古事記講義
(こじき こうぎ)
 

  目 次

1.まえおき
2. ガイダンス
3. (本の)目次
4. あとがき
5. 著者紹介
6. 読後感



三浦 佑之
(みうら すけゆき)
(株)文芸春秋

「本の紹介2」に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る


1.まえおき
 この本は新聞の書評でお目にかかり、HHKの週間ブックレビューでも取り上げられたので(調べてみたら2003.11.23放送分で、取り上げたのは黒崎政男東京女子大教授)、一度読みたいと思いながら、なかなか読めませんでした。今回、やっと読了したので載せることにしました。
 この「講義」の前に、同じ著者の「口語訳 古事記」があるので、順序は逆になりますが、近いうちに取り上げたいと思っています。

2. ガイダンス−講義のまえに
 思ってもいないことでしたが、『口語訳古事記[完全版]』(文芸春秋、2002)という本を出したところ、たくさんの方に読んでいただくことができました。そのせいでしょうか、なぜ今、古事記が読まれるのかと尋ねられることがしばしばありました。おそらく質問者の意図としては、近年の保守化傾向と重ねて、あるいはグローバル化する世界への違和感とつなげて、今、古事記が読まれることの意味を考えたいという気持ちがあるのかもしれません。そしてたしかに、そうした解読も可能かもしれませんが、一方で、もっとすなおに、神話の楽しさに気づいてもらえたからではないかとわたしは思っています。
 古事記を手にした理由はいろいろあるとして、読んでみたら、古事記という作品に語られている神や人の考えや行動が、今ここに生きているわたしたちにとつて共振できるところが多いというのが魅力だったのではないでしょうか。語られている内容は突拍子もない出来事が多いのですが、そこからは、この大地の上に生きた人びとの息づかいが聞こえてきそうな感じがします。それは、古事記に登場する神や人がいずれも個性的で、喜怒哀楽に満ちているからです。そのために、堅苦しい本かと思っていたのに、現代の小説やマンガを読むのとおなじように古事記も楽しめるじやないか、と気づいてくださったのだと思います。
 もうひとつの読まれる理由として、自画自賛になってしまいますが、古老が語るというスタイルにしたのがよかったのかもしれません。これは、読者を意識してということもあるのですが、わたしにとつては古事記研究のための戦略でもありました。書かれた古事記の背後には音声による語りが息づいていると考える、研究者としてのわたしの立場を主張しておきたかったわけです。そして、この点については今回の講義でもさまざまな角度からお話ししてゆくつもりです。
 ところで、わたしは語り部を古老の男として設定したわけですが、この点についても何人もの方からご意見や質問をいただきました。稗田阿礼(ひえだのあれ)というのは男だったのですかとか、古事記にくわしい方からは、柳田国男も西郷信綱も阿礼女性説ですよねとか、阿礼は年28とありますよねとか、序文の内容にかかわって尋ねられるのです(原文には「序」とありますが、講義では一般的な呼称によって序文と呼ぶことにします)。
 たしかに、『口語訳古事記』では、その「序」を付録にまわしてしまうなど、あまり重視していないようにみえますし、稗田阿礼についてもほとんど言及しないままでした。古事記という作品の成り立ちについては、その序文による以外に方法はありません。しかし、序文は気になる点がいろいろとあって、正面から扱うのは少々やっかいなので避けてきました。この講義ではいずれお話ししなければと考えています。ただ、稗田阿礼については、『口語訳古事記』で古老を引き出した責任もありますし、講義の中で扱えるかどうかもわかりませんので、ここで簡単にふれておきたいと思います。

目次に戻る

 古事記の序文によれば、天武天皇は、「あちこちの家で持ち伝えている帝紀(ていき)と本辞(ほんじ)とは、すでに真実の内容とは違っており、多くの都合のいい虚偽を加えている」のを憂え、「帝紀を選んで書き記し、旧辞(きゆうじ)を探し求め、その偽りを削除し真実を定めて、後の世に伝えよう」と決意します。そこに登場したのが稗田阿礼という人物でした。次のようにあります。

