essay 2000
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パーティに招かれて[2000.12.23]
 12/8にお会いした医者の先生からパーティに招待されていたので、途中から参加してきました。
 午後7時ごろ、神戸の山際にある家へ行くとピアノのあるフロアがあり、20人近くの方が集っておりました。たつみはとりあえず、タンバリン・トライアングル・カスタネット・すずとオカリナを持って行ってました。司会役の方に「楽譜は用意してますか?」と言われたものの、これらの楽器だけでできる曲を用意できるわけもなく。中に小さい子ども連れの方がいたこともあり、とりあえず楽器紹介的なことをすることにしました。
 そうしてるうちに、木嶋真優さんがお母さんと一緒に到着。たつみの出番の前に、真優さんが3曲ほど弾いてくれました。
 で、次が自分だったりします。小物楽器だけなので、紹介だけとことわりを入れて。まずはトライアングルで、トライアングルの一発にヴィブラートをかけてみせることにしました。トライアングルを持っている左手を、ヴァイオリンでヴィブラートをかけるように動かすのです。すると真優さんが、となりでしゃべっていたお母さんたちに「聞こえないから静かにして」と一言。かくして、トライアングルのヴィブラートの一発を聴くために、場はほとんど静かに。あと、オーケストラ用のすずをアンダーソンのそりすべりを歌いながらふってみせたり、カスタネットでボレロの音型をやってみせたり、タンバリンでカルメンのアラゴネーズの冒頭をやってみせただけなんですが、それだけでも興味深げに聴いてもらえてよかったです。小太鼓は用意してなかったものの、スティックは持って来ていたので、星条旗をまわりが歌う中、小太鼓の音型を最後までやってみせたり。おまけに持ってきていたオカリナのみで、遠き山に日は落ちてを吹くと、一緒に口ずさんでくれる人がいたり。
 この間、真優さんが目を丸くしながら見ていてくれたのがうれしかったです。自分としては、彼女の前で自分なりの表現を返してみたいと思っていたので、それが少しでも伝わってよかったと。レベルは全然違うんですけどね。
 この演奏(というか余興?)を結構気にいってもらえて、後で聖夜をフルートで演奏されるとき一緒にオカリナで入ったり、ジングルベルの合奏ですずをふったり、ホワイトクリスマスにトライアングルをアドリブで入れたり、と遊ばせてもらいました。
 ちなみに、ずっとピアノを弾いていた方が西本智実さんのお母様とのこと。また思わぬところでおどろかされてました。

 一緒に撮ってもらった写真をいただきました。[2001.2.23]
真優さんとたつみ
木嶋真優さんと出会う[2000.12.8]
 仕事が終わってから、2/3のソロの本番のチラシができてないかと思って楽器店に行きました。一応、仮の版下ができていて、ちゃんとしたチラシは来週に。とりあえず、仮にコピーしてある分をもらってきました。
 その楽器店では、1Fにて毎週金曜の夜にクラシックパブなるものがあります。チラシをながめながら誰か来ないかと待っていたものの、今日はなぜか集まりが悪く、なかなか始まらずでした。
 で、8時を過ぎた頃、そこの楽器店の常連さんだった医者の先生が来られました。 そして、その方と一緒に来られた親子がおりました。その娘の名は「木嶋真優」。
 しばらくして、先生がバルトークのデュオを一緒に弾こうといって楽譜を出してきました。その半世紀ほど年の違う二人は、初見でまちがいながらも楽しそうに弾いていました。その後、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第1番を、パブの常連のピアノの方に伴奏してもらって弾くことに。聴いていて、技術的にどうとかじゃなくて(たぶんものすごく上手いんでしょうけど)、楽器に対する気持ちの面で、自分もあんなふうに演奏できればいいいだろうなぁと思いました。彼女が曲の終わり近くを目を閉じながらフウーッと弾くとき、鳥肌がたってしまってました。心の琴線にしみてくる音でした。
 で、自分がちょうどマリンバ用に楽譜を持ってきていて、その中にクライスラーの前奏曲とアレグロを持っていて、ピアノの人がそれを持っていって、何とか弾いてもらうことになりました。幼い頃に弾いたことがあるけど、といいつつ。ということで、途中でやりなおしたりもして、って感じにもかかわらず、曲は彼女の表現(言葉)として奏でられていると感じました。
 後で、クライスラーの楽譜にサインしてもらいました。
「ティンパニーがんばって下さい。またお会いできるのをたのしみにしています。」
