【碓氷線フォーラム】 |
No.10
| 『鉄道文化村について』 私、富山在住で鉄道を趣味とする者です。 1年前のあの日は、現地での「熱狂」に何か違和感を感じてしまって、敢えて現地には行かずにTVで最後の光景を見ていました。 今年になってから、碓氷峠が気になって仕方がなくなり、ほぼ毎月のように現地に行っています。廃止により失われたものの大きさを訪問する毎に感じている次第です。 廃止一周年、あの「熱狂」は表向きはすっかり霧散したようですが、鉄道ファンの中には今も愛着を捨てきれない人も少なくないようで、現地を訪問すると必ずファンらしき人がポツリといたりします。 廃止後の記録を地道に撮影し続けている人もいますし、文化村の件に関してネットで発言している人もいます。 しかし、鉄道ファンの主流はどちらかと言えば「想い出」に浸る向きが多く、「文化村の出発を静かに見守りたい」的な雰囲気が強いようです。 保存機の回送時の写真撮影やデータに熱中するようなマニア的な方向であいかわらず動いている向きも少数いるようですが。 ここに来て一年前の違和感の原因がわかったように思います。 要するに一年前の熱狂は、大部分がその場限りの自己陶酔あるいは、マニア的な記録熱・記念熱が織り成したものであったということ。 鉄道ファンとして冷静かつ論理的に碓氷峠を考えていこうとする姿勢が極めて希薄であったということです。廃止そのものは言うに及ばず、文化村のあり方に関しても所与のものとして最初から思考を停止し、ただひたすら現地での写真撮影に熱中するのみ、廃止後は勝手に過去の回想モードに入って感傷に浸る。 あるいは、次の廃止路線や車両へ熱狂対象をスルリと変更する。これが、残念ながら一年前に現地に群がった鉄道ファンの実態のような気がします。 鉄道関係の掲示板やメーリングリストでも、文化村のあり方では話題が盛り上らず(問題提起しても無視されるのが普通)、過去の感傷的回想や最終あさまの車内放送がどうだったということでは盛り上るという状況です。 廃止により直接の不利益を被った地元の人々、今も鉄路復活や文化村のために真剣に活動している人々とは全く別の次元にある訳です。 もっと言えば碓氷峠104年の歴史の重みを本当に理解しているとは思えないような次元です。 鉄道ファンとは一体何者なのだろうかと、この一年を振り返って深刻に考えてしまうこの頃です。 前置きが長くなってしまいました。以下、「碓氷峠鉄道文化村」について疑問に思うところを記します。 横軽廃止からもう1年がたちました。「碓氷峠鉄道文化村」もようやくそのプランが明らかになり現地での工事も本格化しているようです。 しかし、プランと言っても種々の問題があるようです。 私が疑問に思うのは、次のようなものです。 なお、これは「広報まついだ」の記事のみを見ての疑問です。ですから、情報不足による誤解があるとも思いますので、間違い等があればご容赦ください。 1.「あぷとくん」(英国から輸入するSL)を巡る問題 ・何故、英国からナローゲージのSLを輸入するのか。 碓氷峠には関係無いし、施設の目的からも導入の必然性が全く不明。アリバイ的に「あぷとくん」なる愛称をつけているが。 SLが走る高架線のため歴史ある横川運転区や横川駅からの峠方向の眺めは完全に破壊される。 碓氷峠の鉄道施設は文化財でもあるわけで、このような大々的な現状変更が果して許されてよいものなのか。 ・購入資金、維持費はどうなるのか。長期不況下、潤沢とは言えない運営維持費を将来的に圧迫していくことは必至。 費用の使い道として妥当なのか否か。 2.展示車両の展示方法ならびに補修維持の問題 ・どのような判断基準で展示車両が選択されたのか。 高崎から保存状態の比較的良好なものを寄せ集めてきた感じが拭い切れない。 ED40等が漏れている等、選択に一貫性が感じられない。 ・横川駅構内の留置線の利用は検討されたのか。 現プランでの野外展示では、展示状況の臨場感および補修維持の面で欠点がある。留置線を展示場として整備し、車齢の高い車両は雨ざらしにはせず簡易式であれ屋根で覆う。補修作業は現台検庫を使用するというのが、建設費用・維持保存の両面で一番有利なように思われるのだが。 ・展示車両の補修維持計画が曖昧(というか最初から考えていない?)。 野外展示のため、二〜三年で車体が腐食してしまうことが予想される。展示のために整備されたとは言え、どの車両も車齢が高いため、すぐに「化粧が剥げる」だろう。 展示車両の「墓場」とするのではなく、博物館として維持していくためには周到な長期的計画が必要だと思われるのだが、現プランを見る限りでは曖昧な印象が強い。 ・動態保存されると言われるEF63の補修維持計画も同じく曖昧。 動態保存として短距離であれ人を乗せるのであれば極めて重要な問題であるはず。電気機関車の場合、とりわけ電気関係の部品の点検維持面で大変だろう。蒸気機関車以上に動態保存が困難かも知れないと思われるのだが。 3.博物館としての内容の問題 ・「鉄道文化村」は一体何を目的とする施設なのか。 「鉄道の広場」という曖昧な自己規定で果して良いのか。 ・現プランだと、「文化村」の土木工事プランは明確なのだが、博物館としての中身が今一つ曖昧。 体験運転とかいろいろと述べられてはいるが、博物館としてのテーマが一体何で、どういうものを展示していくかという体系的な視点が薄弱なようにも見える。 ・博物館には学芸員が必須だと思うのだが、これも曖昧。鉄道、碓氷峠双方を知悉した学芸員がいないと博物館としての維持発展は望めないと考えるのだが。 4.支援体制の問題 ・ボランティアを地元在住者に限定して募集しているようだが、なぜ地元に限定するのか。施設の規模と意義から考えると地元だけでは維持は困難なはずで、広く全国からボランティアを募集し組織していくべき。 ・鉄道OBや鉄道ファンの意見・知識・能力をもっと利用していくべき。 ・運営費の募金、基金作り等、長期的視野にたった支援体制が必要。 (英国での事例も参考にすべきだろう) 5.碓氷峠全体の保存問題 ・新線(現信越本線)跡地をどのように整備していくのか曖昧。 まさか現状放置という訳にもいかないだろう。土砂災害の危険もあるし、敷地に立ち入った観光客の事故も心配。 ・旧線跡のハイキング路化はいいとしても、観光客のアクセスをどうするのだろう。熊ノ平まで徒歩で往復するしかないとすると、体力の無い人間にとっては辛いものがあろう。熊ノ平からは徒歩以外の方法で横川に戻るあるいは軽井沢に行けるようにしておくことが望ましい。 (軽井沢へのアクセスは重要なポイントと思われる) ・文化村へのアクセス交通機関をどうするのか。行楽季には渋滞する18号バイパスは使いにくいし、駐車場不足も予想される。 列車も、特急が廃止されているため遠距離からは利用が困難。北陸新幹線を利用するにしても、軽井沢から渋滞のバスに乗ってというのでは話にならない。これでは施設に余程の魅力が無い限り、客足が遠のいていくのは目に見えている。客足が遠のけば資金が不足し、展示内容の質が落ち、車両は荒れ果て・・・、評判が落ちてさらに客が減り・・・、という悪循環になる。 やはり自家用車でのアクセスが主流になるだろうから、横川に十分な駐車場を用意して、横川に車を預けたまま碓氷峠全体を気楽に楽しみ軽井沢までも行けるくらいにしないと駄目なのではないか。これにプラスして、列車での利用として、首都圏から横川へ在来線直通列車、新幹線軽井沢駅から「保存鉄道」で碓氷峠を下って横川へという二つの手段があるとベスト。 ・文化村は、やはり碓氷峠あってのもの。碓氷峠そのものを体験できてこそ文化村が活きてくると思われる。 ・結論的には、新線跡を保存鉄道として復活させ、文化村・旧線跡と合わせて碓氷峠全体をトータルの史跡として保存利用していくべきではないかということ。坂本宿・18号線旧道の整備も含めて考えるべきなのは言うまでもない。 以上、文化村への疑問を思いつくままに述べました。事実誤認、論理の飛躍に関してはご遠慮なくご指摘ください。 by 静かなる鉄道ファン |
No.9