   その時、天皇のお側にお仕えする一人の舎人(とねり)がおりました。氏の名は稗田(ひえだ)、名は阿礼(あれ)と言い、年は28歳でありました。その人柄はと言えば聡明で、目にしたものは即座に言葉に置き換えることができ、耳に触れたものごとは心の中にしっかりと覚え込んで忘れることなどありませんでした。そこで天皇はすぐさま阿礼にお命じになり、ご自身がお選びになった歴代天皇の日継ぎの伝えと過ぎし代の出来事を伝える旧辞とを謡み習わせなさいました。(『口語訳古事記』399頁)

 しかし、その事業を完成させることはできず、8世紀初頭の元明天皇の時代になって、太朝臣安万侶(おほのあそみやすまろ)に命じて、阿礼の伝える「勅語の旧辞」を筆録させたのが古事記だというわけです。
 ここにはいろいろと考えなければならないことがあるのですが、まずは「誦み習わせる(誦習)」というのがどのような行為かという問題があります。「誦」は声に出してとなえること、「習」はなんどもくり返してならうことで、天武が正した帝紀と旧辞とを覚えておく方法が「誦習」だったのでしょう。したがって、稗田阿礼は語り部の末裔ではあるのでしょうが、純粋に音声の語りを受け継ぐ者であったとは言えないのかもしれません。ちなみに、「語り」というのは、一字一句たがわずに暗記して、それを唱えるという行為ではありません。本来の語り部は、昔話の語り手がそうであるように、筋や内容を変えることはありませんが、語るたびに細部の表現は異なります。その場の雰囲気に合わせて自在に言葉をあやつることができなければ語り部とは言えないのです。
 序文には、阿礼は「舎人」とあります。舎人というのは、天皇に近侍して身のまわりの世話などをする貴族や地方豪族の子弟をいいます。舎人はもちろん男性に限られ、別に、采女(うねめ)と呼ばれる女性が天皇のそばには侍っています。ですから、序文の内容を文字通り受けとれば稗田阿礼は男性ということになるのですが、女性とみる見解がかなり強力に主張されてきました。
 阿礼女性説は江戸時代からありましたが、近代以降の代表的な女性論者の一人に、民俗学者の柳田国男がいます。柳田は、1940年に出版された『妹の力』(柳田国男全集11、筑摩書房、1998)という本に収めた「稗田阿礼」という論文で、アメノウズメを祖とする猿女君(さるめのきみ)の同族として稗田氏はあり、その女たちは巫女的な能力をもつて宮廷に奉仕していたと考えたわけです。この柳田の見解を受け継いで阿礼女性説を展開したのが、神話学者の西郷信綱でした。西郷さんも柳田とおなじ題名の「稗田阿礼」(『古事記研究』未来社、1973)という論文を書いて、ウズメや猿女君とのかかわりのなかで阿礼を考えようとしました。二人の研究者に共通するのは、阿礼の役割としての「誦習」を語り部の職能と重ねてとらえ、そこに見出せる巫女的な性格を強調したことでした。語りは聖なる行為であり、それはシャーマンの担う役割でもあるから、阿礼は巫女的な存在でなければならないというのが柳田国男と西郷信綱の考え方の根底にはあるのです。

