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1.まえおき
この本は著者と同じ津和野出身の文豪森鴎外が訳した、アンデルセンの「即興詩人」に魅せられた画家が、主人公アントニオすなわちアンデルセンがたどったイタリアの各地を巡り、小説に関係した場所でスケッチした水彩画を添えて、「即興詩人」を紹介したものです。
原本は雅文体とあって読みにくい内容ですが、本書で内容に親しめば、余り苦労せずに原本を読むことができます。
そのほのぼのとした風景画を眺めながらこの本を読んで行くと、著者の情熱と先輩に対する敬愛の情を感じることができます。
2. はじめに
わたしが、はじめて森鴎外訳の『即興詩人』に出会ったのは、20代半ばのころでした。そのころ、鴎外のものはみんな読むことにしようと決めて読んでいるうちに、この本の順番がきて、半ば義務のように冒頭の20行あまりを読み、難しいので、一時そのままにしていました。書いてあることもよくわかりませんでしたが、文章の心地よさとでもいうものだけは、とても心に残っていました。わたしとしては修行なのですから、わからなくても読めばそれでよかったのです。だから、無理にでも読もうと思ううち、心地よい文章の音が、ますます耳に残っていくのがわかりました。そして、はっと悟るところがありました。「文語体の美しさとはこれか」と、わたしは、その秘密に触れたのです。
他に文語体の文章を読んだことがないわけではありません。しかし、この作品は日本の古典や漢詩の世界ではなく、西欧の物語です。坪内逍遥(しょうよう)訳のシェイクスピアがあるように、そのころは文語体で翻訳することは、今思うほど不思議ではなかったのでしょうが、『即興詩人』は他のどれとも違って読めました。後の人は鴎外のそれを雅文(がぶん)体と呼んで、在来の文語体と区別しました。
そんな経験から、どうしても鴎外の『即興詩人』を人にすすめたいのです。これを読み終えれば、他の文語体は楽に読めるようになるはずです。
幸い、その後ローマに行く機会があったために、主人公アントニオが、伯父の手をのがれて一夜を明かすカピトリーノの丘、月光の下のフォロ・ロマーノなどが、急に目の前のものになってきました。そのときは途中までしか読んでいませんでしたから、また、はじめから読みなおしました。すると、まだ読んだことのない本といっていいほど新鮮なのです。このことは今もおなじで、もう何度も読んでいるのに、読むたびに新しい発見があるのです。
そこで、この『即興詩人』に出てくる土地を余さず踏破(とうは)しょうと決めたのは、もう40年近くも前のことでした。*
原作は1835年にアンデルセンが書き、1902年に森鴎外の翻訳で出版されました。つまり、鴎外の訳が出てから、今年がちょうど百年という記念すべき年なのです。
出版された当時は、西洋でも日本でも大評判で、日本人のなかには『即興詩人』をイタリアヘ持って行って旅行案内がわりにした人が、何人もあったということです。
鴎外はわたしの郷里、津和野に生まれた人で、郷土の誇りです。けれども、わたしが鴎外を読み、とりわけ『即興詩人』に傾倒しているのは、アンデルセンだとか、郷里の人とかいうことは全く関係はありません。むしろわたしは他の土地に生まれて、『即興詩人』に対する敬慕の純粋さの証(あかし)をたてたいくらいです。
*
この、わたしの本を見て『即興詩人』を読んだような気になられたら困ります。これは鴎外の『即興詩人』に触発されて、主人公アントニオの足跡をたどったものです。つまりそれは、アンデルセンの足跡でもあるのです。
しかし、鴎外は一度もイタリアには行っていないのです。わたしは、この物語に描かれた現場に立ってみて、(見たこともないはずの)鴎外の翻訳の的確さになんども驚いたものです。だから、鴎外のかわりにアントニオの足跡をたどるつもりになってみるのは、いくら同郷の人間でも不遜(ふそん)なことですが、ときどき、そんな、いい気分になつたこともありました。ただしそれは「ひいきのひきたおし」で、原文を読まれる方のじゃまになるといけないなと思っています。どうか、この機会に原文を読んでいただきたいと思います。 安野光雅
3. 本の目次(『即興詩人』 文と絵の目次)
わが最初の境界…………4
ピアッツァ・バルベリーニ
カプチーノ教会の人り口 スペイン階段
隧道、ちご…………10
カタコンベの印象
美小鬟、即興詩人…………12
サンタ・マリア・アラチェリ/パンテオン
トレヴィの泉花祭…………16
アリチアの橋からの眺め/ネミ湖、ダイアナの祠より
花祭りのジェンツァーノ
