「…五百万円…!」 明稜四天王の一人、明稜高校きっての美少女アイドル(自称)ミユキは片手に雑誌を握りしめて勝利の喜びにふるえていた。 五百万円が手に入ったら… (ちょっと危ない橋を渡って戸籍を手に入れて! 女になって、せーちゃんと結婚できるわ! そうしたら残ったお金で手術だって受けてみせるわ! まってて、せーちゃん!) なにせ五百万は手に入ったも同然だ。だって、あれ以上の素材がいるわけない。たぶんいやがるだろうがそんなの目の前の五百万には変えられない。 (待っててー! せーちゃん〜!) ミユキの未来はバラ色だった。 「あのー、八樹君いますか?」 ちょこっとだけドアを開いて、剣道部の部室をのぞくと、中にいた部員たちは色めき立った。明稜高校の人間は一人をのぞいて全員ミユキの『事情』を知っているが、それでもミユキが飛び抜けてかわいいことにはかわりない。 「おーい、八樹、ミユキちゃんが来てるぞー」 「なに?珍しいね。梧桐君の用?」 練習はこれかららしく、剣道着を着ている最中だった八樹が腰帯を気にしながら現れた。 「ちょっとお話があるんだけど、いい?」 「かまわないよ」 人気のないところに連れ出して、手にしていた雑誌をつきつける。 「ね、八樹君。これ応募してもいい?」 そこに書かれていたのは『二十一世紀の石×裕次郎を探せ!』の文字。優勝者には一億円。推薦人には五百万円が手に入る、夢のビッグプロジェクトである。 「…君も?」 八樹はまわりに人がいないからだろう、不機嫌な表情を隠しもしなかった。 話によると、そのプロジェクトが発表されたときから八樹の周りは騒がしかったのだという。友人、親戚、先生。はては見たことのない女の子たちからさんざん同じ事を言われたのだそうだ。 「俺、そんなの興味ないよ。止めてくれないかな」 「冗談。目の前に金塊が転がってるのに無視する人間なんていないわ!」 八樹宗長は身長百八十五センチ。姿勢もスタイルも抜群で、なによりもその顔の整い方がすざましい。 ミユキの幅広い、レベルも高い交遊人脈の中でも五レベルぐらい上をいっている、群を抜いたレベルの高さで、しかも剣道インターハイ優勝者。ついでに言うといつでも他人に演技をしているので、演技力も抜群のはずで、剣道で鍛えぬいた声は美声。歌もかなりうまい。 つまりどっからどう見てもこれ以上の人間はいないだろうというレベルの高い男である。 (ぜんっぜんタイプじゃないけどね!) しかし女の子たちがさわぐのはよくわかる。客観的に見ると、これ以上の素材は日本広しといえども存在しないはずだ。 「そう言われても、興味ないしね」 「合格すると思ってるんだ?」 「まぁ、そういうふうに育っちゃったからね」 まるで他人事のよう。まぁ実際、八樹にとって容姿や人気はどうでもいいことらしい。 「いいもん!勝手に推薦するから」 「俺は出ないよ」 「五百万円のためだもん。出させてみせるわ」 「けどいいの? もし君が推薦人になったらテレビにフルネーム付きで映ることになるよ」 そう言いながら闇色の瞳で笑った八樹はかなり機嫌が悪そうだ。しかしそんなの無視無視だ。 「芸名で出るから大丈夫よ。それも全国に名前を売るチャンスになるしね。何があっても絶対優勝させてみせるわ!」 「背も伸びてきたし、骨格もしっかりしてきたように見えるよ、御幸君。そろそろ女装もきつくなってきてるんじゃないの」 これが嫌みだったら顔面に回し蹴りを一発入れているところだったが、単に何も考えてないで思いついたまま言っているらしいので、ぐっとこらえた。この男は機嫌が悪くなると発言内容がダークになるのだ。それに実はミユキも近頃それが気になっていた。 (やっぱホルモン注射、始めるしかないかしら…?) でもナチュラルに美少女でいたいのだ。改造は好きではない。 「話は終わった?俺、練習に行くから」 八樹はそう言うと、あっさりとその場を後にした。 (くやしいー! いいもん勝手に応募するから! 推薦なんだから本人の意思なんてどうでもいいんだからー!) 普通の女子なら卒倒するかもしれない八樹の後ろ姿を見ながら、ミユキは心の中でほえていた。 しばらくして。 『剣道部二年の八樹君。剣道部二年の八樹君。至急生徒会室に来てください。くりかえします…』 昼休みの体育科の教室に、明るい元副会長の声が流れる。 「梧桐君、用って何?」 八樹がいつも通り襟元をただして生徒会室にはいると、そこには第二十六代生徒会長、明稜帝梧桐勢十郎がでんと腕組みをして構えていた。 「オレは忙しいのだ。下僕のくせにくだらん用を増やすな」 「ごめん。いきなりそう言われても話が見えないんだけど…」 「今日、学校に問い合わせが来た。八樹宗長という人間はそんなに芸能界に入りたいのか、とな」 「…?」 「貴様が最高記録だそうだ。しかも学校の関係者が多かったようでな、推薦人を一人に絞れと事務局がこちらに相談してきた」 八樹はしばらく考えてようやく事態に気がついた。全部断ったはずなのだが、『目の前に金塊が転がっているのに無視する人間はいない』というわけだ。 「俺は出る気はないよ。そんなものに勝手に推薦されて迷惑だ」 「逃げるのか八樹」 「俺にその手は通用しないよ、梧桐君」 「一億もあれば竹刀も防具も買い放題だろう」 まさかこの梧桐勢十郎までそんなものに推薦したというのだろうか。 (ありえるな…) なにせ優勝者の推薦人には五百万が与えられる。ついでに優勝賞金の一億も折半だと言ってきかねない。 「たとえ君がなんと言おうと俺はそんなものに出るつもりはない」 「その外面が貴様の唯一の武器だからなー。人に負けるのは悔しいか」 梧桐は何があっても八樹を出場させるつもりらしい。 「金は欲しいのだろう?」 「そんなお金はいらないよ」 八樹はあまり親に物を買ってもらうのが好きではない。しかし竹刀も防具も胴着も新しい物に変えたい。そしてバイトをする時間もない。金が欲しいのは事実だ。 もちろん、八樹が梧桐の口に勝てるわけもなく、結局出場を承諾させられてしまった。 「推薦人は誰にするかなー。おお、ちょうど良いのがおる。これにするか」 梧桐が指していたのは御幸鋭児の名だ。 (…? 梧桐君じゃないのか?) 八樹はちらっとそう思ったが、もうどうにでもなれという心境だったので、そのときはあまり深く考えなかった。 一ヶ月後、ミユキの家に郵便物が届いた。 「…なにかな?」 そしてミユキは梧桐の元に走っていった。 地域大会や地区大会をなんなく通過し、八樹は三十人にしぼられた本選への出場が決まった。 (…なんで俺、こんなところにいるんだろう…?) 面接と質問だけだった今までと違い、ここからは大がかりなセットでの演技力テストや歌唱力チェックがある。そしてテレビにも映る。 (面倒だな…) 意気揚々としている他の出場者の中で八樹は一人、浮き上がっていた。いや、一人ではない。よく見るともう一人…。 「君、こんなところで何してるの?」 百八十を越す身長ばかりの出場者の中で、彼の背の低さは一際目を引いた。 「わたしだって知りたいわよ」 そこにいたのは男装(?)した御幸鋭児だった。確か彼は八樹の推薦人だったはずではないか。 髪を短めに切り、化粧を落とした御幸はまるで別人で、まさに美少年そのものといった風情だった。これだけ美少年ならオーディションに通るのも納得だったが、彼が応募していたとは聞いていない。