目次に戻る

 たしかに、語り部はシャーマン的な性格をもつ者でなければならないとわたしも考えています。しかし、女性でなければならないのでしょうか。というより、語り部を女性とする痕跡はどこに見出せるでしょうか。出雲国風土記にみられる語臣猪麻呂(かたりのおみゐまろ)をはじめ、アイヌの英雄叙事詩の語り手も男性です。遍歴する芸能者であるホカヒビトも男性であったとみていいでしょうし、男性を優位なものとみなす男系社会において、聖なる語りごとは男たちによって分担されていたとみなければならないとわたしは認識しています。しかも、稗田阿礼は、いわゆる文字をもたない語り部とはみなせないわけで、「舎人」とあるのを素直に受けとるべきではないかと思うのです。
 しかも、古代の戸籍によれば、アレというのは男の名で、女性の場合は 「アレ女」というかたちになるという考古学者の水野正好の指摘もあって(「古事記と考古学」『日本古代文化の探究 古事記』社会思想社、1977)、男性説が有力だというのが現状です。ただし、日本文学研究者の藤井貞和は、西郷信綱の巫女説を批判しながら、稗田阿礼を男性とみるのが「すなおに受け入れられる」としたうえで、「表現者なるものは男も女もない、そういう区別を超えた存在」であって、「男か女かにこだわり過ぎるのはよくない」とも述べています(『物語文学成立史』東京大学出版会、1987)。あるいはそこいらあたりに着地するのが、阿礼の性別に関しては穏当なところかもしれないとも思います。そもそも稗田阿礼なる人物がほんとうに実在したのか、たった一人の固有の存在とみなしてよいのかという疑問さえつきまとうわけですから。序文自体が怪しいという立場に立てば、こうした議論自体が成り立たなくなってしまいます。
 ただ、わたしとしては、稗田阿礼という人物にかぎらず、古代の日本列島における語り部は男の担う役割だったという考え方を貫いておきたいと思います。『口語訳 古事記』の古老も、そうした七世紀半ばの語り部の末裔をイメージして創出したものです。もちろん、その架空の古老が稗田阿礼に直接つらなるとは考えていませんが、遠くで響きあうところはあるでしょう。ただし、阿礼が語り部の末裔だったとして、かれは宮廷に仕える語り部ですが、わたしがイメージした古老は、王権と外部との狭間に位置するような存在です。それゆえに、かれは、王権と外部とを自在に往き来し言葉を操りながら、過ぎし世の語りを伝えることができたのです。
 このあたりの問題は、これからはじめる講義のなかで改めてふれる機会があるでしょうし、古事記が何を語ろうとしているのかということを考える場合には重要な問題になります。また、古事記の序文については、いずれ問題にしなければならないことだと考えています。
 ああ、そうですね、語り部の年齢にもふれないと。
 語り部という特殊な職能をもつ集団は、おそらく世襲的に受け継がれてゆくわけですし、若い人も老人もいたでしょう。ただ、長老が権威をもつというのがこうした職能集団の常ですし、風土記には語りを伝承している「古老」がいろいろと出てきます。そこから私は古老を選びました。しかも、滅びゆく最後の語り部に古事記の神話や伝承を語らせてみたいという感傷的な気分があったわけで、稗田阿礼とむすびつけて、28歳が古老かというふうにこだわられると困るのです。
 講義のまえのガイダンスのつもりが、いささか深入りしすぎたかもしれません。ただ近ごろの大学では、講義を紹介するガイダンスやシラパス(授業計画)の充実が義務づけられていまして、手を抜いたりすると学内の教育改善委員会や外部の大学評価機構の委員からお咎めがあります。おまけに学生による授業評価アンケートなどもあって、板書のし方から成績の出し方まで気を遣うことばかりです。あちこちから監視され中身を検閲されておびえるしかないというのが現代の大学教員の置かれた現実です。その点で、みなさんのように、単位はいらないけれども古事記の内容をもつとくわしく知りたいという方々の前でお話しするのは、とても楽しいことです。いえ、けっしてお世辞を言っているわけではありません。

