居間の隅に置かれていた、クッションの甘くなったソファーが、いつの間にか半屋の居場所になった。直すか捨てるかしなければならないと思いながら、すっかりそのソファーの存在を忘れていた八樹は 「新しいの買おうか?」 と聞いてみたが、機嫌悪そうににらまれただけで無視された。 どうやら、そのソファーが今の半屋のお気に入りの場所らしい。 また、半屋は居間の中央におかれたローテーブルが八樹の場所だと思っているらしく、滅多なことで近づいてこない。だから八樹も半屋のいるソファーのそばには近寄らない。 テリトリーははっきりと分かれていたが、たいていの場合、同じ部屋にいる。半屋から話しかけてくることはほとんどないが、それでも八樹の目の届く場所にいつでもいる。同居を始めて約半年。八樹はこの穏やかな空間をとても気に入っていた。 「半屋くーん、昼ご飯買ってくるけど何がいい?」 八樹はあいかわらずの無表情でソファーに座っている半屋に声をかけた。そろそろ12時だ。 半屋は一瞬八樹に視線を流して、またもとの無表情にもどる。 「じゃあ、勝手に買ってくるね」 今度は八樹の方を見ようともしない。別にいつものことなので、八樹は全く気にならなかった。 半屋の表現方法というのは、人にはわかりにくいらしいのだが、八樹には大体分かる。今みたいな無視は、普通の人間がうなずいているのと同じなのだ。 人に話しかけられて、その相手をするのがあまり好きではない八樹にとって、半屋は一番楽な相手だ。 梧桐以外の人間と話すのが得意でない半屋にとっても、多分、話しかけてはくるが意見を求めない八樹というのは楽な相手なのではないか、と八樹は思っている。 出かける支度をして、腕時計をはめようとしたとき、時計の針が五時を指したままなのに気づいた。 「この前電池替えたばかりなのになぁ」 動かない時計をぶらぶらと振りながら、八樹が振り向くと、半屋が八樹を見ていた。 「貸してみろ」 「何? 直してくれるの?」 半屋はそれには答えず、手渡された腕時計の文字盤を握りしめた。 (……? 何してるんだ? 一体) 気にはなったが、聞いたら半屋の機嫌を損ねるだろうことも分かっているので、何も聞かない。しばらく時計を握っている半屋の手を見ていたが、それ以外の動きをする気配もない。 八樹は待つことに決めて、まだきちんと読んでなかった新聞を読み始めた。 半屋と暮らし始めてから、以前は全く興味がもてなかった様々なことに興味がわいてくるようになった。 例えば料理の味。いままで料理なんて運動するためのエネルギーだとしか考えていなかったのが、急に味が気になるようになった。 例えば新聞に載っているくだらない情報。蛇が人を飲み込んだとか、平均的なアメリカ人像の統計が出たとか、今まで全く興味の無かった情報が面白く思えてきた。 そういう話を半屋に言っても、にらまれたりうるさがられたりする事はない。聞いてるんだか聞いていないんだかわからない無表情のままだ。しかし、時々ちらっと八樹を見ることがあるので、多分、そういう話も嫌いではないのだろうと思う。 「八樹」 何か面白い情報は載っていないかと読んでいるうちに、かなり熱中していたらしい。すっかり腕時計のことを忘れていた。 半屋の差し出した腕時計は、五時台のままだったが、ちゃんと動いている。 「え? 何したの? 半屋君」 どう見ても、ただ握りしめていただけだったのだが。 「ねぇ、どうやって直したの?」 ひどく不思議で、ねぇねぇと言い続ける八樹を横目でにらんで、半屋はさっさと自室に引っ込んでしまった。 八樹はしばらくその腕時計を眺めていたが、不意に自分がまだ礼も言っていないことに気づいた。 (というより、面と向かって礼を言われないようなタイミングで部屋に帰ったんだな) なんだか顔がほころんでしまって止まらない。 「半屋君ー。ありがとうねー」 半屋の部屋のドア越しに礼を言う。面と向かって言わなければ、半屋の負担になることはないだろう。 浮き立った気持ちで自転車に乗った。半屋と暮らし始めるまで、近所のパン屋で適当に買っていたのだが、今はそんなことはない。自転車で行ける距離に、おいしいパン屋があるのだ。