だいたい彼の将来の夢は女優になることであって、俳優になることではないはずだ。 「せーちゃんなのよ」 「?」 「だから、わたしの推薦人、せーちゃんなの。がんばるしかないでしょ?」 彼は苦虫をかみつぶしたような表情で、でもどこか嬉しそうだった。 梧桐の意図がどこにあるかはわからないが、このオーディションは二十一世紀の石×裕次郎を探せ!なのだ。石×裕次郎と言えばワイルドでならした俳優。御幸以外に背の低い出場者がいないことからも、彼の不利は明らかだ。 そうこうしている間にオーディションが始まる。 御幸は自分が推薦した男の演技を見ていた。 (…さすが狐なだけあるわ) 八樹の演技は自然だった。相手役の女優の演技が浮いて見えるほどだ。 実は御幸はさっさと落選する予定だった。自分の夢は女優なのだ。こんなところで男として名を売りたくない。しかしトントン拍子でここまできてしまった。 とりあえず自分の目標は八樹を合格させ、五百万を手に入れることのはずだ。だからしっかりと八樹を見ていたのだが。 (…なんで、なんのやる気もないくせにあんな演技力があるのよ!) それも推薦した理由の一つだったのだが、同じ土俵に立つと腹立たしく感じてくる。 八樹の演技が終わり、審査員からは好意的な質問ばかりが出る。 (うー、なんだかムカツク!) いらついた御幸は自分の演技プランを練り直した。 歌唱力審査でも、八樹は声量と歌唱力の要求される歌を見事に歌い上げた。そのころには用のないスタッフなどが八樹の時だけ集まるようになった。 御幸は実のところそれほど演技が得意でもないし、歌もアイドル歌謡しか似合わない(下手ではない)。 仕方がないので、演技の時は自分の魅力が一番生きるはずの「かわいい年下の男の子」路線に切り替えた。歌だってあえて「かわいさ」で押し切れるジャニーズソングに切り替えた。ホントはちゃんとした歌を歌う予定だった。でもそれじゃ、あの狐に太刀打ちできない。 そのオーディションが終わり次のオーディションに進める人間が石×裕次郎の菩提寺で発表される。八樹は当然選ばれ、異色の存在だった御幸も、周囲の驚きにさらされながらどうにか決勝戦に進出できた。 「ねー、誰が選ばれると思う?」 このオーディションはとても大がかりなもので、優勝者を当てると百万円があたるクイズまで実施されていた。 「ほら、あの剣道の子で決まりでしょ」 「だよね、他にいないよね」 「でもさー、なんか一人かわいい子いたじゃん。あの子さー、剣道の子の推薦人らしいじゃん?」 「すごいよね。なんか怪しい感じ」 そう言って彼女たちは同類同士の密かな笑みを漏らした。 「やっぱ剣道×かわいこちゃん?」 「いや、私はかわいこちゃん×剣道。剣道×かわいこちゃんじゃつまんないよ」 「でもあれだけ美少年で攻めはないでしょ? 女の子みたいじゃん」 「そこをあえて攻めなとこがおもしろいんでしょー」 「でも受けをオーディションに推薦するのっておかしくない?」 「そっか。やっぱ剣道×かわいこちゃんか…。彼氏の合格を近くで見たいから僕もオーディションに参加しました!って感じ?ベタだなぁ」 「そうそう! でもこんなこと考えているのうちらだけだよねー」 そう言って彼女たちはまた密かな笑いを漏らした。 しかしそういう会話を交わした人間は全国で二千人以上いたという…。 総合的なスター性を見るためのアクション映画撮影が進んでいた。一番手は八樹で、その演技の確かさと動きの流麗さに他の出場者は敗色濃厚な顔をしている。 (なんであんな、のほほん狐に…!) 同じ芸能界を目指す仲間として、ほかの出場者にもがんばってほしいと思う。もう推薦人の五百万はどうでもいい。やる気のないのほほん野郎がこのままおめおめと優勝するなんて耐えられない。 