目次に戻る

 古事記に語られている神話や伝承はどのように読めるのか、なぜそのように語られるのか、具体的な神話や伝承の分析をとおして考えてみようというのが、この講義の第一の目的です。もちろん、『口語訳 古事記』でもそのあたりのことは心がけたつもりで、古老の口を借りたり、口語訳の下に置いた注釈に書き込んだりしたのですが、スペースの都合もあって、断片的にならざるをえないという事情がありました。その不足を補うために、そして、注釈や古老の語りを発展させるために、今回、こうして講義のチャンスを与えていただいたのは、わたしにとつてはとてもありがたいことだと感謝しています。
 それなのに言いにくいのですが、ずいぶん長く教師をしていながら致命的な欠陥がありまして、人さまの前でお話しするのがあまり得意ではありません。また、取りあげるテーマによっては少々わかりづらいお話をすることになるかもしれませんし、板書の下手さについては定評があります。しかし、そこのところをちょっと我慢してお付き合いいただければ、みなさんにとって思わぬ発見がないともかぎりません。わたし自身、講義をしながら新しい読みを思いつくことがしばしばあります。ことにみなさんのように熱心に聞いてくださる方が多いと、こちらも気合が入るためでしょうか、パソコンの前に座ってキイを叩いていたのでは思いつきそうもないことが口をついて出てきたりします。
 この講義では四つのテーマを設定して、古事記に語られている神話や伝承の深みに迫ろうと考えています。それは、古事記という固有のテキストのなかに閉じこもろうとするものではなく、古事記を外に開いてゆこうとする試みです。わたしたちが暮らしているこの日本列島において、古代の人びとはどのような神話や伝承を語り継いでいたのか、それはなぜ語られたのか、そこから古代の人びとの思考や行動をどのように見出せるのかということをくり返し問い続けながら、古事記の神話や伝承に向き合ってみることにします。
 古事記という作品の解説をはじめにするのは避けて、まっすぐに神話や伝承に向き合います。作品の解説をするよりも、そこに何が語られ、わたしたちはそれをどのように読めるかということを考えるほうが大事ですし、お話しするわたしにも、聞いてくださるみなさんにも楽しいと思うからです。もちろん、それぞれの神話を読むときに必要な情報は、そのつど説明します。ただ、何かを始める前に予備知識を仕込んでおくのは理解を深めるためには必要なことですから、古事記について知りたいという方は、『口語訳 古事記』のうしろにつけた解説「古事記の世界」をお読みください。古事記という作品の成立事情や構成・内容について、くわしく論じています。しかし、解説で述べたことだけが古事記のすべてではありませんし、その当時と今とではわたし自身の考え方や見方が違っていることもあるかもしれません。あれこれと考えれば考えるほど、古事記という作品はわからなくなってしまうのです。
 欲張りかもしれませんが、古事記研究を専門になさっている方にも、古事記なんて読んだことがないという方にも、刺激的な講義にしたいと思っています。そのために、ひとつだけお願いがあります。種類はなんでもかまいませんが、テキストを一冊準備してください。講義でとりあげる神話や伝承については引用しながら説明するつもりですが、手元にテキストがあったほうが講義を理解しやすいと思います。文庫本でも専門的な注釈書でもかまいません。お持ちでない方は、いろいろな種類のテキストが市販されていますから、自分にあったものを探してみてください。せっかくなら、系譜などが省略されていない全文を収めたテキストがいいですね。
 もちろん、苦労して作った系図や事典類もついた『口語訳 古事記』を協に置いていただくのがいちばん便利で、ありがたいのは言うまでもありません。この講義でも、おもに『口語訳 古事記』を使いながらお話を進めてゆくことにします。ただし、この本には原文が付いていませんから、あわせて原文も参照したいという方には、値段の手頃な岩波文庫版『古事記』がいいでしょう。
 さあ、ガイダンスはこのくらいで切りあげて、さっそく講義を始めることにしましょう。
 まずは、神話はなぜ語られるのかというところから古事記の世界に入ってゆくことにします。

目次に戻る


〔凡例〕
1 古事記をはじめ、日本書紀・風土記・万葉集などの引用は、巻末の「引用文献一覧」に記したテキストによりながら、訓読や送りがななどについては、わたしの判断によって改めた部分があります。また、古事記の口語訳については『口語訳 古事記[完全版]』を使用し、頁数を注記しました。
2 古事記のテキストや注釈書のうち本文でしばしば引用する書物については、以下の略称を用いています。
 古典大系 (倉野憲司・武田祐吉校注『古事記 祝詞』日本古典文学大系、岩波書店、1958) 西郷注釈 (西郷信綱『古事記注釈』 四冊、平凡社、1975〜89)
 古典集成 (西宮一民校注『古事記』新潮日本古典集成、新潮社、1979)
 思想大系 (青木和夫ほか校注『古事記』 日本思想大系、岩波書店、1982)
 新編全集 (山口佳紀・神野志隆光校注『古事記』新編日本古典文学全集、小学館、1997)
3 本文中の神人名の表記は、原則として『口語訳 古事記』に従って旧かな遣いによるカタカナ表記で統一しました。それに合わせて、漢字を用いて表記する日本書紀や風土記などの神人名の読み方は、本文および現代語訳による引用においても、すべて旧かな遣いによって表記します。

目次に戻る

3. 本の目次

  ガイダンス    講義のまえに 7

第一回 神話はなぜ語られるか………………………………17
   一 人間の起源 − 人である草 20
   二 人間の寿命 − 木の花のいのち 28
   三 ウケヒ神話 − スサノヲは勝ったのか負けたのか 37
   四 天の岩屋神話 − 仕組まれた祝祭 54

第二回 英雄叙事詩は存在したか………………………………71
   一 歌謡劇と芸能者 − 抱き合う石人とカニ男 75
   二 英雄叙事詩と英雄時代論争 90
   三 語られる英雄叙事詩の可能性 100
   四 スサノヲ − ヲロチを退治する英雄 109