少し遠くたっておいしい方がいいに決まっている。そんな些細なことがだんだん分かるようになってきた。 (ポテトフランス売り切れてないといいんだけど) ポテトフランスは半屋の好物なのだが、早く売り切れてしまう。八樹は自然と早くこぎ始めた。 そんなある日、八樹は前までだったら絶対に興味を引かれなかった広告に、つい見入ってしまった。 「半屋君、リースの土台ってさ、800円からなんだって。結構安いよね」 八樹が見ているのは日本有数のDIY専門店の折り込み広告だ。毎回フルカラーでテーマでまとめた広告をするので、読んでいて楽しい広告の一つではあったが、今回は今まで以上に興味を引かれる。 今回のテーマは目前に迫ったクリスマスで、その広告にはツリーやリース、オーナメントなどがにぎやかに並んでいた。 だいたい八樹はクリスマスという行事が嫌いだった。 人からもらうプレゼントというのも嫌いだし、クリスマスという行事に浮かれているカップルも嫌いだ。 赤と緑の単純なカラーリングにイルミネーションという組み合わせが、街のあちこちで氾濫しているのを見ても、毎年同じ曲ばかりのクリスマスソングを聴いても、よく飽きないなと感心するだけで、何の興味も引かなかった。 なのになぜだかこの広告のリースの値段にとても興味を引かれる。 一体どういう心境の変化か自分でもよく分からないのだが、この居間にツリーを置いてみたいなとか、部屋に入り口にリースを飾ってみたいとか、妙な誘惑に駆られて仕方がなかった。 「ツリーもさ、何の飾りもないタイプっていうのは安いもんなんだね」 半屋はいつものソファーに腰をかけて、興味なさそうに雑誌をめくっている。多分クリスマスの話題にも興味はないのだろうが、話を聞いてくれているのはわかっているので、八樹は話を続けた。 「この部屋、クリスマスにしちゃっても平気かな?」 半屋は雑誌から目を上げた。 「てめぇの家だろ」 「まぁそうなんだけどね。半屋君がいいって言ってくれないと意味がないと思うんだ」 そう言いながら八樹はソファーの近くの床に腰を下ろした。 「なんでだ?」 「なんでだろう? うーん、わからないけど」 半屋はなれた手つきでタバコを取り出し、火をつけた。 「別にかまわねーよ」 「ホント? イヤだったりしない?」 半屋は八樹から目をそらして、ため息のように煙を吐いた。 「ヤじゃねーよ、別に」 「そう? じゃ、買ってくるね」 次の日、八樹はそのDIY専門店に行き、ツリーやリースを買い込んだ。 何の飾りもないプラスチック製のツリーに綿をちぎって乗せる。馬鹿なことをしてるな、と思わないでもないのだが、妙に楽しい。 綿をおいたツリーにオーナメントをつけて、モールをかけて、電飾を巻く。さっぱりしていたツリーはごちゃごちゃと飾り付けられた。 (ちょっと飾りすぎたかな?) でもまぁいいか、と思い直して、リースの飾り付けに取りかかる。 (そういえばこんなの初めてだな) 覚えているクリスマスは、どこかから掘り出してきた本物の樅の木とターキーとクリスマスプディングだったり、予約したレストランでの食事だったりした。そして無邪気に喜ぶフリをしなければいけない、豪華なプレゼント。 八樹はなぜか昔からそういうクリスマスが嫌いだった。 普段八樹をいじめているような子供が、八樹の家のクリスマスをひどくうらやましがって、しばらくいじめをやめたりしたこともあったが、それでも八樹はクリスマスが嫌いだった。 そんな自分が嬉々としてリースに赤いリボンを巻いていることが信じられないが、楽しいので深く考えないことにした。 ツリーを置き、リースを飾り、キャンドルも置いて、ずいぶんとクリスマスらしい部屋に仕上がったが、どうも何か足りない気がする。 なんだろう、と八樹が悩んでいるところへ、半屋が仕事から帰ってきた。 「半屋君おかえりー」 半屋は口の中でもごもごと何かをつぶやくと、部屋の中を見渡した。 いつも半屋は帰ってくるとき、もごもごつぶやいているが、どうやら「ただいま」と言うか言わないか迷っている結果、意味不明なつぶやきになっているらしい。 「ねー、半屋君。なんか足りないような気がしない?」 