concert essay

神戸アンサンブルソロイスツ 第9回演奏会[2001.11.24]
 ティンパニ4台使っても音かえのあるビゼーの交響曲も大変だったのですが、もっと大変だったのはエキストラの確保。小組曲で打楽器が4人いるところで、どうがんばっても自分を入れて3人。結局、本番を3人で乗り切ることにしました。シンバルとタンバリンを一人でやることにしたのでした。タンバリンは4曲目だけなのですが、最後の十数小節は同時に音が入ります。4曲目の間、左手にタンバリンを持ち、右手で綿糸巻のマレット2本を持ったまま演奏しました。アンケートに、ギロのお兄さんは一人三役くらいやってませんでしたか? と書いて下さった方がいたのですが、一人二役はやってました。客席で気づいてくれた方がいたのが、ちょっとうれしかったです。
大阪外国語大学管弦楽団 第28回定期演奏会[2000.12.16]
 延々八分音符を刻んだり、自分にとっては結構大変な曲となりました。でも前日から当日にかけて、奇跡的かもと思うくらい手が回っていき、本番は120〜150%くらいの動きをしていました。誰よりもやっている自分自身が驚くほどでした。
 オケにおけるエキストラとしてのジレンマ。団員ではない自分がどこまで主体としてできるか。単に人が足りないから補う、という扱いのこともあるだろうし。でも今回は特に、自分が入ることによるケミストリーといったものを感じることができました。今年最後にふさわしい本番という気がしました。
 ただ、朝まで打ち上げにまぜてもらって、家に帰って数時間後には次の本番の合宿に行ったので、もう少しこの余韻にひたっていたかったなぁと思いました。
近畿大学文化会交響楽団 第30回プロムナードコンサート[2000.6.17]
 昨年に引き続いての出演となりました。昨夏がゲネ本になってしまったのに対して、今回は3月あたりから4回生の晴野くんのティンパニのレッスンのために通っていました。イタリア奇想曲への出演が確定したのは後のことで、パートも確定したのは結局2週間ほど前と遅くなったので、結局、自分の練習回数はあまり確保できなかったのですが、その中でまとめていくことはできました。本番後、当然のごとく打ち上げに行って、その後パートで朝までカラオケしたりしました。
大阪外国語大学管弦楽団 '99 サマーコンサート[1999.7.10]
 今年のオケ連合宿で、ひさしぶりに大学オケへの客演の話が上がってきました。前述の近大はデビューとなりましたが、大阪外大は実に7年ぶりとなります。近大と堺フィルがゲネ本になってしまったのに対して、大阪外大は4月から練習に参加することができました。
 やはり大学ごとに特質が異なるのですが、大阪外大の場合、木曜3コマ目がアセンブリーとなっていて、実質はクラブの時間になっているのです。そのせいか、なんとなく高校のクラブらしさもあるような気がします。自分の職業がローテーション勤務であることもあり、そのアセンブリーの時間に組まれた練習に行くこともできたので、うちのオケの練習と重ならずにすんだのも、自分にとっては都合がよかったです。
 「威風堂々」が学生指揮の三輪さんのデビューだったこともあり、三輪さんをフォローする気持ちもありました。結果として、自分としては比較的リラックスしてのぞんだ本番となりました。演奏会終了後に打ち上げに行ったのですが、一次会が終わってからも、店の前で三輪さんや他のエキストラの人たちとだべっていたり、結局、朝の5時頃まで遊んでいました。
 ちなみに、昨冬からのばしていた髪を、この本番前に切ってしまいました。この夏のシーズンの4つの本番を起承転結としてとらえられると感じ、「結」となるこの本番に向けて、次につなげる意味で髪を切ることにしたのでした。結果として、この夏のシーズンのしめくくりとして、十分に楽しむことができた本番となりました。
大阪府立大学・大阪女子大学合同交響楽団 第8回あじさいコンサート[1999.6.12]
 この演奏会については、最初は不安材料が多くありました。まず、もともと「フィンランディア」と「新世界より」の2曲は、自分が特に好きではなかった曲だということです。あと「フィンランディア」のティンパニのみでも、今の自分で物理的にもつのかどうかという問題がありました。本番の三日前にして体調不良もあって、コンディションは低下しており、あえて二日前には練習を休んでコンディションを整えることにしました。
 この一日の休養で何かふっきれたものがあり、前日になって二つの新しい試みをやってみました。一つは「フィンランディア」で、一般的にはタブーとされているティンパニのクローズド・ロールを採用したことです。Fの前の4小節間とNの4小節目の二カ所です。もう一つは「未完成」で、kaufmannのバロックマレットを使用したことです。昨年のベー7では使えなかったバロックマレットも、FisとHというハイピッチであることと、ヘッドがルネッサンスに代わっていることにより使用できるようになったようでした。
 後に続く「新世界より」もオケ連のショス5のティンパニ〜近大の1812年の大砲の流れにのるかたちとなり、アンケートでコメントを多くいただきました。
  • ティンパニの人はほとんど一人でがんばっていたから、すごいと思った。(12歳男、Tb)
  • ティンパニがすごくかっこよかったです。(16歳女、Vn)
  • いいぞ!ティンパニ がんばれティンパニ!
    なんかすごくかっこいいぞティンパニ!
    すごいぞティンパニ 素敵よティンパニ!(16歳女、Va)
  • Timがとてもかっこよかったです。最高でした。(16歳男、Fg)
  • ティンパニがカッコイイ!(19歳女)
  • Timがすごくかっこ良かった(くち動いてたけど)。(23歳男、Vn)
  • ティンパニの音がよくひびいていた。(26歳女)
  • 全般的にティンパニは元気があって好感が持てました。(52歳男、Vn・Va)
  • 特にティンパニの響きが、強く印象に残りました。上手でした。(71歳男)
 全部で十数枚にコメントがありましたが、自分のティンパニに対してこんなにコメントがあったのはオケに入ってから初めてのことです。この夏のシーズンに向けては、昨冬から髪を切らずにいたりしていたこともあり、見た目の印象も強かったのだと思います。
 ちなみに今回のパート紹介は以下の通りです。