第三回 英雄たちの物語………………………………131
   一 戦うヤマトタケル − 横溢する少年英雄 134
   二 彷捏うヤマトタケル − 東征譚の女たち 154
   三 マヨワとツブラノオホミ − 変貌する英雄像 165
   四 オケとヲケ − シンデレラ・ボーイの物語

第四回 出雲神話と出雲……………………………… 257

 引用文献一覧 271
 あとがき − 講義を終えて 275

目次に戻る

4. あとがき−講義を終えて
 教壇に立つようになって30年近くなるのだが、講義というのはむずかしく、「今日はうまくいった」と思える時は少ない。「しまった、あれを言い忘れた」「あんな駄洒落を言うんじゃなかった」という程度ならいいのだが、話の途中で辻褄が合わなくなってしまったとか、得意気に話したことが間違っていたとか、時にはつい口が滑って聴いている学生を傷つけたのではないかとか、なんとも情けない思いをすることがしばしばである。だから、90分間しゃべり続けてぐつたりして研究室にもどり、けっこううまくいったかなと思いながらロング・ピースに火をつける、それがわたしにとつては至福の時ということになる。しかし、そういうことは滅多になくて、がっくりうなだれながらもロング・ピースにはしっかりと火をつけるから、いつも講義というのはわたしの身心に苛酷な負荷をかけ続ける。おまけに、そのうまく進まない講義をだまって聴いていなければならない学生のほうが、ずっとストレスは溜まっているだろうなと思うとますます滅入つてしまう。
 それなのに懲りずに、いつもの教室から外に出てまで講義をすることになった。きっかけは、東京は池袋にある大きな書店の中の小さな喫茶室で開かれた古事記神話についてのトークセッションだった。そして、その会にサクラとして来てくれた編集者の、「これはいい、これで一冊いきましょう」という、まさに鶴の一声で「古事記講義」の開講は決定されたのである。出版業界というところは(ほかの業界もおなじだろうが)、ひとつ当たると二匹目、三匹目のドジョウを追うというのがしきたりのようで、おまけにこちらもいささか欲が出て、ついつい誘いに来ってしまったという次第である。
 さて、今回の集中講義のでき具合はというと、自分で言うのは烏滸(おこ)がましいのだが、なかなかおもしろい内容になったのではないかと思う。何十年も古事記という作品を読んできて、わたしが興味をもっていること、こだわっておきたいこと、『口語訳 古事記』ではうまく説明しきれなかったことなど、話しておきたいことのおおよそは取りあげることができたし、あたらしい見解も随所に盛りこむことができた。
 ただし、講義というのは生ものだから、いつものことながらシラパス(授業計画)どおりには運ばない。今回も、前の話題をふり返って軌道修正しながら講義を組み立てていった。そして、わたしの長年の経験で言うと、そういう講義のほうがだんぜんおもしろい。聴く側にとつて、教師が苦しみながら何かを見つけ出してゆく、その道筋を共有できるのが講義の魅力なのである。したがって、近頃のはやりだが、シラパスどおりに進行したかどうかで講義を評価しようとするのは間違っていると思う。予定どおりに進んだ講義など、自然科学系の学問はいざ知らず、人文系の学問ではつまらなくて聴いていられない。
 今回、試行錯誤しながらわたしがこだわり続けたのは、一言でいえば、なぜ神話は語られなければならなかったのかということに尽きる。人がひとであるために、自分がここにあるために、わたしたちも、古代の人びとも、直面する出来事や与えられた境遇に向き合わなくてはならない。そして、正面から向き合うことで生きる根拠を見出すのだ。その証しが、古代にあっては神話であり伝承であった。そのことだけはきっちりと伝えたいと思いながら、毎回の講義を展開したつもりである。
 ここで少しだけ楽屋話をしておくと、「語り」を軸に据えて古事記を読みなおしてみたいというのは当初からのもくろみだったし、人間の誕生から説きはじめ、英雄叙事詩へ転じるという道筋は最初から構想していた。人は草から生まれ草のように死んでゆくという心性についてはぜひとも強調しておきたかったし、神話や伝承を考察するために叙事詩論は外せないテーマだと考えたからである。ただそのあとには、別の内容を予定していた。ところが、英雄たちの話題がマヨワやオケ・ヲケ兄弟に及んだことで、王権と古事記との関係にこだわりが生じ、それを契機として出雲神話について論じておかなければならないということに思い至って出雲世界に踏み込んだところ、最後の最後になって古事記成立への疑問が噴出することになった。以前から、天武天皇の勅語の旧辞をもとにして古事記が作られたと主張する序文への疑惑はくすぶり続けていたのだが、今回の一連の講義によって、それがわたしの前に大きく立ちはだかってきたのである。
 それにしても、この、一種の偽書説ともいえるわたしの考え方は、古事記研究という狭い世界にかぎれば危険思想ということになりかねない。だれだって、自分の会社は潰れてほしくないし、家族崩壊には直面したくない。わたしとて同じだ。だからとても重い課題を背負ってしまったような気がしないでもないが、一方では、漂っていた靄(もや)が消えたようでとても爽やかな感じがする。大嵐になるのか何事もなく鎮まるのか、予報することはむずかしいが、たまには波風が立つのもいいだろう。