「八樹。これどこにしまう気だ?」 八樹の買ったツリーは高さが120cmで、ものすごく大きい、というものではないが、言われてみればかなり嵩張る大きさだ。 「考えてなかったな。実家の納戸にでもしまっとくよ。そうしたら来年もできるし。それより半屋君、この部屋なんかまだ足りないような気がしない? あれかな、赤とみどりの折り紙で、輪っかのチェーンでもつくって飾ったらいいのかな」 半屋は深く息を吐いてから、 「それは止めろ」 と言った。 「なんで? 結構いい感じだと思うけど」 「いいからそれは止めろ。……ねぇのはアレだろ、ポインセチアだろ」 「ポインセチアって……ああ、あの赤と緑の葉っぱのやつか。半屋君ちってあれがあったの?」 半屋は顔をしかめて、 「ねぇよ。ンなもん」 と吐き捨てるように言った。 「じゃあさ、半屋君、クリスマスの思い出とかある?」 八樹は漠然と、半屋もクリスマスという行事が好きそうではない、ということを感じていた。でもそんなことは気づいていない振りをして聞いてみる。 「姉貴が、ケーキ買ってきたことがあったな。そういえば」 「え?」 答えが返ってくるとは思っていなかった。また無視されるだろうな、と漠然と思っていた。 「八樹?」 「うらやましいな」 「高校にもなって、サンタだのチョコレートの家だの乗ってる奴だったんだぜ? ったく」 八樹の声の重さに気づいたのだろう、半屋はそう言って笑い話にしようとした。 「うん。でもうらやましいよ。そういえば俺、そういうケーキ食べたことないな。予約しないと買えないケーキとか、母親の手作りとか」 半屋がけげんそうな目で八樹を見上げた。 「ああ、そうだね。母親の手作りがイヤだったっていうのはおかしいか。なんでだろうね、俺は嫌いだったんだよ」 何週間も前からていねいに作られたクリスマスプディング。分量も、中に入っているおもちゃの指輪も全て本に書いてあるとおりで。母親が手間暇かけて作っているものなのに、なぜかひどくよそよそしかった。 「今考えると、クリスマスプディングっていうのも結構楽しそうなもんだよね。来年作ろうか」 半屋はクリスマスプディングを知らないのだろう。眉間にしわを寄せていたが、別に説明をするつもりはない。ただ、きっと自分は来年作るだろうな、という気はした。 次の日、半屋に言われたポインセチアを買ったついでに、ふと目に付いたスノースプレーを買った。 居間の大きな窓にスノースプレーを吹き付ける。そりに乗ったサンタやトナカイなどの型紙の上からスノースプレーを吹き付け、型紙を取ると、きれいにサンタなどの形が出る。 作業を終えて見渡すと、部屋は見事にクリスマス一色に変わっていた。 こうやってみてみると、クリスマスというのは暖かい雰囲気の行事なんだな、と思う。クリスマス一色に染め上げられたこの部屋からは、居心地の良い暖かさが漂っている。 その日帰ってきた半屋はスノースプレーを吹き付けた窓を見て、呆気にとられたように立ちつくしていた。しかし特に何も口には出さなかった。 (半屋君は楽しくないのかなぁ) 半屋は何も言わない。多分嫌がってはいないだろうと思うのだが、何も言わないから不安になる。もしかすると単に八樹にあきれているだけなのかもしれない。馬鹿なことをしてるなと醒めた目で見ているだけなのかもしれない。 もし本当にそうだったら、この飾り付けを全部壊したくなるだろうな、と思った。 八樹の大学は年明けのテストへ向けて、キャンパス中騒がしかった。普段大学に来ていない人々もテストの情報とノートを求めて登校してくるし、八樹のように大学には来ているが部活のため一般教養の授業に出ていない体育会の人間も、この時期ばかりは授業に出なくてはならない。 「八樹くん、ノート集めといたよ」 一般教養の大教室の入り口に、人待ち顔で待っているその女を見たとき、嫌な予感がした。同じクラスの女なのだが、どうも親切にされすぎているような気がするのだ。 「でね、佐久文なんだけど、持ち込み、手書きノートだけなんだって。もし忙しいんだったら、私ノート作っとこうか?」 (佐久文……? ああ、佐久間先生の文学のことか。