| 『JRと鉄道文化村について』 結局のところ、JR東日本(以下JR)の少なくとも経営陣はもう鉄道というものに 情熱を持っていないのだと思わざるを得ない。このような噂がある。JRはもう在来 線には興味がなく、首都圏と一部大都市圏の在来線、および新幹線だけで経営を続け ていきたいという。さらに碓氷線の廃止は今後の在来線切り捨てに向けた既成事実作 りの第1弾だというのだ。また他方でこのような噂もある。碓氷線の廃止の可否は、 新幹線の財源負担問題と国鉄債務負担問題における、JR(負担をこれ以上受けたく ない側)と運輸省(何とか負担させたい側)の政治的駆け引きのためのカードだった のではないかというのだ。これがただの噂であることを祈るばかりだがもし事実な ら、曲がりなりにも国民の財産であった多大な鉄道資産を貰い受けて成立できたJR にしては大したおごりといえよう。首都圏で毎週のように起きている運行トラブルは 国鉄時代よりひどく、これだけを取り上げてもとても鉄道に情熱を持っているとはい えないだろう。 横川鉄道文化むらについてももっと熟考しなければならない。このプロジェクトの将 来が碓氷線の再生の鍵であることは、もう誰もが理解している。でも現在の企画内容 ではこの不景気で何事もうまくいかない世の中、成功の長続きは難しいのではない か。ターゲットは誰なのか、どこから人を呼ぶのか、何でどのくらいの収支をめざす のか、マーケティングがあいまいなように思える。また展示内容も、動くこともなく 本線を外された鉄道車両というものに、どれほどの魅力があるのか。鉄道ファンの悲 願でもあった高崎保存機関車群の正式な保存について、現在の内容が理想といえるの か。言いたくないがどこかお役所的で、ある程度以上の愛情や勉強が感じられない。 本当にこのプロジェクトは大切だと思う。唐突だが鉄道文化事業にある程度の実績を もつ、JR東海やJR西日本にアドヴァイスを受けるというのも今後のために何かと 大切なのではないだろうか。 by T.M |
No.8
| 『軌道バスについて』 この文章は、昨年廃止になった信越本線横川―軽井沢間についての新たな路 線活用見解について述べるものです。 現在、横川から軽井沢の間はバスで運行されていますが、そのうち碓氷バイパ スから軽井沢駅の間は上信越道の碓氷軽井沢I.Cから軽井沢へのアクセス道 路となっており、期間によっては渋滞が予想されバスの定時運転が困難だと考 えます。 具体的に夏休みを中心に軽井沢への観光期間、盆正月の帰省期間、新幹線(高崎―軽井沢間に限らない、東北上越区間が不通の場合でも)の不通時 が挙げられます。 ただ、上記の問題があったとしても、ピーク以外の需要は少ないと考えられると以前述べました。従って、通常の鉄道ではなく、幅広い交 通機関の形式で考える必要があるという見解となっています。 現状の碓氷バイパス経由の方式では、期間によっては正常ダイヤ運行が困難になると考えています。 そこで次の方式を提案します。 ・ 廃止路線区間改造によるデュアルモードバスを運行 上記のデュアルモードバスとはバスでありながら、専用の軌道を持ち、通常の自動車交通部分とは独立した運転が行える新交通システムです。 本来は通常のバス(もしくはトロリーバスのような電気バス)を案内軌条内を走行させる ものでありますが、今回碓氷峠に導入するにあたっては、線路が残っていることにより、次のような全国でも例を見ない特殊なデュアルモードバスの導入を 行うのがよいでしょう。 特殊なデュアルモードバスは現在建設が進んでいる名古屋の方式(通常のバ スが専用の高架橋を走行する。ここではバスの脇に出た案内輪で走行し、ハン ドル操作は行わない)と異なり、通常の線路を案内用軌条とするものと考える ことができます。 この場合、走行は自動車のタイヤで行われますが、鉄車輪を持ち、レールをガイドウェイとして利用します。 上記(岐阜県の谷汲カントリークラブのカート)を見ますと、走行路面には路面電車のようにレールが組み込まれています。ここに車体内部にある鉄車輪 を噛ませますが、実際にはゴムタイヤの走行車輪で走ります。 さて、本方式を導入するメリットとは何でしょうか。通常の鉄道であれば、 運用にかかる経費はやはり嵩みます。ただし、自分自身の専用軌道を持ってい たほうが常時安定輸送を保持することができます。 もちろん、旧路盤を利用した専用道でもよいのですが、今後のこと(観光鉄道化、西武の軽井沢延長:八高線経由など)を考えると線路を残しておくのがよいはずです。 