【碓氷線フォーラム】 |
| 『鉄路がないと不便です』 廃線から8ヶ月が経ちました。新幹線のトンネル内故障等もあり、在来線がないと危機管理もできないことが判りました。ほとんど100%の人が廃止に反対であるというのに、廃止は強行されました。 在来線を残す場合に、従来の方式では、コストが嵩むのは理解できます。しかし、コストが小さくて済む方法を考えなかったのでしょうか。例えば、列車を通しで押し上げるのではなく、EF63に2両くらいの客車を付けて横軽間で往復運転するとか、80.00パーミルの箱根登山鉄道式の車両を導入するとか、JRにやる気さえあれば残せたはずです。 在来線を廃止して、無理にでも新幹線料金を払わせたいというケチ臭い考えがJRの本音ではないかと勘ぐりたくなります。 廃止はしてみたけど、やっぱり不便だ、復活させようという声を出すのは、今しかありません。9月30日に集まった人々のエネルギーを碓氷峠復活に向けるべきだと思います。国民が普通料金で旅する権利を取り戻しましょう。 Usui Railway Club ホームページ担当 98年5月 |
| 当コーナーの運用は一時休止しました。碓氷峠の廃線に関するご意見、復活に関するご提案は、こちらの掲示板をご利用下さい。 掲示板「碓氷線復活物語」へリンク |
No.16
| 『碓氷線復活の日を信じています』 軽の廃止から早いもので、2年以上が過ぎました。 そして碓氷線の歴史を後世に伝えるテーマパーク「碓氷峠鉄道文化むら」がオープンし、横川に活気が戻り、少しうれしく感じています。が、世間一般の人々には平成9年9月30日の出来事が、すでに忘れられているように思え、地図の上からだけだけでなく、記憶の片隅からも消えてしまったようで、寂しく思います。 現に、私の周りの人々は、長野はオリンピックのおかげで、高速道路や新幹線の開通で便利になったぐらいの知識しかなく、その影で消えて行った信越本線の事など、まったく知らないようです。 赤字を理由に廃止された多くの地方路線とは違い、つい前日まで30分おきに9輌や11輌の特急列車が行き交った、複線電化の鉄路が一夜にして消えたことを、もう少し社会現象として、レールファン以外に一般の人々でも覚えていてほしくて、残念でなりません。 また、104年の歴史の中で、この鉄路に関わった多くの先人たちも無念に思っていることでしょう。 さて前置きが長くなりましたが、色々な方面の方々がこの碓氷線の復活を希望されています。また各関係の方が復活の可能性を口にされているようですね。私も7月末にロクサンの運転体験の講習を受けた際に、文化むらの方が、将来は観光鉄道等での横川−軽井沢間の鉄道の復活を、夢に描いていることを聞きました。 まあ実際の所は資金源や、維持方法など、まだまだわかりませんが可能性が0%ではないと勝手に解釈して、期待しております。 その碓氷線復活について色々な方々がご意見を述べられておりますが、ついでに私の戯言も聞いて下さい。 JR東日本や、しなの鉄道での運営は考えられないと思いますので、群馬県・JRなど主体の第三セクター方式が良いのではないかと思います。 そして、現在も横川駅旧4番線から文化むらの運転体験線を通り、そのまま上り本線は、軽井沢駅まで続いています。その線路を利用して、単線で信号関係も横川−軽井沢間1閉塞として運転したらどうでしょうか。 あと架線は有るが電化するか、非電化にするかです。現在の約300mの運転体験線の架線電圧は750ボルトで、変電所を1つ作りましたが、それでも一億円位かかっているそうです。でもせっかく2輌のロクサンが動態保存されていますので、やはりロクサンの動態保存鉄道としての復活を望みたいものです。 車両はEF63+EF63+169系3輌の編成で、その内1輌は嵯峨野観光鉄道の「ザ・リッチ」のようなトロッコ風に改造して、朝・夕は通勤通学輸送に、日中は観光鉄道として、需要に応えれば良いのではないかと思います。 さらにはJR・しなの鉄道直通の高崎−小諸間の列車を運転出来れば、なおさら良いと思います。 さて、観光鉄道としてお客様を呼ぶには、どうしたら良いかです。嵯峨野観光鉄道のように、嵯峨野・嵐山・保津峡といった風光明媚な観光地が有れば良いのですが、現在のままでは、少し物足りないと思います。そこで最近のトレッキングブームに合わせ、アプト旧線を利用した遊歩道「アプトの道」を合わせて熊の平まで開通させ、横川から坂本宿〜碓氷湖〜碓氷橋〜熊の平まで歩いたお客様を碓氷線で軽井沢や横川へ行けるようにしたら、どうでしょうか。 また旅行会社とタイアップし、文化むらを見学し、碓氷線トロッコ列車で軽井沢へ行き、プリンスホテルのショッピングモールや旧軽井沢散策などのコースで売れば、現在人気の貸切バスを使った日帰り主催旅行などで多くのお客様を呼べると思います。