ノート作ってもらえるのはありがたいけど、かなりまずい状況のような気がするな) コピー代はいらないという女に無理矢理コピー代を押しつけながら、八樹はどうとでもとれる笑みを作る。 「じゃ、ノート作っとくね。で……、あの……」 女は八樹の曖昧な笑みを勝手に誤解すると、急に赤くなってうつむいた。 (半分演技、半分本気ってところかな。こういうのをかわいいとは思えないんだよね。でもここで下手うって、今後ノートもらえなくなるのも嫌だしな) 「あのね、お礼っていうんじゃないんだけど、今度の金曜、ご飯食べに行かない? えっと、だから……。八樹くん今フリーでしょ? だからさ、ほら、お互い寂しいじゃない? だから……あの、八樹くん、金曜空いてる?」 演技をする余裕がなくなって、うつむきながら早口でしゃべる女は、さっきよりは好ましく思えたが、だからといって八樹の心に響くわけではない。 その誘いは即座に断ったが、一つ気がかりなことがあった。考えてみれば、八樹は半屋の予定を知らない。八樹はすっかり家でクリスマスをやるつもりだったのだが、それを半屋には言っていない。 半屋は休日は大体家にいる。外出するときは梧桐に呼び出された時ぐらいだ。それに電話もほとんどかかってこない。だから、多分クリスマスを過ごす相手はいないはずだ。 でも、もしかすると、男二人でクリスマスをやるなんていう発想もないタイプの人間かもしれない。 (別に恋人のいないもの同士寂しく過ごす、とかいうんじゃないんだけどなぁ) じゃあどういうものなのか、と聞かれてもきっと答えられないだろう。自分でもよく分からないからだ。 しかし、すっかりそのつもりで準備していたし、半屋にも当然伝わっているはずだと思っていたから、今更改めて言い出しにくい。 (どうしよう? 大体、半屋君が家の飾り付けについてどう思っているかもよくわからないし) そんなことを考えているうちに、家につくころにはすっかり思考が暗くなっていた。 そういう精神状態で見てみると、あれほど暖かく感じた室内も、子供っぽく馬鹿馬鹿しく見えてくる。 (半屋君には、初めからこういう風に見えてたのかもしれないな……) 別にどうでもいいと思いながらも、飾り付けを壊すのもなぜか嫌な気がして、ツリーにのっていた綿を細かくちぎるだけにする。引きちぎった綿は無惨に床に散らばった。 「八樹?」 いつの間にか帰ってきていた半屋が引きちぎられた綿を見ていた。 「あ、おかえり」 八樹は散らばっていた綿をあわてて集めると、ぎゅうぎゅうとまとめてツリーの死角に置いた。 なんにせよ、半屋に予定を聞かなくてはいけない。 しかし、分かってくれているなら、こんなに準備の進んでいる今言い出したら、かなり間抜けだ。半屋が全く分かっていなかったとしたら、すっかりそのつもりになっていた自分はかなり情けないだろう。 だからさりげなく探りを入れて、半屋の反応を伺ってみることにした。 「半屋君、今週は忘年会とかの予定あるの?」 半屋の職場の忘年会はもう終わっていて、しかも半屋がめんどくさがってそれに欠席したことを八樹は知っていたのだが。 半屋は色素の少ない目でじっと八樹を見上げた。半屋の視線は強く、見透かされているような気分になる。 「ああ、ある」 「え? いつ?」 もう忘年会の時期じゃない。それに半屋は知り合いが少ない。だから、絶対ないだろうと思ってたのに。 「金曜」 「えーっ!!」 頭が真っ白になってぐらぐらするのが分かった。 「じゃ、土曜は? 土曜は空いてるんだろ?」 考えるより言葉が先に出る。さっきまでは半屋が気づいていなかったら、クリスマスなんて止めようと思っていたのに、25日でいいからとにかく家でクリスマスをして欲しかった。 「空いてねーよ」 「え? じゃあ、木曜は? 天皇誕生日。祝日だし予定ないよね?」 半屋はまた八樹をじっと見上げた。 「半屋君?」 「てめェはバカか? ああ、そういや前からバカだったな」 「は?」 「言いたいことがあるんなら、口に出して言え。なにが『今週は忘年会の予定あるの』だ、ったく」 半屋の言葉の意味を解釈できるまで時間がかかった。 「もしかして今の、嘘?」 