目 次 1. 概 要 2. 第1日 羽田空港−台北・松山空港 3. 第2日 故宮博物館と九分観光 4. 第3日 花蓮 太魯閣(タロコ) 5. 第4日 台北市内観光−羽田空港 |
朝の台北駅 台北市のほぼ中央にあり 高鉄(高速鉄道)と台湾国鉄の始発駅 |
1. 概要
2. 第1日 羽田空港〜台北市と士林夜市
0) 名称 「台湾自遊自在4」
1) 主要訪問地 台北市(台湾)
2) 期間 2013.2.24〜27
3) 参加者 夫婦4組8名(大学同級生とその夫人)と男性2名計10名
4) 交通機関 航空機、MRT(地下鉄)、中型バス、列車
5) 訪問場所 台湾
(1) 台北市
(2) 花蓮 太魯閣
(3) 九分
6) 特記事項
前の2回(2009.11.29〜12.1の「済州島」と2011.12.1〜4のベトナム)の経験を活かして、次の2項目の方法を踏襲しました。
(1) 初めて行く方が多いと思われる、台湾の 台北市を選びました。滞在型とし、観光先は絞りました。
(2) 申込や費用の支払いが簡単なように、旅行会社のツアーを選び、支店や担当者を決めて、個別に申し込む方法をとりました。
天気に恵まれ、気温は日本(東京)の初春程度でした。
7) 印象に残ったこと
(1) ホテルの部屋として、クラブラウンジ付を選んだのは、大成功でした。
(2) 前半2日間は女性ガイド、後半2日間は男性ガイドと2名でした。バスは空港への送迎と4日目の市内観光は貸し切りでした。
(3) 市内の交通手段としては、MRT(地下鉄)が便利で安く快適でした。
(4) 地下鉄ではしばしば席をゆずってもらいました。
(5) 通貨のNT$は円の3.6倍程度で、あまり苦労しませんでした。
8) 旅行の概要
今回は海外旅行に台湾の台北市を選びました。第1日は、移動と、夕食に出たついでに士林夜市に行きました。第2日は旅行会社が用意したオプショナルツアーで午前は故宮博物館、午後は九分(分にはにんべんが付く)観光に参加しました。第3日は、太魯閣渓谷の観光を選びました。最終日の午前中は貸し切りバスによる市内観光(地図参照)で、午後はそのままバスで空港まで送ってもらいました。
ホテルは台北駅から近いシェラトンでした。
[反省点]
時間の余裕が無かったので、第2日の午後の九分を止めて、市内観光とし、最終日の午前は自由時間にしたほうが良かったかなと思っています。
9) 参考図書
9.1) 地球の歩き方 「台湾」 '11〜 '12 (株)ダイヤモンド・ビッグ社 2011.7.1改訂第2版
9.2) るるぶ 「台湾」 '13 JTBパプリッシング 2012.11.1 初版
9.3) 司馬遼太郎著 「台湾紀行」 街道をゆく 40 朝日新聞社
今回は往復の航空機に台湾のエバー航空を選んだため、羽田空港からの発着で、台北の空港も松山空港でした。羽田空港発10時45分 → 松山空港着13時30分。但し1時間の時差があります。(台湾の方が1時間遅い)。台北駅近くのホテルまでは専用バスで30分位でした。
ホテルでは部屋割りをした後、各自の部屋に落ち着きました。
その後、クラブラウンジに集まって「台湾の歴史」を学び、夕食はMRT(地下鉄)「行天宮」近くのレストランでフカヒレ、あわび、伊勢エビを食べました。食後、さらにMRTに乗って「剣潭駅」まで行き、士林夜市(しりんよいち)を見に行きました。市はお祭りの屋台と商店が一緒になったような感じで、春節の後のせいか爆竹を鳴らしたり、花火をあげたりしていました。右の写真は夜市をぶらつく若者達と店の様子です。
台北で最も規模の大きな夜市です。若者が集まるため映画館やファストフード店なども多くあります。庶民的な夜市でMRT「剣潭」駅脇の屋根付きのスペースには飲食関係の屋台、「剣潭」駅から大東路とその脇に延びる道端の夜市は服や下着、アクセサリー、占いなどの店舗が集まっています。週末の夜は身動きが取れないほどの人出となります。
泊まったホテルは次の通りです。
シェラトン グランデ タイペイ ホテル 台北市忠孝東路1段12号
[MRT]
台北市の便利な交通機関として1996年に最初の路線が開通しました。Mass Rapid Transitの略で、正式名称は台北大衆捷運系統で通称「捷運」といいます。現在8系統が走っています。最低料金は20元(約70円)で、かなり安いと感じました。また、SUICAに相当するカードは1枚500元ですが、カードを使うと2割引になり、帰国時に払い戻したら、手数料の20元を払っただけで、デポジットの100元も戻ってきたので、さらに安く感じました。
3. 第2日 故宮博物院と九分
午前は故宮博物館見学で、午後は九分(分にはにんべんが付く)観光です。
午前・午後ともJTBのオプショナル・ツアーで、何カ所かのホテルに寄って、客を送り迎えします。