また、線路をガイドウェイにするので、細い危険な道であっても、運転に支障ないようになるはずです。 何よりも通常の鉄道よりずっと経費がかからず、それでも鉄道の扱い(運輸省の統計上)が可能である形態です。 停車場(停留所)は丸山、坂本、熊ノ平の3箇所を新規に開設します。 丸山は旧発電所を利用した観光設備のアクセスと坂本地区住民の足、坂本は霧積温 泉への入り口と東軽井沢ゴルフ場の足、坂本北部地区住民の足、そして旧線を利用した遊歩道への東側の入り口として、熊ノ平は遊歩道への西側の入り口となります。 遊歩道も公共交通機関が近辺にあるほうが利用者も多くなると考えます。 運転形態は、実態がバスであるので時速40k/m程度(場合によっては60k/m:これなら鉄道時より高速)で走行することを考えます。 所定時間が20分程度となります。現在の代替バスより速く鉄道並です。単線としますが一応他客時を考慮して、中間の熊ノ平にて列車交換ができるようにします。 また通常のバスが基本構造なので、車両の乗降口は左側のみで、各停留所は左右に設置します。 両端の駅ではループ線を設け、そのまま折り返し可能になるようにします。 上記方式が観光資源となり得るかは、いかに変った乗り物であるか見せることによります。 蒸気鉄道ならそれ自身観光資源ですが、バスではありふれています。もちろん、レールの上を走る本物のバスとして売り込むことは可能です。 また、車体をおもしろいものにして特に軽井沢へやってくる若い女性の人気を得ることも必要と考えます。 いずれにせよ、現在のみならず、未来のこと(どう世がころぶかわからない)を考えて線路を活用することが必要だと思います。 営業形態について述べてませんでしたが、経費が少ないと判断されるならしなの鉄道とすることが考えられます。 さらに運転区間を小諸まで延長することも考えられます。 この場合小海線との連絡が強化されます。 この方式を元に後々には無人運転の新交通システムに変換することも考えられます。 無人運転可能な新交通システム化が可能であれば(元々踏み切りもほとんどなく山間地で人も入ってこないので無人でも問題ないと思われる)、 人件費も軽減できて期間による輸送量の段差があっても経費に大きな問題を与えないようになるのではないでしょうか? いろいろと個人の言いたいことを言ってはいますが、これが表に出てこなかった「妙案」の1つではないか?と私は思っています。 by S |
No.7
| 『碓氷峠についての意見』 碓氷峠を列車が通過しなくなって、早くも1年が経過しようとしています。 長野オリンピックも終わり、長野行新幹線も、本来の利用率がアップしていくのかが正念場であると言えます。 松井田町、軽井沢町などの地元の方々からすれば、何で必要以上の運賃を払って新幹線に乗らなければならないのかといった疑問をもち続けていると思います。 また、旅行者としても、時間のある者でさえ、何の風情もない新幹線に乗らなければならないのかといった不満もあります。 規模を縮小(単線、列車本数の削減)しても、従来の路線を残しておくべきであると思います。 平行する上信越道(高速)には、毎日定期便のトラックが走り、軽井沢−佐久間では渋滞も多いようです。地球温暖化などの深刻な問題もありながら、環境問題の少ない 鉄道を捨て、バスやトラックに輸送手段を求めるのは、いかにも短絡的な考えでしかたがありません。 碓氷峠の鉄道に人、物の輸送を任せることによって、碓氷峠の自然がいかに保てるかは、だれでもわかることではないでしょうか。 さて、横川に建設中の鉄道文化村も、この秋には一部展示が始まるようです。 レールマガジン、その他の記事で、全貌が見えてきましたが、あまりにも企画のおそまつさにはあきれます。 各地ではやりのテーマパークのような物だけはさけてもらいたいところです。 また松井田町も、JRとタイアップして、横川への輸送手段をイベント列車など、かっての信越線を思い出せるようなものを企画してもらいたいもので す。 また、EF63の動態展示についても、構内のほんの短い区間を走らせるだけでなく、せめて丸山までの路線を休日、祭日などに運転することを検討してもらいたいも のです。 多少、入場料が高くなってもかまわないのではないでしょうか。 これまで、JRなどが企画する鉄道イベントは安すぎます。安いなりの企画しか用意出来ていないと感じています。旧いものを残すのですから、それなりの費用を自治体 のみで負担するのでなく、トラスト運動や、入場料金、イベント料金でまかなってもいいと思います。 いろいろと書きましたが、碓氷峠復活は無理にしても、鉄道村の内容はもう少し想像力、企画力を働かせてもらいたいものです。 by N.T teruteru_boz@mtc.biglobe.ne.jp |