 去年の冬よりも、髪はさらにちゃいろくなってるし。長さはマツオさんにはまけちゃうけど、ずっとのばしたりしてるから、ぜんぜんクラシックっぽくなくなってるし。とりあえず「新世界より」がはじまって30秒くらいしたら、ちょっとだけティンパニ見てあげて下さいね。
 一方、たろうは謙虚だし、見た目はまめだし。ティンパニ以外は全部たろうにおまかせしてます。いろんなオーケストラから客演によばれるのも当然って感じです。
 こんな二人だけで今回はがんばっちゃうわけですが、ちなみに、この夏の客演の数って、どっちの方が多いのかなぁ…。
近畿大学文化会交響楽団 第29回プロムナードコンサート[1999.5.29]
 近大の方よりアンケートでの反響がすごかったと連絡をいただいたので、後日、アンケートを読みに行きました。その中にこんなコメントがありました。

 はじめは下を向いてうなだれた様子でまったく上を向かない。ねているのかと心配になり、近くで見ていた私は起こしに行こうかと思った矢先、むくりと立ち上がり、タイミングを計って一撃! 大砲を放ったそのパワーの反作用で体が中に浮き、思わず笑ってしまったが、その真剣なまなざしに私もいつしか感動を覚え、最後はとても大砲に感動して終わった。一発にかける大砲職人の心意気に脱帽した。

 なかなか言葉にして説明するのは難しいと思っていたのですが、あまりに意図していたことを的確に書いていたので、びっくりしてしまいました。あともう一つ、印象的なコメントがありました。

 まさか大砲が二基据えられているとは思わなかった。特に向かって右の砲撃手はすごかった。あの飛び跳ねる程の力で大砲うったから、ロシアは勝ったのだ。きっと。たぶん。冬将軍より強かったです。

 そこまでいうか…、とも思いましたが、妙に納得させられたコメントでした。
 考えてみると、今年のオケ連合宿でのショス5のティンパニで、自分なりにこれは、というものがあって、今回の大砲は出るべくして出た爆演という感じです。近大にはこれがデビューだったのですが、あのオケ連のショス5があり、近大でそれも1812年の大砲のみという条件が重なりあっているように思いました。
大阪府立大学・大阪女子大学合同交響楽団 創立40周年記念演奏会[1998.8.16]
 この演奏会については、essayの1999.11.27に書いたとおり、長きにわたって書くことをためらっていました。ということで一年以上立ってしまっていますが、ファランドールに使用した自作プロヴァンス太鼓について書くことにします。

プロヴァンス太鼓

 楽器で紹介しているプロヴァンス太鼓のプロトタイプに、さらに14"x14"のバストムと14"x6.5"のスネアドラムの胴をつなげて、本体部分の全長は80cmと、実際のプロヴァンス太鼓のサイズになりました。一応、表皮と裏皮との距離をそれだけかせいだ分、ピッチなどは変わるのですが、胴がきっちり接合されていないため、さすがに胴の鳴りは感じられませんでした。それでも、さすがに見た目のインパクトはあったようです。
 余談ですが、このプロヴァンス太鼓に加えたバスタムは、SAKAE DRUMSというメーカーのもので、大阪フィルのバスドラムが、このSAKAE DRUMSのものだそうです。
大阪府立大学・大阪女子大学合同交響楽団 第7回あじさいコンサート[1998.6.13]
 この4月からの体調不良により、本番も体調が戻らないままで迎えることとなりました。家に帰るとやはり38c台の熱がありました。リハーサルからかなりきつかったというのが、正直なところです。
 今回はエキストラ決定の段階でも二転三転して、最終的に阪大オケから三人全員と、本番2週間前くらいに甲南の平瀬さんにお願いして出ていただきました。今回、シルヴィアの音かえで不安なところがあったので、MLで教えてもらった簡易ゲージを使ってみました。髪をくくるゴムと釣り用のテグスを使用してつけてみました。とりあえずはこれでなんとかなりました。