故宮博物館は台北市北部の、昨夜訪れた士林の近くにあります。
見たものとしては漢字の源流としての鐘・鼎の銘文、中国歴代の玉器、玉石の彫刻「清 翠玉白菜」などです。
午後に九分に行く予定だったので、4階のレストランで軽い昼食を摂りました。
時間があれば書(王羲之)、仏像などを見たかったと思いました。
参観者が多かったため、見たい所だけを駆け足で通ることはできませんでした。
[故宮とは]
国立故宮博物院は1925年に北京の紫禁城、即ち名称の由来となった「故宮」で設立されました。 1931年、日本による中国への戦争の戦火を逃れるため、故宮の文物は紫禁城から運び出され、日本軍の勢力の及ばない南西部に遷されました。その後、内戦の影響を受け、国民政府は1949年に合計約60万点の故宮及び中央博物院等備処の所蔵文物を台湾へ運び、桃園の楊梅、台中の霧峰北溝などに暫時的に保管。そして1965年、現在の台北士林の外双渓に博物院が再建されました。
ここ台湾に再建されてから50数年の歳月の中で、当博物院は世界水準を誇る現代的な博物館へと発展を遂げて参りました。この間、ハード機能を充実させるとともに収蔵品の収集にも力を入れ、所蔵文物は今や69万点にも上り、世界屈指の中華文物コレクションを誇ります。近年はデジタルアーカイブス国家型科学技術プロジェクトを全力で推進し、先進的なデジタル科学技術を通じて故宮に新たな生命を吹き込み、より生き生きとした展示が可能となったばかりでなく、文化創意産業の発展においても新しい時代の博物館にふさわしい多元的な役割を存分に発揮しています。
また、嘉義太保に位置する当博物院の南部院区も2015年に竣工し、現在の豊かな収蔵をベースに、アジア芸術博物館として皆さまをお迎えする予定です。
(出典 国立故宮博物院発行「日本語ガイドマップ」)
午後は別の観光バスで九分に向かいました。故宮での軽食だけでは足らなかったので、ホテル近くのセブン・イレブン(かなり、方々で見かけました)でサンドイッチと飲み物を買い、車中で食べました。
九分は港で有名な基隆(キールン)から南へ10kmの山間にあり、坂道や階段の多い小さな町です。山を背後に海に面した斜面に建つ家々、石段や薄暗い路地など、レトロな風情があふれる町です。
もともと9戸しかなかった小さな集落で、交通が不便なため品物を補充するときに毎回9セットを買うので九扮という名前が付いたといいます。1890年に金鉱が見つかり、ゴールドラッシュで人口が増えました。丘には別荘が点在しています。
「旧道」バス停の近くで下車し、基山街という南北に延びた一番にぎやかな小径で、みやげ物屋やレストランなどが集まっています。日本の門前街を思い出させました。その基山街の西側、見晴らしのよい部分の少し手前にある石段が竪崎路です。その中腹あたりに映画『悲情城市』の撮影に使われたレストランがあり、「悲情城市」と書かれた看板が出ていて、今でも人気のある記念写真のポイントです。その付近で竪崎路と交わって延びる軽便路にも食堂、みやげ物屋が並んでいます。この3本の通りを中心に、無数の小径が町中に広がり、一歩路地に足を踏み入れると、日本統治期の古きよき九扮の面影が残っています。「千と千尋の神隠し」のモデルの街でもあるようです。また階段の途中には往事にはやった映画館「昇平戯院」もあります。自由時間には軽便路も歩いてみました。
仲間の一人が、友人からお茶を買うように頼まれ、地図まで受け取ってきたので探したところ、すぐに見つかりました。我々も、お土産にウーロン茶を求めました。
帰りも、同じバスでホテルに戻りました。
夕食はTAIPEI101(市政府駅近く 101階のビル)85Fのレストラン欣葉で創作中華を食べました。往復にはMTRを使いました。ビルを出てから市政府駅まで戻るのに方向がわからず、少し迷いました。 4. 第3日 花蓮(かれん)−太魯閣(タコロ)
朝8時、台北駅に近いコスモスホテルに集合しました。宿舎のホテルシェラトンに近いMRTの善導寺駅から1駅ですが、歩いて行き、JTBのガイド(男性)と落ち合いました。台北駅の列車は地下2階から発車します。台湾東側を通る台湾鉄道の列車に乗りました。台北から花蓮(かれん)までは約2時間半で、そこからは専用のバスで太魯閣へ移動します。途中、レストランで地元料理の昼食を摂りました。
ほとんどバスに乗ったまま見学し、何回か写真撮影のためバスを降り、渓谷沿いに舗装道路を少し歩きました。
[概 要]
太魯閣峡谷は台湾を代表する景勝地で、峡谷一帯の山岳地帯が国家公園に指定されています。険しい断崖はかつて珊瑚礁の海底が隆起してできたもので、その石質は大理石です。大理石を浸食してできた川と、人の手が造り上げた東西横貫公路が断崖の間をぬうように走っています。自然の大きさを実感できます。
