ひどく苦しい。
 人型をとることができるようになってから、この苦しみは続いていて、半屋の存在自体が侵されてゆくような気がする。
 時に光のように、時に波動のように襲いくるその感触から、逃れるためならきっとどんなことでもするだろうと思うのに、時々その感触の源に向かって飛んでゆきたくなる。
 気がつくと空を駆ける姿を取っている自分がひどく忌々しい。
 獣の姿を取り、蓬山を捨て、その感触に向け飛んでゆこうという段になって、自分がなにをしようとしていたかに気づくのだ。
 そして半屋は自ら髪を切った。
 生まれてから一度も切ったことのない銀の髪を切り落としたとき、まわりの女仙は悲鳴をあげたが、半屋には関係なかった。

 

 半屋は珍しい銀色の鬣(たてがみ)を持つ麒麟なのだそうだ。
 麒麟は王を選び、王の僕となる。王の側にいるだけで幸せを味わい、王から離れるのを厭う。
 自分は本当にそんなものなのだろうか。
 女仙たちは珍しい銀麒麟の選ぶ王はどんな王なのだろうと、ことあるごとにはやし立てる。
 女仙から離れ、一人になれる場所を探すのだが、彼女たちはどこまでも追いかけてきて何かと半屋の世話を焼く。
 半屋を肉親のように慈しむはずの女怪は、どこかに出かけていることが多く、半屋はかしましい女仙の中にただ一人置かれた。
 麒麟として生まれ、麒麟の世話をするための女仙に世話をされ、天啓を受け王を選ぶ。
 すべてがわずらわしい。
 みたこともない天など信じられないし、その意思をうけ王を選ぶ器が自分だなどと信じられるわけもない。
 なのに気配を感じる。圧倒的な、半屋のすべてを替えてしまいそうに圧倒的な気配。


 昨日、半屋の国・明稜に麒麟旗が立った。それを見た半屋の王は、半屋のいる蓬山を目指して昇山してくるのだろう。
 王などいなければよい。王のいない明稜がどんなに傾こうと、半屋にはなんの関係もない―――そう思おうとしているのに、時折どこからか民の祈り、王を望む想いが伝わってくる。
 わずらわしい。なにもかにも、蓬山も明稜も女仙も明稜の民も王も半屋自身も、粉々に砕け散ってしまえば良い。
 半屋は宮の奥深くに隠された、感覚を鈍くする作用がある薬、煙草を覚えた。
 女仙に隠れ、煙草を吸っている時だけ、何かから解放される気がした。

 

 麒麟である半屋を求め昇山する人々が、半屋の住む蓬山にたどり着く時期が迫っていた。
 女仙達はそれに備え、念入りに準備をしていたが、半屋にはどこか他人事だった。
 あの気配は近づいてこない。
 いつでも感じる、肌を突き刺すようなあの存在感は遠く離れたままで、近づいている様子はない。
 その気配が厭でならないのに、それが近づいてこないことに半屋はわずかに失望した。

 
「麒麟旗が立って初めての機会だというのに、昇山のものがあまりにも少ない」
 女仙達は一大事とばかりにそのことばかり噂し合っていた。
 普通、麒麟旗が立ったばかりであれば、我こそは王だと自負するものが大挙して押し寄せるものだ。なのに離宮へ到達したものは随身を含めわずか十人。旅の途中で妖魔に襲われでもしたのだろうか。その数は異常だった。
 
 しかしその十人のなかに、美しいものを見慣れている女仙さえ浮き足立たせる美丈夫がいるという。
「それはそれは大層な美しさで、新参者の女仙など仕事に手がつかないほどです」
 離宮に足を運ぼうとしない半屋にじれて、女仙達はことあるごとにその男の話題を持ち出した。
 
 いずれにせよ、一回は会わなければならない。その男やその他の昇山のものが王ではないことはわかっていたが、必ず一度は会うのが麒麟のつとめだった。
 離宮で長々とした 口上を聴こうとは思わない。半屋は一人、彼らの休む天幕へ向かった。
「君が半屋君………なのかな?」
 天幕の側で素振りをしていた男が真っ先に声をかけてきた。
 なるほど、確かに美しい姿形をしていた。そしてそれは王となるべき器のようにも思えた。
「どうしたの? もしかして天啓があったりした?」
 そう言いながら男はからかうように笑った。
 明稜の四天王の筆頭だというその男―――八樹と話していると、どこからかあまり知恵の働きそうにない男が数人、転がるように出てきて半屋に平伏し、口上を述べた。
「髪、短いんだね」
 八樹はその男達にはかまわず、話し続ける。
 半屋もまわりの男達にはかまわず、八樹を見つめていた。
 この男には王となるべき条件がそろっているような気がする。今の明稜のように荒れ果てた時の王ではなく、たとえば長く続いた安定が突然崩れた後の、その安定への幻影を断ち切る王としてなら。
 こうしている今も遠くから、あの強い気配を感じる。遠く―――おそらく明稜から半屋に届く、強く、烈しい存在感。
 あの気配に屈するのだけは我慢ならない。ならば、いっそ―――
「君は面白いね」
「アァ?」
「俺は麒麟なんて綺麗事ばかり言って、王に尻尾を振る莫迦な生き物だと思っていたけど」
 目の前にいるのは、きっと次代の王。あの気配に屈するのなら、いっそのこと―――
 そう思い、半屋は八樹の前で膝を折ろうとしたが、何かが邪魔をして巧くできない。
 そのとき、遠く明稜にある未だ出会っていない存在を、その姿がわかるほどに強く感じた。
「く………っ」
 その存在にとらわれている。そんなことなどあってはならない。
 半屋は八樹の前でかろうじて膝を折った。
 八樹にひざまづいて契約を交わしてしまえば、あの苦しいほどの圧迫からは逃れることが出来る。天啓のない八樹と契約を交わすことなどできるのかはわからない。しかしやってみなければわからない。
 半屋の体から脂汗がにじみ出てきた。
 もともと麒麟は王以外の人間の前でひざまづくことができない生き物なのだ。
 それでも、あの存在に屈して、自分が自分でなくなり、その存在の側にあるだけで喜び、離れるだけで涙する、そんな生き物になり果てるよりはましだと思えた。
「本当に面白い………俺の麒麟じゃないのが残念だな」
「なんだと?」
 半屋は顔を上げた。
 今、麒麟がひざまづこうとしているのに、なぜこの男はそんなことを言うのだろう。
「だって君は梧桐君の麒麟だろ。あ、梧桐君が君を残して死ねば、俺のものになるのかな。なんかそんな感じだね」
「ご………とう?」
「明稜には王がいるよ。君だって知ってるみたいだけど。名前を聞くのは初めてなのかな?」
 半屋の脳裏に会ったことのない王の面影がよぎった。伸びやかな、実戦的な体躯。鋭く烈しいまなざし。
「だから今回は相当の間抜け以外昇山してきてないよ。今回を逃したら当分麒麟は生まれないだろうし、決まるんなら早く決まってくれないと色々妙なことを考えちゃうかもしれないし―――だから、俺は一応昇ってきたけど」
 半屋は八樹の言葉を最後まで聞いていなかった。気がつくと獣型になり、空を駆けていた。

