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3月10日

 

 いよいよ、アメリカによる対イラク戦争が間近に迫ってきた。国連安保理による決議が可決されようが否決されようが、やると決めたらやるのがアメリカのやり方であるし、世界最大の軍事力を保有するからこそ出来る行動でもある。 

 アルカイーダとイラクがどのような関係にあるか真実を知る由もないが、共通する事実があるとすれば、どちらもアメリカを心底嫌っていると言うことだろう。 

 評論家に言わせると、戦争する真の目的はイラクの油田であるそうだが、それも理由のひとつではあるにせよ、根本的な問題は、互いの価値観(宗教)の押し付け合いに過ぎないと思う。

 キリスト教もイスラム教も、元々同じユダヤ教から派生した宗教の一派であるが、このような一神教は自分達が信じる神以外を認めようとしない原理主義を基本とするので、救いようがないのである。

 それに、アメリカと言う国は敵がいなくなると、新たに敵を仕立て上げて攻撃を仕掛けるような国とも言えるし、今回はその相手がイラクと言うことになったのだろう。昔はベトナムであったし、かつては日本もそうであった。(何時また日本が敵にされるかわからないと考えておく方が無難である。) 

 国連安保理におけるここまでの過程を見ていると、各国の思惑が見え隠れして、大変興味深い。特に、フランスは本当にずる賢いし、ロシアや中国は立ち回りが非常にうまいと感じる。

 今を思えば、ワールドカップでフランスが予選敗退するのもよくわかるような気がした。それに引き替え、分不相応に力を過信しつつあるのはドイツと言うところであろうか。

 いずれにせよ、国連と言う組織が幻想以外の何者でもなかったことが、これで露呈したのであるし、この際アメリカは国連から脱退し、かつ世界中に駐留している米軍を撤退させてほしいと思う。 

 そのことによって、アメリカが不利益を被ることはないに等しい反面、他国(特にEU諸国や韓国、日本、イスラエル)は大混乱に陥るであろう。

 アメリカは鎖国して欲しい!!!  

 アメリカの影響力を世界中が知る上でも、ぜひ実現させていただきたいものだ。 

 アメリカの対イラク戦争に対し、世界各国で反戦デモ等が起こっているようであるが、本当に腹立たしい限りである。中でも、人間の盾と称して、イラクに入国した外国人には開いた口がふさがらない。家族のことを考えたことがあるのか!

 いったい、どのぐらい真剣に戦争のことを考えているのだろうか。戦争=人殺し=反対 の図式では、あまりにも短絡的過ぎて、お話にもならない。そう言う人間ほど、いとも簡単に手のひらを返したように戦争賛成に回るものである。

 

 だいたい、この不景気なご時世に戦争反対など、生活に余裕がないと出来ない行動ではないだろうか。失業して職がない人、その日暮らしの人らが戦争反対を訴えるとはとても思えない。日々の生活を考えることで精一杯だろう。

 かく言う当方も、失職しないように日々必死で働いている。他国のことなどかまっていられない。自分の生活は自分自身で守らなければならないし、人に迷惑をかけないようにして生き延びることが最低の義務でもある。

 日々の生活、それ自体がサバイバルなのである。

 戦争反対を訴えることのできる資格のある人と言うのは、直接的に被害を被る可能性のある当事国の国民や、これから戦地に出向く兵士の家族ぐらいなものであろう。

 巡航ミサイルとステルス爆撃機による先制攻撃の対象は、情け容赦なく人間の盾に向けられるであろう。平和ボケした連中に鉄槌を下して欲しい。

 イラクが化学生物兵器を保有しているかどうか、いとも簡単に確かめる方法がある。アメリカが攻撃すればよいのだ。

 よって、もうすぐその結果が出ることだろう。

 戦争にルールはない。何でもありなのである。相手を倒す手段を持ちながら、それを使わずして降伏するバカがいるだろうか。だから、化学生物兵器であろうと、核兵器であろうと、最終的には必ず使用されるだろう。

  だからこそ、戦争を始めてはいけないのだ。

 

 2月18日  先日、当方の掲示板に他人を誹謗し、中傷する書き込みがあった。いわゆる「掲示板あらし」と言われているものである。

 不愉快な思いをされた方には、本当に申し訳ないと思うので、改めてお詫び申し上げる次第である。

 心ある人なら、もう良く理解されておられると思うのであるが、個人が運営するホームページの掲示板など、この程度のものであると言うことを承知していただきたく思う。ネット上では匿名性が悪用され、今回のような事故も起きる可能性は今後も残されている。しかし、これがありのままの姿であると言うことを、見ている人も受け入れて欲しい。

 世の中には、人に迷惑をかけたり、不愉快な気持ちにさせることを好む(趣味とする)人がいることは、皆さんも重々承知されていることと思うし、ネット上と言えどもそれは同じことなのである。(人それぞれ、考え方が異なるのは当たり前。)

 とりわけ、若い世代の人にも少しぐらいは理解して欲しいと思うことなのだが、年を取るからと言って、必ずしも成長して行くわけではないと言うことだ。若くても立派に自立している人はいくらでもいるし、年老いているにも関わらず、無責任な人もたくさんいる。

 人を、性別や年齢、社会的地位、さらには人種等で判断してはいけない。人の意見に左右されず、自分自身の目で見て、総合的に、自分の責任において人を評価できるようになって行くことが、真の意味での成長と言うのだと私は考えている。

 世の中に悪い(無責任な)ヤツはいっぱいいるが、いい人はほんの一握りである。

 

2月14日

 10日ほど前、作家の中島らも氏(正確には容疑者)が逮捕された。国内で所持してはいけない大麻を自宅に隠し持っていたそうであるが、確かに中島氏であれば、その程度のものは持っていそうな気がしたので、「とうとう見つかってしまったのか。お気の毒に!」と同情こそすれ、非をとがめる気にはさらさらなれない。

 社会的(正確に言うと法的)に許されないことをしたと言う正当?な理由のもとで、罪を償わなくてはならないだろう。しかしながら、この程度のことで、中島氏の価値が下がるわけでもないし、前科がつくことによって逆に箔がつくのではないかと個人的に思うのだが、いかがであろうか。

 人が人を好きになると言うことには理由がある場合もあるだろう。しかし、必ずしもそうでない場合も多いと信じている。法律と言うルールを守らなければ、法治国家は成り立って行かないのは良く理解できる。とは言え、人間誰でも多かれ少なかれルール違反をしながら生活しているものでもある。

 一台も車が通らないのに、赤信号だからと言って信号無視をしないような人には理解できないかもしれないが、人間は所詮規律やルールを守らない(守れない)ように出来ているものなのである。(だから、ちゃんと守る人が尊ばれると言う考え方も、見方によってはできる。)

 世の中には、平気でウソをつく人もいるし、罪を犯しておきながら認めない人もいる。しかし、そのことに腹を立ててはいけない。人間とは、その程度の生き物なのであると自覚すべきなのだ。と同時に、そのことを由として生きて行く人もいれば、それではいけないと規律を守って生きて行く人もいるだけのことである。

 個人的に言わせてもらえば、私自身は法を犯せば罰せられると言う精神的、肉体的苦痛を味わいたくないと言う、たったそれだけの理由だけで法を遵守しているだけであって、道徳的に正しいとか間違っているという、人それぞれが持つ不確定な価値観(共同幻想)などに左右されるものではないと、念のため付け加えさせていただきたく思う。

  

 


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