と中学生の女の子らしいかわいい字で書いてくれました。いつかこの曲をマリンバでできるようになれば・・・と思いました。その一方で、彼女と次元はちがうだろうけれど、自分は自分なりに自分の言葉で奏でられてる、って信じてる自分がいました。 まだ仮刷りのチラシに、ソリストとしての自分の名前が刻まれているのを彼女に見せながら。
高校の校舎とのお別れコンサート[2000.8.26]
 うちの高校の校舎が建て変わることとなり、そこの講堂でコンサートをすることになったということで、行ってきました。すでに取り壊し寸前のため、電気・水道もすべてとめられていました。友人がうちわを貸してくれて、あおぎながらでないと意識がとだえそうになったり。チェロやギターやフルートのソロなどもあって、トータル三時間近くになってました。
 特別ちゃんとしたコンサートでもないので、合唱部OBがハレルヤをするときに、となりにいた合唱部OBの友人に引っ張られて、一緒に前で歌わされたり。ハレルヤだったらティンパニ用意できればよかった、とか思いつつ歌っていました。
 よく響く講堂の中で、空調などないので窓を全開にして、せみの鳴き声なども聞こえながらでした。でも、その風景ごと音楽を聴くのもありだと思いました。自分にとっての音楽の原風景である講堂。三年間、クラブの練習をしただけでなく、高三の秋に、音楽会のオーディションで即興のまねごとをした、これまでにソロでやった唯一の舞台でもありました。今から「ソロ」っていうステップをふみだそうという時に、今回のコンサートは、何か因縁めいたものすら感じました。
マリンバ発注[2000.6.20]
 今日、こおろぎ社にマリンバを発注しました。
 これまで鍵盤打楽器には、全くといっていいほど手を出してこなかったのですが、今年3月に神谷百子さんを施設にお招きした際に感銘を受け、少しずつでも鍵盤打楽器に手を出してみようと思ったのです。
 最初は、4オクターブ(C28〜C76)か4 1/3オクターブ(A25〜C76)の教育用のモデルで検討していたのですが、各方面に相談した結果、思い切ってコンサート用にすることにしました。ちょうど、前から好きだったエヴェリン・グレニーの「ライト・イン・ダークネス」の楽譜をようやく入手でき、F21まで必要ということが分かったので、こおろぎのL1200FC(F21〜C76)にすることにしました。
 6/10のパーカッション・フェスティバルに行ったところ、こおろぎ社の方が来られていて、具体的な話をすることができました。製品をよい状態で出すには春か秋に納期を設定するのがよく、秋なら9月末から11月いっぱいが望ましいということなので、9月末に納期を設定することにしました。楽器を作る上で、どういう音がほしいか、あるいはどういう曲をやりたいか、ということが分かっていた方がよいとのことだったので、その言葉に甘えて、8月中に工場見学に行って、その際に音色の微調整や音板の色決めなどをすることにしました。
神谷百子さんに来ていただいて[2000.3.5]
 今日は施設の行事でして、うちの施設にマリンバの神谷百子さんに来ていただきました。生活発表会的なもので、その中で20分くらいの演奏です。うちの都合で、マリンバもソロ用の5オクターブではなくて、地域の学校から借りた4オクターブだったり、伴奏者をつけず、あくまでもソロで、という制約のもとでした。
 申し訳ない思いで午前中のリハーサルを迎えたのですが、施設の100人強キャパのホールが、自分の予想をはるかにこえて、マリンバの共鳴体になっていました。うちの施設はもともとはキリスト教系だったらしく、食事の前に「日々の糧」なるコラール(?)を歌っていたのですが、一部の子どもにとってはお気に入りの曲なので、それだけはぜひやってほしいとお願いしていました。日々の糧がマリンバのトレモロで鳴っていくとき、これも自分の予想をこえていて、思わず涙が頬をつたいそうになりました。といっても、本番直前に泣いてる間はなかったのですが。リハーサルの時は、ホールにはほとんど神谷さんと自分の二人だったので、ある意味、自分のためにソロで演奏していただいているようなもの。こんな贅沢は一生に二度ないだろうな、と思いました。
 そして本番。ちょっとしたパッセージを弾いた後、この「日々の糧」が始まると、子どもたちは静かになってしまいました。この「静かになる」という状況は全く予測してなかったことで、自分はあせってしまったのですが、しばらくしてからマリンバの響きが子どもたちにそれだけ浸透しているのだと気づきました。あと、早いパッセージも聴いてもらおうということで、熊蜂の飛行を少しだけやっていただいたのですが、テンポ170〜180くらいで、音板からマレットが数cmしか上がらずにはっていく様子は、見ていてまさに熊蜂がぶぅーんと飛び回っているようでした。
 それにしても、今回のはインターネットによるマジックだと思います。
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