 

 「おそかったではないか。待ちくたびれたぞ」
 半屋は獣型を解き、初めて見る明稜の宮殿の中を歩いていた。初めてなのにすべてを知っている気がする。この場所も、目の前にいる男のことも。
 まだ王ではないその男は、すでに王座に座って、ふんぞり返っていた。
「バカか。てめェから来るのが当然だろ」
 その男から立ち上る圧倒的な王気。半屋の体は今すぐにでも平伏し、契約を交わそうとしていたが、半屋はそれを無視しようと努めた。
 この男には弱みはみせられない。ただ自らの宿命に従うだけの麒麟なら、この男の側にあることはできないだろう。
「オレは忙しい。貴様がオレに気づいていることは知っていた。ならばわざわざ時間をかけて山を昇る必要もないだろう。オレは明稜を守らなくてはならん」
 そばにいるだけで腹が立ってくる。たぶん、一生この男を好きになることはないだろう。
 ただ、好きでも嫌いでも半屋の感情を波立たせたのはこの男が初めてだった。
「貴様が生まれたときから、貴様がオレのものだということはわかっていた。貴様にもオレが貴様のものだということはわかっていたのだろう?」
 何か今、妙なことを言われた気がしたが、たぶん聞き間違いだろう。半屋は何も言うことが出来ず、梧桐を睨みつけた。
「まあいい。二度は言わん。来い。契約させてやる」
「セージ! 駄目だよ、そんな言い方じゃ。せっかく半屋くんが来てくれたのに、逃げちゃったらどうするんだよ。半屋くんのための準備だって、ずいぶん前からいろいろしてるんだから」
 玉座の後ろにある小部屋から、話をすべて聞いていたらしい人間が大慌てで出てきた。明稜の人間には見えない。多分異人だろう。
「このサルはオレの下僕になりたくてうずうずしておるのだ。契約させてやると言ってなにが悪い」
「半屋くんは麒麟なんだから、サルとか言っちゃダメだよ〜」
 梧桐はその異人を無視して、腕を組んでのけぞり、大仰に足を組んだ。
「どうした? それとも地面にはいつくばって契約するのが好みなのか? 別にオレはそれでもかまわんが」
 麒麟は本来、平伏し、王の足に額をつけて口上を述べなくてはならない。
「誰がんなことするか」
 半屋は平伏せずにすむように伸ばされた足に、わずかにかがんで額をつけた。
 梧桐がなぜ足を組んでいるのか、そんなことは考えたくない。ただ単に偉そうな態度が好きなだけだろう。
「オレが飽きるまではてめェのそばにいてやる」
「そうか」
 半屋は足から顔を外し、梧桐をにらんだ。
「たぶんすぐ飽きる。それまでだ」
「ならばそうしろ」
 半屋は自分の体が作り替えられたのを感じた。きっと、梧桐もそうなのだろう。


 しばらくして王の即位を知らせる鳥、白雉(はくち)が明稜帝の即位を鳴いた。
 この王朝は長く続く。半屋が飽きることも、多分ない。
 
 

 




 とゆーわけで十二国記です。
 なんというか小野不由美ちっくにかたくるしい文体になってしまったのが一番の謎。やはり引きずられるものなのですね。

十二国記は好きなので良く読みます。一番好きなのは図南の翼。
    相変わらず同人萌えもなく、ふつーに好きだったわけですが、風邪を引き込んだので、布団の中で短編集を読み返していたら、頭がぼやけていたせいで、ついうっかり明稜萌えモードに(笑)
  ふつーに好きなはずだったのに〜。でもやっぱ王・梧桐は萌えなのでした。 
 十二国記では「色々悩んで成長するタイプ」も王に向いている判定がされているっぽいので、ある意味八樹も王に向いているでしょう。でも梧桐さんと比べたら(笑)
 あ、あと一応半屋の女怪は伊織だったのですが、出番はありませんでしたね。半屋よりも梧桐さんに仕えている女怪(笑) 

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