「なんだ、みんなふがいない!」 御幸は馴れない男言葉で他の出場者を怒鳴りつけた。真っ先に落選確実のひ弱そうな美少年の迫力ある怒鳴り声に、他の出場者たちは呆気にとられている。 「あの男は芸能界を目指してるわけじゃない! あんなのに負けて悔しくないのか!」 「ムリだろ―――」 「俺だってそこまで真剣に目指してるわけじゃないし…」 ここに残っている誰一人として八樹を上回る顔の持ち主はいないし、インターハイ優勝という経歴にも勝てない。 怒りに突き動かされた御幸は、やる気のない出場者の一人一人に、その人間が一番効果的にアピールできるような演技プランを練って教えた。御幸はもともとそれほど演技がうまくないが、それでも女優になるために研究に研究を重ねた。しかも女性的思考を良く知っているから、男がかっこよく見える方法もよくわかる。 もともと自分に自信を持っている人間の集まりだ。少し自信を取り戻すと、あとは過剰なほどの自信を示し出す。そしていつもよりかっこよく見える自分に酔い始める。 それを八樹はあいかわらずやる気のない、だからこそ冷静な目で見つめていた。 「なんだろう。みんな急にやる気になったね」 (―――ホントに勝てないかもしれないわ。これじゃ) この男は強すぎる。自分の容姿を使える武器の一つぐらいにしか思ってないから、他の、今まで容姿だけで人生をうまく生きてきただろう候補者とは立っている場所が違いすぎるのだ。 そして御幸の番が回ってきた。 御幸は女性心理を良く知っている。そして女性が「守ってあげたくなる美少年」に弱いことも良く知っている。そしてそれが嫌みじゃなければ男性受けもよいこともちゃんと知っている。だから、監督に逆らってもその姿勢を貫いた。個性を殺されたら絶対八樹には勝てない。 (やるだけやってみせるわ!) 御幸は燃えていた。自分が石×裕次郎にほど遠いことは良く知っていたが、それでも芸能界に入りたい気持ちでは誰にも負けないのだ。のほほん野郎が目の前でタイトルをかっさらっていくのをただ見ているわけにはいかない。 そして…。 「優勝は三番、御幸鋭児さん!」 (…は?) 会場のスポットを浴びながら御幸はすっかり固まっていた。 (わたし、確か落ちるつもりだったんじゃなかったっけ?) 八樹ののほほんぶりに怒り狂っているうちに、すっかり当初の目的を忘れていた。 会場では御幸が決定するに至った過程を劇的に紹介するフィルムが流れていた。 いわく芸能界にかける熱い情熱。他人にもプランをつけるその男気。女性を意識した自己演出。そういうもののすべてに亡き石×裕次郎の面影が宿っているのだと。審査は撮影以外の場所で行われていたのだった。 一方。 (審査員特別賞ね…。百万円は嬉しいけど、なんかうまく使われた気がするのはなんでなんだろう…) ぶっちぎりの優勝候補だったはずの八樹は、御幸が会場中央で固まっているのを横目で見ながら、なんとなしに居心地の悪さを感じていたが、もともと芸能界には全く興味がないのだ。思考はいつのまにか百万の使い道、つまり新しい防具や胴着トレーニングセットなどに移っていた。 そして。 優勝者推薦金五百万を手に入れた梧桐は腰に手を当てて高笑いをしていた。 「まさに俺様の読み通りだな!」 推薦人のコメントは全国に放映された。それはほとんどの人に不快感を与えたが、自宅で見守っていた伊織はその梧桐の姿を見ながら満足げなほほえみを浮かべていた。 その後、二十一世紀の石×裕次郎こと御幸鋭児は、まさに二十一世紀を代表する大スターへと成長した。身長も肩幅も順調に成長し、誰も―――ミユキ本人でさえ、彼がかつては女優を目指していたことなど思いつくことはなかったという。 |