また春は妙義山さくらの里、夏は避暑地軽井沢、秋は紅葉の碓氷峠と、観光要素は沢山あります。 嵯峨野観光鉄道や黒部峡谷鉄道の利用のほとんどが、旅行会社による団体旅行客といった前例がありますので、また、首都圏からも日帰りで行ける新たな観光地として、やり方次第で採算は十分あると思います。 さて、色々長くお話しましたが、これを見て色々なご意見の方がいらっしゃると思いますが、まあ碓氷線の復活を夢見る一ファンの独り言として、ご勘弁願いたいです。 いつの日になるかわかりませんが、横川−軽井沢間のレールの上を再び列車が通る事を信じて、運転体験の横川通いを続けて行きたいと思っております。 ついでに、もし上り線を使って復活したら、運転体験は、下り線を使って丸山まで行けたらな〜と、期待したいです。 by T.S |
No.15
| 『復活を願っています』 私が、学校を卒業して最初に就職した会社に勤務を命じられた町、それが軽井沢でした。 その時初めて、横川駅の儀式とも見える光景に出会いました。 「こんな事をしないと行けないところが、まだ日本にあったのか」と、当時20歳(昭和63年)のわたしは、そんな事を思いながら残雪の残る碓氷峠をシェルパに押された「あさま」に乗って軽井沢に向かいました。 その日から半年間、碓氷峠をこだまする、機関車の警笛が、私の子守り歌でした。私の人生の中で忘れられない思い出です。 今は、その会社も辞めて東京で働き暮らしています。あの線がなくなると知った時も、仕事の合間をぬって、この目に焼き付けに3回出かけました。 自分の宝を奪われた気分でした。子供が大きくなったら乗せに連れて行ってあげたかった。「昔、父さんは、この列車に乗って初めて社会に出たんだよ」と、話したかったのです。 私にとって横川ー軽井沢は、特別な場所でした。 今日初めてホームページを見て「もしかしたら列車を走らせられるかも」と感じ ました。 みなさんぜひがんばりましょう。わたしも少しでも力になれたらと思います。 多くの方が思われている事だと思いますが。NPOには、安定した経済力が、不可欠です。 募金とボランティアだけでは、設備も含めた管理維持は相当厳しいものなるはずです。雑誌や、ニュースなどで見る限りいま一番必要なことは、安定した資金調達源を確保する事です。 これが、成功するか否かを決めるポイントだと思います。 私は、提案したい事が3点あります。 まず一点目は、今度開設される横川の道の駅に売店、飲食店等を出店させる。この事業を、収入の柱にする事が長期安定をめざすNPO活動には不可欠であると思います。 2点目は、碓氷峠の鉄道関連の名称使用などを独占できるようにする。(言い方を忘れてしまいました。よく名称の右端に丸の中にRの文字が入っているもの) 発売する商品の中にもし全国的に広まるものが出た時に偽物や便乗を予防して利益を守る必要があると思います。 3点目は、軽井沢にきた観光客(新幹線利用者や碓氷軽井沢ICを利用する車利用者)の往復利用をターゲットにした列車を運行する。 軽井沢を訪れる多数の観光客を呼び込む事ができれば運賃収入も馬鹿にならなくなります。列車に乗って往復する事が、目的になるような車両の選択が必要です。(フルオープンの客車など) 以上の3点は、きっと関係者のみなさんはとうにお気付きかもしれませんがホームページ等にそれらしいものが、見つけられませんでしたので書かせていただきました。 復活に向けて皆さんがんばってください。 by T.K |
No.14
| 『碓氷復活は旅情の復活』 新幹線と引き換えに廃止された碓氷線。さらに軽井沢以西も三セクになり長野方面へは青春18で行くことも不可能になってしまった。 横軽は100円稼ぐのに10000円以上の経費が掛かる区間であることは紛れもない事実だが、それは従来と同じ利用のされ方が前提になっている。 この区間はその時代時代の鉄道技術が結集された区間であり、碓氷橋のような文化財も存在するという特異な区間だ。観光線として存続できる可能性は充分にある。 JRもこの区間を見捨てたわりには、上野−横川間に観光用に臨時列車を 走らせている。 JRがいまさらこの区間を自力で営業する可能性はないので、民間で資金を集めて新しい三セクを作り、この区間を営業できないだろうか。 北海道のAir Doのように、一般の多数の人から資金を集めればわけない話だ。 営業後は、この区間は運行にコストがかかるので、最初から徹底的に無駄を省いた経営を行う。熊の平駅を復活させるなど、観光(撮影、散策など)のスポットを積極的に作っていく。 運賃もJR時代のようには安くはならないので、この区間は片道1000円程度にはなる。JRにも呼びかけ、上野−軽井沢間に列車を運行させるにもいい。 問題はやろうとする熱意とアイデアだ。やりかたはいろいろあると思う。 by 将来の鉄道を憂える鉄道ファン |
No.13