目次に戻る

 この講義は、「文学界」に四回にわたって連載された原稿に大幅な手入れをして完成した。毎月百枚の連載は命がけの綱渡りであったが、掲載を快諾していただいた編集長の細井秀雄氏には心からの感謝を申しあげたい。「文学界」はわたしにとつて憧れの雑誌で、学生時代には定期購読していた。その巻頭に第一回の講義が掲載された時の興奮を言葉にするのはむずかしい。そういえば、連載の終了直後に細井氏は他の部署に異動になった。その原因がまさかわたしの原稿のせいでないことを祈るばかりである。
 講義の仕掛け人は、出版局の平尾隆弘氏であり、藤田淑子氏である。『口語訳 古事記』に続いて、緊張しながら楽しく仕事をさせていただいた。ことに平尾氏には、「文学界」の連載を隅から隅までたんねんに読み、的確な批判とアドバイスをいただいた。わたしの独りよがりな発言に対して正面から投げ込まれた平尾氏の速球を、うまく弾き返すことができたかどうかは不安だが、お蔭で講義内容を充実したものにすることができたのはたしかである。藤田氏には、二人の間に立っていろいろとお気遣いいただいた。また、書き上げたばかりの下書き原稿に目を通し、キイボードのミスタッチから全体の構成に至るまで、さまざまな助言をいただいた著作権エージェント「ボイルドエッグズ」の村上達朗氏にも感謝したい。
 今回も校閲の方にはたいへんお世話になった。まさか、都立図書館に籠もつてわたしが引用した本と論文のすべてをチェックしていただけるとは思ってもいなかった。挙げ出すときりのない謝辞の最後に、組版・装幀・製本など手助けいただいたすべての方々に心からの感謝を。
 あとは読者のみなさんが手にとつてくださるのを待つばかりになった。心躍るときだ。
      2003年6月           三浦佑之        [初出 「文学界」 (2003年1月号〜4月号)]

5.著者紹介
 1946年、三重県生まれ。成城大学大学院博士課程単位取得修了。現在、千葉大学教授。古代文学、伝承文学研究専攻。
 著書に『口語訳 古事記[完全版]』(文芸春秋)、『村落伝承論』『浦島太郎の文学史』(以上、五柳書院)、『古代叙事伝承の研究』(勉誠社)、『昔話にみる悪と欲望』(新曜社)、『万葉びとの「家族」誌』(講談社選書メチエ)、『神話と歴史叙述』(若草書房)、編著(いずれも共編)に『古代文学講座』全12巻、『柳田国男事典』(以上、勉誠出版)、『日本説話小事典』(大修館書店)、『シリーズ いくつもの日本』全7巻(岩波書店)など。
 現在、ウェブ上で「神話と昔話 三浦佑之宣伝板」を運営し、古事記を中心に、古代文学・伝承文学関係の論文や資料を公開中。
http://homepage1.nifty.com/miuras-tiger/

6. 読後感
 我々のように小学校が戦争中だった世代は、古事記についてはいろいろと知っていると思います。イザナキ・イザナミ、アマテラスの天の岩屋神話、ヲロチ退治の英雄スサノヲ、オオクニヌシの物語などです。その半面人間の起源、ヤマトタケルの東征、日本書紀との関係など知らなかったことも沢山ありました。
 日本最古の文学であり、歴史である古事記を、こうして身近なこととして読めるのは、ありがたいことだと思っています。

目次に戻る

「本の紹介2」に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る

[Last updated 7/31/2004]