自作ゲージとマレット

 それはさておき、ベートーヴェンでかための音がほしくて、奥村マレットのコルク芯を入手しようかと思いつつしていなくて、一部ではkaufmannのバロックマレットの音を気にいっている人もいたので、それを使ってみたり、奥村マレットのWF26Hを使ってみたりと試行錯誤でした。
 実際ソフィア堺に行ってみると、やはり木芯、普通のhardでは音が太く?なってしまい、1楽章のリハーサルではkaufmannを使っていたのですが、それではかたすぎました。思い切って2楽章の途中で、WF26Mを持って一旦舞台を降りました。控室に行ってはさみを出して、WF26Mのフェルトをむいて、VHにしてしまうことにしたのです。木芯の上に薄いフェルトが1枚だけはってある状態で、舞台に戻って使ってみたところ、kaufmannよりはましなのですが、やはりかたすぎる感じ。
 以前、奥村さんにVHにもう一枚薄いフェルトを重ねたマレットを作ってもらう話をしたことがあるのですが、そんな感じで、HとVHの中間のマレットがほしくて、リハーサルの終了後、もう1枚薄めのフェルトを重ねることにしました。といいつつ、手元に裁縫道具はあってもフェルトはなく、車のトランクをいろいろ探して、きれいなくつ下があったので、それを切って一時的に重ねることにしました。ロビーに行って、そのくつ下を切って二枚重ねにして、目一杯ひっぱった状態でぬいつけて、何とか完成しました。
 本番もとてもきつかったです。途中、何度か意識がとぎれそうになるくらいでした。ベートーヴェンの3楽章では、途中で楽譜を追いかけることすらできませんでした。客席から見ていても、意識がもっていないのがわかったと言われました。
 ベートーヴェンは、そのくつ下をかぶせたマレットを使ったのですが、直前に作ってテストもしなかったのに、少なくとも手持ちのどのマレットよりも適していたと思います。エキストラの方が客席で聴いていて、古典っぽい音がしていてよかったとのことでした。
 二回続けて体調不良で本番を迎えることとなり、特に今回はいろいろ考えさせられることも多かったのですが、逆に考えたら、しんどくてどうしようもないから、それでもなんとかしようってことで、マレットをその場でなおしてみたり、普通では考えられないことをやってのけられたような気がします。 昔、中学の後輩がコンクールの本番で舞台に上がるとバスドラムのマレットがなくて、泣いて舞台から降りていってしまったという話を聞き、別の後輩と「自分たちだったら、手でも叩くよね」と話したことがありました。少し意味は違うけど、逆境におかれたとき、それでも叩くんだって気持ちを忘れないということでは、今回のことは、何か本能的にやってしまったという気がしています。
堺フィルハーモニー交響楽団 '98 スプリングコンサート[1998.2.8]
 エル・サロン・メヒコにて、15のギロから16のサスペンダーシンバルへのもちかえをすることになったのですが、16に入る一拍前までギロがあり、16からいきなりサスペンダーシンバルがあるので、もちかえているひまがありません。これと同様の箇所が何カ所かあるのです。ギロをすった手でそのままサスペンダーシンバルを叩かなければならないわけですが、なかなか方法が思いつかなくて、ようやく前日になって思いついたのがこれです。

持ちかえ

 ギロのマレットとサスペンダーシンバルのマレットを同時に持ち、ギロの穴に左手の指を入れてしまうとサスペンダーシンバルのミュートができないので、端の方を左わきではさんで固定しています。こうすることで、確実にギロからサスペンダーシンバルへの移行が行なえました。
 後でよくよく考えれば、ここのサスペンダーシンバルはシロフォン奏者がするのが最も効率がよかったのですが、サスペンダーシンバルを誰がするかという話をしていたときには、シロフォン担当の方が来てなかったのでした。自分としては、こういうのも見せ場だと思ってやってしまうわけですが。
 ちなみに、この前日より体調が思わしくなかったのですが、本番を終えて家に帰ってから体温を測ってみると、38.0cありました。翌朝には39.1cまで上がり、医者に診てもらったらインフルエンザとのことでした。キャンディードとエル・サロン・メヒコは2・3回の練習で本番だったのに、38cの熱でよくおちずにやったなぁと思ってしまいました。
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