2, 紀 行 

4月21日 水曜日 早起きして 成田へ 向った。団体旅行用の指定窓口を探していたら、前夜から 成田に宿泊していた、北海道から出てきた T君と、北関東からの M君と会った。時間があったので、マレーシア通貨の両替をして、県内から 来る、S君を待って、出国する。 待ち合わせをすると、遠い人程、早く来ると 言うが 今回も格言とおり。 Kuala Lampurまで、7時間半も、かかる。大雑把に言うと ハワイまでと 同じくらいの時間がかかる。世界地図を見ていると、近そうに 見えるが これは、意外だった。
夕方のKuala Lampurにつき、税関を出たところで、今回のツアーの全員が集合して、バスで ホテルに向かう。ホテルは、HILTONの名称を使っているだけに、内装、設備は、まあまあーだが、交通の便は、今一のようで、ツアー向きの感じがした。夕食をすませて、小生の部屋で、現地に在住している N君の連絡を待ったが、連絡がこないので、しびれを切らして解散する。 後で、分かったことは、ホテルのフロントが 部屋を間違えていたことがわかった。

4月22日 木曜日 朝食後、フロントでN君と再会する。今日 一日 我々と同行することになって、Malaccaへ、向かう。市内観光の後、「ニョニャ料理」の昼食をとり、高速道路経由で、Selangorへ向かう。目的地は、Kuala Lampurの北に位置するので、かなり長時間のバスの旅だった。高速道路の途中のサービスエリアで、マレーシア流のコーヒーを飲んだら、砂糖が多くて、飲めたものでは、なかった。アルコールが 宗教で禁止されているので、こんなものを飲むのかなと考えたことだった。
高速道路をおりて、夜になるのを待って、夕食とゆっくりした休憩を取った。肝心のホタルは、静止していて、ホタル自身も小さく、光量もなく、これもホタルかという感じだった。他社のツアーの写真を見ると、待合室も立派だが、...... Copenhagenの人魚姫の類かなと考えた。N君とは、卒業以来の人もいて、旧交を温めた一日だった。 


フリーの百科事典「ウィキペディア」では、次のように、紹介されている
"マラッカ海峡(マラッカかいきょう、Strait of Malacca)は、マレー半島とスマトラ島(インドネシア)を隔てる海峡。南東端で接続しているシンガポール海峡と併せて太平洋(南シナ海)とインド洋(アンダマン海)を結ぶ主要航路の一つとなっている。年間の通過船舶数は5万隻を超え、タンカー・コンテナ船など経済的に重要な物資を運ぶ大型貨物船が海峡を行きかう。経済的・戦略的に見て、スエズ運河・パナマ運河・ホルムズ海峡と並び世界のシーレーンの中でも最重要な場所である。 全長は約900km、幅は約70km〜250km、平均水深は約25mで、岩礁や浅瀬が多い。このため大型船舶の可航幅が数kmの場所もある。この海峡を通過できる船の最大のサイズはマラッカマックス(Malaccamax)と呼ばれており、大型タンカーの巨大化を制限している。

4月23日 金曜日 午前中Kuala Lampurの市内見学、ショピング、マレー料理の昼食を取って、高原リゾートCameron Highlansへ、向かった。高速道路から 下りて 一般道路を走り出すと、原生林に道をつくったという感じで、ガイドの話では、山中のところどころに現地人が、文明以前の生活をしていると 説明していた。
宿泊地のCameron Highlansは、ホテルの写真でも、判るように、英国風の建物.で、近隣では、このリゾート地のための、野菜や果物が栽培されていた。近隣のホテルも 英国風で 地元の小売店以外は、全て英国風だった。

フリーの百科事典「ウィキペディア」では、次のように、紹介されている。"クアラルンプールの北約150kmパハン州にある高原リゾート。標高が1,500mを超えるため、年間を通じて気温が20℃前後と涼しい。
英国統治時代の国土調査官であるウィリアム・キャメロンによって1885年によって開発され。その名をとって命名された。英国植民地時代より丘陵を利用した茶葉生産が盛んである。現在でもマレーシア最大の茶葉生産地域.であり、高原野菜などの生産も非常に盛ん。また近年、年金生活者を中心として、日本人の長期滞在者も増えており、彼ら向けのコンドミニアムの建設も盛んである。街のレストランや、喫茶店、インターネットカフェなどでは、多くの日本語併記を見かける。"

4月24日 土曜日 朝食後、苺畑等を見学し、朝市で お土産を買い、ペナン島(Pulau Pinang)へ、バスで、向かう。途中の「ブキットメラ」で、オラウータンの保護島へ、行く予定だったが、渇水で ボートの運航ができず、熱帯動物園を見学した。ガイドのイスラム教の美女.と記念撮影をして、喜んでいる人もいました。目だけを出して、後は黒いマントを着た女性も見かけたが、それは、ごく一部だった。
ペナン島での宿は、島の北部のビーチの三大ホテルの一つのパラダイスだった。今回の旅の最後の夜なので、オプションの夜のツアーは、失礼して、ホテルの前のコンビニで、飲み物とつまみを調達して 「打ち上げ」を行った。 この買い物でも、イスラムの国に、いることを実感したのは、ウイスキィは、店頭に陳列されていなくて、要求に応じて、奥の事務所から出してきて、しかも、レジ打ちの対象外で 後で、鉛筆で、追加勘定をしていたことだった。 ビールは、どうだったと考える方も あるかと思って、蛇足を加えると、ビールは お酒に分類しない国(往年のアメリカの禁酒法)もあります。アルコールについて、付け加えると、アメリカの合衆国の法律では、禁止されていないが、地方自治体においては、未だに 禁止または制限しているところがあります。

4月25日 日曜日この日が、今回の旅の最終日で、午前中は、通常の観光ツアーと、「ロングステイ視察ツアー」がオプションで、別料金になっていて、しかも後者が 7500円と25%高になっていた。それでも 数人の人が参加していた。政府が退職者(年金受給者)の ロングステイを歓迎している事が 人気の元のようだ。パンフレットによれば、回ったところは、朝市、コンドミニアム、病院、スーパーマーケットを回ったようだ。「この島には、イスラム教、仏教、道教、ヒンドゥー教、カトリック、英国国教会、シーク教などきわめて多様な宗教施設・寺院が集中している。」と前述の「ウィキペディア」に出ている。我々の参加した一般コースでも、仏教寺院の見学が入っていた。午後は、全員で市内観光。夕食後、ペナン空港へ。クアランプール空港で、国内線から 国際線に乗り換えた。ガイドとは、ペナン空港で別れたので、日本人だけで、空港内を移動したが、商店街の中の 看板が判りにくく 大変だった。

4月26日 月曜日、機内で一夜を明かし、朝 7時に 成田着。空港で 解散した。「6日間のマレーシアの旅」は、無事 終了した。
 
  
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