No.6
| 『代替えバスは不便です』 お金がない身分なので新幹線を使わずに、富山から、群馬まで北陸線、信越線、しなの鉄道、JRバス、信越線と 乗り継いで帰ってきました。軽井沢からのバスは、夏休み中なので、平日だというのにすごい混みようで、 増発した2台でも乗り切れないくらいの人数を詰め込んでいました。 満員状態で道路の渋滞や峠のカーブを揺られ大変な思いをさせられました。 横川駅でも、切符を買う行列が出来、後尾の人は、電車の発車時間に間に合わず乗車票をもらって電車に飛び乗っていました。 多くの人が迷惑するバス輸送は見直して、峠に電車が復活することを希望します。 by A.S |
No.5
| 『碓氷峠を復活させよう』 僕も、碓氷峠の廃止については反対です。新幹線が開通したために在来線が廃止にされるというのはあってはならないことだと思います。 どうしても首都圏から軽井沢、長野方面に行く客を新幹線に乗せようというJR東日本の策略としか思えません。 新幹線の開通に伴って併走する在来線が廃止されるという事は(僕が知っている限りですが)JR東日本管内だけだと思うの です。 もう20年もしないうちに北陸新幹線の 長野−富山間が完成すると思いますが、そのときにもJR東日本は併走する在来線の廃止を計画しているのです。 JRと言うのは人々の便利を考え、地域住民の足として非常に大切な役割を担っている企業だと思うのです。 しかし、この碓氷線の廃止は単なる大企業としての「利潤の追求」によって生じた悲劇だと思うのです。 国鉄の二の舞を踏みたくないと言うのは解かりますが、これはひどすぎます。 また、代替措置としてバスを設定しましたが、これは鉄路に比べて時間が倍かかる上に運賃も倍かかり、積み残しや冬場の路面凍結などによる延着など問題も山積で、環境問題の点も含めて、何一つ良くなった点はありません。 特急を含め、30分おきに列車が走っていた所の代替措置がバス数往復とはどういうことでしょう。 小諸から安中まで定期で通うとしても、昔はJRの定期1つですんでいたのに、今はしなの鉄道、バス、JRと3つも必要になりました。 また、東京−長野間を青春18切符で行くには中央東線経由で行くしかなくなり、気軽な旅行が出来なくなってしまいました。 碓氷峠によってもたらされた利点はJR東日本にしかないのです。 碓氷峠を第3セクター化して、「よこかわ鉄道文化村」をつくらずに、横川、軽井沢の両駅を鉄路でつないでおいて、普段は箱根登山鉄道型の車両で運転し、春、夏、 冬休みの繁盛期に高崎のEF63と松本や金沢の189系や489系,それに田町や松本の169系を動員して、上野−軽井沢・長野間の多客臨を設定すればいいと思うのです。 碓氷峠というのは我が国で最初の電化区間なので歴史資料的な価値もあると思うのです。 ですから「よこかわ鉄道文化村」という形で残していくのも1つの方法だと思いますが、地理的な関係上、あまり人は来ないと感じるのです。 そのような方法で残すよりも、碓氷峠というのはあの11.2キロの全区間を保存してこそすべてが分かるのだと思います。 新碓氷橋やめがね橋、丸山変電所など列車に乗っていたら見えるし、それで説明のアナウンスをする方がいいと思います。 そうすることの方がもっとたくさんの人に碓氷峠というものを分かってもらえることだと僕は思います。 by D.U |
No.4