| 『碓氷峠関連の費用は全て西部負担』 そもそも、長野新幹線は長野五輪の為のインフラである。それを裏で押し進めていたのが、信越線沿線に多数の施設を持つ西武グループと言うよりは、 その総帥の堤義明氏。一人の実業家のために碓氷峠の運命があのような形になって、左右されてしまったというのも残念だ。だから、碓氷峠の保存鉄道設立基金も鉄道文化村の費用をボランティアと地方公共団体だけで負担というのも納得できない。 碓氷峠の運命を変えさせた西武グループ(特に西武鉄道・コクド・プリンスホテル)も全額でなくて良いから、筆頭株主レベルで負担するべきである。 by SO |
No.12
| 『碓氷峠は復活すべき』 僕は,12歳の鉄道ファンです。形式などはよくわかっていないのですがある程度の知識はあります。 碓氷峠には,旅行と小学校の林間学校で行きました。実際に乗っていると列車本来の力強さを感じるような気がします。 そして,碓氷峠のすばらしさを感じていると碓氷峠廃止のニュースが流れました。新幹線の為に潰されると聞いて怒りに燃えました。 そりゃ,新幹線の方が早いし快適かもしれないけど,新幹線をわざわざ作らなくても人々を運ぶことができるのです。 それに,新幹線では味わえない鈍行列車だからこそ味わえるモノが有ると思います。鉄道は早いだけでいいのか?と思いました。 碓氷峠の建設や安全性には百四年という期間で確認されています。その中にはどれだけの人が建設に精を出し,機関士の人や職員の人たちの苦労があり, 時にはそういう人たちが事故で犠牲になり,その人たちの犠牲のおかげで碓氷峠の安全が強化され現在に至っています。 こういう事を調べて僕は考えました。僕が調査を行う人たちならば,廃線するべきではないと上に報告すると思います。 その報告をしてくれたのが管理人さんや地元の人たちの反対運動なのです。しかし,行政はそれを無視し廃線を押し進めました。 そういうことを聞いていてテレビに向かいこう言いました。「お前ら本当に碓氷峠を知り尽くした人間なのかよ。ふざけるものいいかげんにしろ。」 新幹線の建設はこれらの人たちの苦労を踏みにじる行為です。もう一つ怒りに燃えた理由があります。 それは,僕の夢です。僕の夢は将来JRに就職して,碓氷峠で働くことでした。その夢を僕は行政によって潰されたのです。 このときから,僕は自民党を一生支持しないと決めました。 そして,廃止の日を迎えました。長野新幹線もスタートしました。 そこで僕は特急のあさまや碓氷峠に誓いました。長野新幹線には乗らないと。偉そうなことを言いましたが,復活を望みます。 by横軽あさま |
No.11
| 『日本の鉄道システムについて』 私が碓氷峠を通ったのは、廃止まで残り1か月あまりとなった1997年8月26日(火)のたった1回だけです。このときは、信越線高崎発長野ゆきの普通列車323Mにて碓氷峠を通りました。 今思うと、碓氷峠の鉄路に大切な思いを抱いていらした地元の方々とは違い、私は碓氷峠を“旅行の名所見物”や、“廃止前のお名残乗車”的にしかとらえていなかったのかもしれません。 “鉄道ファン”のひとりとして、鉄路がなくなったことで不便を強いられていらっしゃる地元の方々のお気持ちを理解できるようめざすとともに、それにあわせて日本の鉄道の将来についていつも考えていきたい、と私は思っております。 今回の北陸新幹線の開通・信越線の分断のような“前例”は、今後の整備新幹線計画では絶対にならってはならないものだと思います。だいたい、新幹線と在来線はもともと性格上では全く別個のものではないでしょうか。 新幹線は長距離の都市間輸送を担う役割を持ち、在来線は地域密着の都市圏輸送を担う役割を持っているものと思います。 それなのに、「新幹線を整備するのと引き替えに、在来線を切り捨てさせる」 という政府・自民党の、在来線の実状を無視したやり方には、私はどうしても納得がいきません。 自民党が在来線を運営することになるJRの将来の経営に配慮したとしても、どうして新幹線とは全く別個の在来線の運営が、JRから切り離されなくてはならないのか。 将来、新幹線の整備と引き替えに、在来線網が日本各地で分断され、地元の人々に悪い影響を与え、貨物輸送システムまでめちゃくちゃになるということが、絶対にあってはなりません。 そのために、列車が走らなくなった碓氷峠の鉄路や、碓氷峠を大切にしている方々の存在が、日本の鉄道システムにおける最悪な状態を迎えないように、鉄道企業や鉄道を利用する人々に強くアピールしていくことが必要だと思っています。 もちろん、我々鉄道ファンも鉄道に対して、単なる列車・車両の話題に趣味的な関心しか示さないのではなく、鉄道を取り巻く社会的な問題や現実に、もっと目を向けていくべきだと思います。 by 榊原 陽平 E-mail s972056@kushiro-pu.ac.jp |