半屋は何も言わない。 「ひどいよ、半屋君。俺、ほんとに予定があるんだと思った」 「ひでぇのはどっちだよ」 そう言ってふてくされたように横を向いてしまった彼を、抱きしめたいという衝動が不意に沸き上がった。 でもそんなことをしたら殴られるだろうから、拳を握って我慢する。 「半屋君はちゃんと予定していてくれたのにね、変な訊きかたしてごめん」 「予定なんてしてねーよ」 「そーだよねー」 意味のない虚勢を張る半屋がおかしくて、つい笑ってしまった。 「笑うんじゃねぇ」 言葉とともに飛んできた足払いにひっかかって、絨毯の上に転んでしまったが、それでもうれしくて八樹は笑い続けた。 それから八樹は玄関用のミニツリーと、クリスマスソングのCDを買い足し、半屋をあきれさせた。外のドアにリースをかけたら、「恥ずかしいことすんじゃねぇ」と即座に取り外された。 そして木曜日。家に帰ってみると見慣れないものが冷蔵庫の中に入っていた。 「なんでこういうことだけ気づくかな……」 そこに入っていたのは、シャンパンを模した子供用のジュース。メタリックな包み紙に包まれた、クリスマス専用のものだった。 憧れていたのは子供のクリスマス。 子供用のシャンパンめいたジュースで乾杯して、それほど高価ではないけれど暖かな装飾に包まれて、父親が仕事の帰りに家族のために買ってきたケーキは、派手だけどおいしくなくて。そんな、平凡だけれど思いやりに満ちたクリスマスに憧れていた。 恋人同士の儀式ではなく、金だけをかけて表面的にファッションをなぞったものでもなく、家の中で喜びを分かち合う、そんなクリスマス。 樅の木よりプラスチックのツリーが、名の通った本物のシャンパンより子供のために選ばれた偽物のジュースが欲しかった。 八樹は台所を出ると、あいかわらずソファーの上で雑誌をめくっていた半屋を、今度は躊躇せずに抱きしめる。 「………………!!」 半屋はひしゃげた悲鳴を上げた後、両足をばたばたさせてもがいた。 「何でそういう反応なのかな。素直に感謝の気持ちを現してるだけなのに」 そう言いながら、そのまま抱きしめ続ける。 「もしかして半屋君、こういうの始めて?」 「ンな変態てめぇだけだ!」 「そう? うれしいな」 面白くなって、足の動きも封じて抱きしめる。半屋の身体は手応えがあって、八樹にはちょうど抱きやすいサイズだった。 「いい加減放せよ!」 「半屋君、明日さ、仕事の帰りにケーキ買ってきてよ」 八樹がそう言うと、半屋は抵抗を止めて、 「別にうまくねーぞ」 と言った。 そうやって半屋は、八樹がどんなケーキを頼んでいるのか、当たり前のように分かってくれる。 家族でも、もしかしたら友人ですらないかもしれないけれど、こういう半屋がこの家にいてくれたからクリスマスをやろうなんて思ったんだ、と今更ながらに気づく。 「いい加減放せ。いてーんだよ。この馬鹿力ヤロー」 「あ、ごめん。すっかり忘れてた」 あわてて放すと、相当力を入れていたらしく、半屋はあちこちさすったりのばしたりした。 「おいしくないんだったら、普通のケーキでいいよ」 「そこまでまずくねーよ」 そう言うと、半屋は口の端だけで挑むように笑った。 「すっげーへンなの買ってきてやる」 「いいね、そういうのも面白そうで」 八樹がからかうと、半屋は軽く八樹をにらみあげた。 「ったく、これ以上バカにはつきあってらんねーな」 半屋はそう言うと、あくびをしながら自室に帰っていった。 次の日、クリスマスイブの夕方、すっかり支度を整えて八樹は半屋の帰りを待った。 目の前には綺麗に並べられた食事が並び、シャンパン用のグラスも二本並んでいる。 ありきたりだがきれいな曲ばかりのクリスマスソングをかけて、ドアの方に視線をやったとき、チャイムの音がした。 転がるように駆けだして、半屋を迎えに行く。きっと半屋はごく普通のクリスマスケーキを買って帰ってきたはずだ。 「半屋君、おかえり」 プラスチックのクリスマスツリー。シャンパンに似たジュース。派手な飾り付けに、使い古されたクリスマスソング。 そんな平凡な、でも生まれて始めての子供のクリスマスを始めるために、八樹はドアを開けた。 |