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今や日本にただ一人



 寄席芸の分野では名前のメカニズムが人名とは異なることに気づいた。
 まず、姓にあたるのは、多くの場合に一門の名前である。三遊亭が姓、円楽や遊三や小円遊が名と見ることができる。
 漫才の場合、必ずしもこのルールは成立しない。
 確かに、青空球児・好児のような例もあるが、夢路いとし・喜味こいしのように、コンビ (しかも実の兄弟) でありながら姓の部分が違ったりする。また、オール阪神・巨人のように姓+名のパターンになってないものもある。この場合、聞かないと誰の弟子だかわからない。
 それどころか、東けんじ・宮城けんじ (W けんじ) みたいに、名前のほうが一緒で姓の部分が異なる、という例まであったりする。*1
 ところで、人の名前は、姓+名でユニークなものとなる (ことが期待されている)。姓だけ、名だけでは、よっぽどのことがないかぎり、個人を特定できない。
 が、落語家や漫才師の場合、下の名前だけで特定できる。
「柳昇」と言えば、笑福亭でも松鶴家でもない。「春風亭柳昇」一人しか存在しないのである。*2
 逆に、姓にあたる部分は、理論的に門数が上限だから多くはない。芸人個人の識別にはほとんど役立たないと言える。
 ビートたけしが明石家さんまを「おい、明石家」と呼ぶことがあるが、これがおかしいのは、そういうメカニズムが前提にあるからだと思われる。





*1
 五月みどり、小松みどりという姉妹もいるが。(
)

*2
 寄席の舞台には演者の名前が書かれた札があるが、「立川談志」のように姓の部分が小さかったり、「小三治」など名前だけだったりすることがある。(
)




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