太魯閣バス停の近くに太魯閣峡谷・東西横貫公路ゲート(中国様式の朱色の柱と色鮮やかな屋根)があります。ここから約8km続く渓谷が始まります。2km進んだ所から谷越しに長春祠が見えます。公路建設の難工事に携わって亡くなった212人の霊が祀られています。また2kmほど進むと燕子口があり岩に穴が開いており、かって燕が巣を作っていたことから、この名がついています。首長岩はアメリカの先住民を思わせる鼻の高い横顔のような形をした岩が突き出た崖です。東西横貫公路ゲートから約13kmの所にある錐麗大断崖は高さ600mの大絶壁が1200m続きます。この前後に右の写真のように深い谷底に水が流れているのが見えます。道には所々トンネルがあり、やっと車1台が通れるような場所もあります。このあたりで原住民が絵はがきを売りに来ました。最後が慈母橋で立霧渓(太魯閣峡谷の本流)が老西渓の合流点に架かる橋で、公路建設現場で働いていた息子に弁当を届けに来た母親が、激流に流され命を落とした悲劇から蒋介石が名づけました。鉄橋で橋が赤く塗られています。
帰りは花蓮から列車に乗り、往きと逆のコースで台北に戻りました。
夜はガイドさんの案内で、台北駅近くのレストラン點水楼で小籠包の夕食を摂りました。
[感 想]
これだけの渓谷はわが国には無いと思います。もっと歩くのかと思っていましたが、ほとんどがバスでの移動だったので楽でした。
5. 第4日 台北市内観光−羽田空港
台湾に来て初めての雨です。
朝、出発まで時間があったのでホテル界隈を散歩しました。
午前はJTBの貸し切りバスで市内を観光しました。朝、チェックアウトしてスーツケースをバスに積み、午後は、そのまま空港へ向かいました。ルート(地図参照)は次の通りです。
龍山寺 → 大龍恫保安宮 → 孔子廟 → 迪化街 → 国父記念館 → 松山空港
1. 龍山寺 台北市広州街211号
1738年に建立され、約270年の歴史がある台北で最も古い寺です。第2次世界大戦の米軍の空襲で本堂以外の大部分を焼失し、戦後に再建されました。本堂には観音菩薩を中心に文殊・普賢菩薩などが、後殿には媽祖(まそ 道教神で航海の神様)、関帝(関羽)、誕生娘々(子宝の神様)など多くの神様が祀られています。境内は参拝客や観光客ですごい熱気です。極彩色で彩られた本殿などは庶民からの寄付で建てられたそうです。太いお線香が印象的でした。右の写真は参拝客で賑わう龍山寺の境内です。
2. 大龍恫(りっしんべんではなく山偏)保安宮 台北市哈蜜街61号
1805年に創建の医学の神様、保生大帝の廟です。保生大帝は本名呉譚本、10世紀に福建省泉州で生まれた実在の名医です。霊験あらたかとかで、病気回復と長寿を願う人たちでいつもいっぱいです。入口で線香などのお供えグッズを売っているのはどの廟も同じです。旧暦3月15日の保生大帝誕生祭は、台北三大祭りの一つとなっています。黒い服を着た信者が目立ちました。
3. 孔子廟 台北市大龍街275号
前2ヶ所の賑わいに比べて、受験シーズンでないせいか、ひっそりとしてていました。
台湾全土にはたくさんの孔子廟がありますが、ここの建物の美しさは類を見ません。また、政府が直接管理している唯一の孔子廟でもあります。受験戦争の激しい台湾にあって、学問の神様、孔子にすがる人も多く、特に受験シーズンになると参拝者であふれます。9月28日の孔子生誕記念日には厳粛な儀式が日の出前から行われます。
4. 迪化街 台北市迪化街1段70号
もとは大稲埋と呼ばれ、清末に繁栄した街で、往時の建築が今も残っています。漢方薬や乾物、伝統菓子、布などの問屋や商店が軒を連ね、どこか懐かしい気がします。騎楼と呼ばれる昔ながらのアーケードに並んだ品々は目を楽しませてくれます。街並みを見物しながらみやげ物を物色するのに最適です。旧正月前には、正月料理の食材などを求めて、台北中から買い物客が訪れます。
われわれもお土産にからすみ、蓮の実、干燥マンゴーを買いました。
5. 国父記念館−台北市仁愛路4段505号
国父、孫文の生誕100年を記念して1972年に建てられた記念館です。広い敷地内はコンクリートで舗装され、周囲に花や木が茂る広場になっています。30.4mの高さを誇る中国宮殿風記念館の1階には孫文に関する資料展示室があるほか、蔵書数30万冊以上の孫逸仙(孫文の別名)博士図書館もおかれています。
かなり広い敷地ですが、大勢の客が来ていました。
松山空港には早めに着き、スーツケースの託送手続きをしてから遅めの昼食を摂りました。国内空港のせいか、土産物屋は少ないように感じました。羽田空港へは無事に到着し、4日間の旅を終えました。
[Last Updated 4/30/2013]