしょう。
考えてみればこのころから、俺と兄との歯車は狂い始めていたのですが、まだお互いにそれには気づいていませんでした。
俺にとっての兄は家族であり、そして俺はもう、その家族から自立し始めていました。
俺には漠然とした夢があり、その夢のために、家族である兄に協力をしてもらっていた。ただそれだけでした。
俺はとてもテニスが好きで、将来プロテニスプレイヤーになりたかったので、俺と同じ左利きでしかも兄よりも強いという手塚さんという人と闘ったり、一緒に練習したりしたかった。そしてテニスプレイヤーとしての兄を尊敬してもいたので、その兄と同じ場所でテニスをしたかった。
俺は話の上手な兄の語る青学という学校や、そのテニス部に憧れていただけだったのですが、兄は俺が兄と同じ学校に行き、兄と同じ部活をしたがっているのだと思っていたのです。
同じことを言っているので、お互いに気づいていなかったのですが、俺と兄の考えには決定的な違いがあったのです。俺は兄と一緒にいたいから青学を選んだわけではなかったのですが、兄はそうだと思いこんでいました。
そしてお互いにその違いに気づかないまま、俺は青学に入学しました。
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佐倉的設定。あまり突飛なものはない…と思いたい。
設定1.不二家は裕太と周助・母と姉に分かれていた(父は裕太幼少時に海外赴任) 母は下の子二人を産んだ時は少々高齢出産気味で、男の子二人に付き合う体力があまりなく、しかも二人ともよい子達だったのでさほど手をかけずに二人にまかせていた。
設定2.裕太と周助は私立の小学校。ちなみに私の知っているところは大体本当に放課後友達と遊ばずすぐ家に帰る。
設定3.不二は途中入部。いきなり現れてレギュラーになったので「天才」と呼ばれるようになった。
という感じです。少々重苦しいですがまだ続きますよん。