| 『横川始発の特急を出そう』 平成10年8月7日、信越線群馬八幡駅で2番線ホームのレールを外す工事が始まりました。 特急が通らなくなった信越線では、特急通過待ちのための待避線は必要なくなったためです。 レールの剥がされた跡をみて、寂しさが増した時、ふと、横川発の特急が有っても良いのではないかと思いつきました。 信越線の景気づけのため、沿線市町村でJRと掛け合って特急を走らせるようにしては如何なものでしょうか。 新幹線より安く都内に行ける特急が高崎線に1本増えれば世の中のためにもなると同時に、衰退イメージの信越線の活性化にもなると思います。 by 隠れ鉄通勤客のおじさんより |
No.3
| 『ヨコカルへの想い』 僕は13歳中2の鉄道ファンです。約12年鉄道ファンをやっています。僕が「ヨコ カル」にはまったのは小6の時、鉄道ファンの友人から「ヨコカル」が廃止になるこ とを聞かされ、その年の8月20日自分を含め友達3人で「ヨコカル」へ行ってきました。 当時の僕は「ヨコカル」のことはまったく無知で峠のシェルパEF63の詳しいことすら 知りませんでした。横川に着き、まず驚いたのはこのEL, 「EF63」のことで、 いつも武蔵野線で見ているEF65やEF64、EF641000、EF66などといったELと違い、 ものすごい重圧感とやかましいブロアーの音、自分はこのELに人目ぼれしてしまいました。 埼玉に住んでいるのでなかなか「ヨコカル」へは行けなかったものの、H9,9月30日の 廃止までに合計3回行ってきました。2回目には友人と軽井沢から横川まで歩きました。 僕が最後に「ヨコカル」に訪れたのはH9、9月27日で、父に連れていってもら いました。その日はあの165系急行「赤倉」にも乗せていただきました。 そして運命の30日。僕は最終「あさま」のテレビ中継を見ていました。廃止されてからも 11月にもう一度「ヨコカル」に行きましたし、今年の6月には学校の宿泊学習(野辺山へ2泊3日) で「ヨコカル」の上を通る上信越自動車道の斜張橋(丸山変電所の近くの)から見ました。 今でもかまめしの立ち売りのおじさんが、「かまめーし、かまめしはいかがですかー」と言いながらEF63のブロアーの音と共に時々夢に出てきます。 「ヨコカル」復活についてはもちろん大賛成。もし「復活させるために募金を」と言われたら、真っ先に募金していると思います。 「ヨコカル」復活は鉄道ファンは勿論、地元住民のほとんどが願っているのだと思います。ちなみに家のEメールアドレスも親に頼んで ef6320@ から始まっています。 by H.I |
No.2
| 『僕も同感です』 僕は12才になる鉄道ファンです。 碓井峠が廃止になって不便になったのは心の底からよーく分かります。 僕の友達も鉄道が大好きです。 ある日、碓井峠の廃止特集の番組を見せてもらいました。 おぎの屋の人、碓井峠に関わった人の悲しそうな顔がすごく印象に残っています。 T.K |
No.1
| 『碓氷峠の廃線に関する意見』 一人旅を初めてしたのは、この碓氷峠でした。初めてここを鉄道で訪れたときに感じたのはなんて素晴らしい場所なのであろう。今までにこのようなところは訪れたことがあっただろうか。また、是非、訪れてみたいものだ。 そして、昨年、その碓氷峠を登る鉄道がなくなってしまったのは、私にとってとても残念で仕方がなかった。なぜかって? 旅をして、なにもかも(苦しかったこと、むかむかしたこと、等々)忘れることができてしまうとても不思議な場所が、また一つ失われてしまったことである。 現代何でもかんでもそうである。全て効率性(収益性)だけが重視されてしまい、大事なとても大事なものを潰してしまっているからである。碓氷峠を登る鉄道に関してもそうで、効率性(収益性)のみを重視した結果が、新幹線開業に伴う在来線の廃止(今回に関しては、何と最悪の廃線!)である。あまりにも脳がなさすぎはしないか。鉄道は何もスピードだけが売り物ではないはず。旅をする人のことをあまりにも無視しすぎてはいないだろうか。(やはり、 企業倫理がはたらいている!!) とにかく、旅をするものにとって新幹線だけしかないのでは、あじけもなにもあったものではない。色々とのべてしまったが、やはり、旅をするものにとっても是非、復活を望みたいのが、碓氷峠を登る鉄道である。今までの施設をいかして(無理なのか?)、最高66.7パーミルをこんどこそ、列車単独で登ってほしいものである。 by 碓氷峠をこよなく愛する一人の旅人?より |