こんな男は知らない。
たとえ昔と変わらぬ強い瞳を持っていようとも、たとえ昔と同じ存在感を持っていようとも、半屋はこんな男は知らないし、興味もない。そう思ってしまえば、この男は見世の前で騒ぐ迷惑な客にすぎなかった。
「半屋」
半屋は男の声を無視して、煙管を吸おうとした。しかし細く長い煙管の先が、なぜか細かく震えている。まるで自分が震えてでもいるかのように。
半屋は煙管を置いた。
「なぜこんなところにいる。この店を守ると言ったのではなかったか」
こんな男は知らない。ここにいるのはただの迷惑な客にすぎない。知らない。髪型も違うし、背丈も違う。声も肌も昔とは違う。
半屋は顔をあげて、格子越しにその男と向き合った。
「オレと話がしたいなら、買ってからにしろ」
半屋はそう言って、また煙管に手を伸ばした。この男は見知らぬ客で、自分は花魁の真似事をしている見せ物だ。買うのか買わないのか、それだけしかない。
煙管を吸い、灰を落とす。もう煙管は震えていなかった。
「あれだけ言っておいたのに忘れたのか。サル頭め」
昔もよく、サルだサルだとからかわれた。そう言われると、瞬時に体が反応していた。
「てめぇ………」
昔と変わらぬ言葉に、半屋は思わず顔を上げてしまった。
梧桐は少し懐かしそうに半屋を見ていた。
「久しぶりだな、半屋」
半屋がどんなに違うと思いこもうとしても、その男は梧桐だった。少し懐かしそうにしているその様子が梧桐には似合わなかったが、半屋が梧桐を見るとすぐに昔通りのふてぶてしい顔に変わった。
「こんなところで何をしている」
格子の中に並べられている今、その問いに答えられるはずもない。
「用がねぇなら帰れ」
「会いに来ると言ったであろう」
繰りかえし見る夢の中で、梧桐は確かに会いに来ると言っていた。会いに来る、もう一度手合わせをする、そんなのは果たされることのない口約束のはずだった。
梧桐は何も言わず、半屋の反応を見ている。
そのとき遠くに半屋のなじみの客が見えた。普段なら、客のことなど、声をかけられるまでは気づかない。しかし今は、その客が半屋を買おうと浮ついているのさえわかる。
この男の前で客に買われるのか。半屋は着物を握りしめた。
「まあ良い。また来る。手合わせはその時だ。それまでに自分のしたい事をもう一度考えておけ」
梧桐は突然そう言って去っていった。入れ替わるように客が現れ、半屋を買った。
半屋につく客は二つの種類に分かれる。毛色の変わった花魁として半屋を買う者と、珍しい場所にいる陰間として半屋を買う者だ。今相手をした客は男を抱くのを好む質で、半屋の躯にばかり執着していた。
さんざんに弄ばれ、身支度を整えるのもおっくうでそのまま寝そべっていると、音も立てずに幕真が部屋に入ってきた。
「だらしない格好だな、半屋」
幕真は底の読めない笑みを浮かべながら半屋の向かいに座った。
「るせぇ」
「あの男かい?」
「何がだ」
「あんたがいつも夢に見てる男だよ。さっきの男なんだろ」
「…………っ」
「何遍も肌を重ねていれば、あんたが毎度どんな夢を見てるのかも、だいたいわかるようにもなるさ」
幕真は楽しそうに半屋の肌に指を滑らせる。
「あんたはずっとここにいるのに、あの男が来たのは初めてだ。ということは、あの男は今まで江戸にいなかったんだろうな」
幕真ま自分の言葉に合わせて半屋の肌を嬲る。
「うるせぇよ。するならさっさとしろ。まだ夜見世があんだよ」
「俺がここに来る前の知り合いなんだろうな、半屋。それからずっと江戸を留守にしていて、どうもこれからはずっと江戸にいる様子だ」
「何が言いてぇ」
「そう言えばあんたの通っていた道場に、新しい将軍様が通っていたことがあるらしいな。花魁と将軍が同じ道場に通っていたとはおもしろい話だ」
半屋はぴくりと躯を固くした。その反応に幕真は楽しそうに笑う。
「新しい将軍様と言ったら、ちょうどあんたと同い年ぐらいだ。一度くらいは会ったことがあるのかい」
「知らねぇよ」
幕真はしばらく何も言わず、笑みを浮かべたまま半屋の火照った躯をまさぐり続けた。
「そういえば、半屋。あの話は考えたかい」
「何の話だ」
「俺があんたを身請けするっていう話だよ。それともさっきの男にでも身請けしてもらいたいのかい。将軍だっていうなら、少しは自由になる金もあるんだろうしな」
「………っ」
その瞬間に幕真は半屋の躯を開いた。半屋は何も考えることができず、ただ幕真に翻弄された。
つづく
閑話休題
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