謇(下は言でなく足)丐(けんかい)…………22
露宿、わかれ…………24
フォロ・ロマーノ
曠 野…………26
曠野
水 牛…………26
みたち…………28
ポポロ広場/ボルゲーゼの舘
学校、えせ詩人、露肆…………32
ナヴォナ広場
神曲、吾友なる貴公子…………34
ダンテの霊廟
めぐりあひ、尼君…………36
サン・アゴスティーニ教会
猶太の翁…………39
士官ベルナルドオ
猶太をとめ…………40
ローマの旧ユダヤ人街のあたり
媒…………41
謝肉祭…………42
謝肉祭の競馬歌 女…………44
をかしき楽劇…………46
オーロラ/ローマ展望
即興詩の作りぞめ…………50
謝肉祭の終る日…………51
精進日、寺楽…………52
ポンテ・ベッキョ
友誼と愛情と…………54
をさなき昔…………55
画 廊…………56
ボルゲーゼ美術館
蘇生祭…………58
ローマは不滅
燈籠、わが生涯の一転機…………58
サン・ピエトロ大聖堂
基督日の徒…………62
ツスクルムの丘から見たカヴォ山
山 塞(土の代わりに木)…………64
ツスクルムの丘
血 書…………66
花ぬすびと…………67
封 伝…………67
アッピア街道
大沢、地中海、忙しき旅人…………68
ポンチネの大沢/テルラチナ一故人…………73
ローマとナポリ王国との関所跡/イトリの古い教会
旅の貴婦人…………74
ガエタの教会/ミンツルネの遺跡
慰籍(くさかんむり)…………80
ナポリの"卵城"とヨットハーバー
考古学士の家…………82
絶交書…………83
美しきナポリ
好機会…………87
古 市…………87
エルコラーノ
噴火山…………89
ポンペイ
嚢 家…………90
ナポリ、スペイン地区
初舞台…………92
ナポリのサン・カルロ大劇場
人火天火…………95
スパッカ・ナポリ
もゆる河…………98
旧(略字でない旧)羈てき…………99
苦言…………100
サレルノの教会古祠、鼓(こ: 下に目)女…………104
4. あとがき
ペスツム
夜襲…………104
アマルフィ/アマルフィの路地/アマルフィの教会
たつまき…………109
夢幻境…………110
カプリ島のホテルの窓から
蘇 生…………112
帰 途…………112
教 育…………114
小尼公…………114
落 飾…………116
チヴォリ
なきあと…………116
未 練…………118
フォロ・トライアーノ
梟 首…………120
ネピ
妄 想…………122
ロレート
水の都…………124
カナル・グランデ(大運河)
颱(ぐ: 台の代わりに具) 風…………126
嘆きの橋
感 動…………128
ヴェネチアの路地
末 路…………130
ヴェネチアの謝肉祭/ヴェネチアの橋の上から
流 離…………138
パドヴァの大聖堂前
心疾身病…………141
浪珞(かん: 旁は干)洞…………143
カプリ島の船着き場/カプリ島全景
講談社のPR誌「本」に、念願の『即興詩人』をテーマに連載することになり、1999年1月から2002年6月まで掲載をつづけました。このたび、一冊の本にするにあたっては、原文の美しさと物語の展開がわかるように、文章は原文の引用をまじえて書き直し、絵も三分の一ばかり新たに描きました。
この本によって、懸案(けんあん)のわたしの夢はかなえられたはずですが、書き終わってみると、「あ、即興詩人の道を行かなければ」とまた思うのです。時間を見つけては、『即興詩人』の文章を、写経のように書き写していますし、英訳の『即興詩人』をやっと手に入れて、これを翻訳してみよう、などと思ったりします。無論これは冗談です。ほとんど病気です。
カプリ島を去るとき、もうこの島に来ることもないだろうな、と思ったものですが、わたしは、また同じ道を行くかもしれません。何年か先、すっかり年をとって、杖(つえ)でもついて、おろおろとあのあたりを歩いているのじゃないか、という予感がします。
森鴎外(おうがい)をはじめ、取材に同行して下さった方々、編集に携わってくれた皆様方に感謝いたします。
2002年10月吉日 安野光雅
5. 読後感
もともと安野さんの画集は幾つか読んでおり、風景画の描き方を指導するテレビも見たことで親しみを感じていました。鴎外にも興味を持ち、即興詩人も岩波文庫のを若い頃求めながら、つんどくでした。これを機に原文も読み始めたので良い本を手に入れたと喜んでいます。数年前にイタリアを旅行し、なつかしい風景も幾つかあって、仕事でスケッチに行ける安野さんをうらやましく思いました。
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[Last updated 1/31/2009]