My Kubrick's Ranking
1 2001年 宇宙の旅
2 時計じかけのオレンジ
3 博士の異常な愛情
又は私は如何にして心配するのをやめて
水爆を愛するようになったか
4 現金に体を張れ
5 シャイニング

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STANLEY KUBRICK FILMS 鑑賞のアドバイス

 キューブリックは,私のお気に入りの監督の一人であるが,「突撃」以前の初期の作品は未見なので,これから書くキューブリック作品の総評は,必ずしも正しくはない部分があるかもしれないが,その辺はお許し願いたい.

 キューブリックについて書く前に,映画のドラマ性についてちょっと触れてみたい.映画の中でドラマをつくるということは,例えて言うなら,主人公の運転する車に観客を乗せ,主人公とともに目的地までドライブを楽しませるということとなる.主人公の車のブレーキが壊れたり,何かに激突したり,前の車を抜いたりすれば,その度に,同情している観客も主人公と同じように,ハラハラしたり,困ったり,喜んだりすることになる.
 つまり,映画をドラマティックにするには,まず,@観客を主人公の車に乗せること(=主人公に感情移入させること).次に,Aドライブの目的地を明確にすること.そして,B目的地までの道のりに障害物を用意し,山あり谷ありの起伏の激しい道にしておくこと.もちろん,その障害物は,主人公の力の範囲内で乗り越えられる程度のものにしておくべきで,クリアできる見通しも立たないようなものではいけない.主人公がドライブを諦めてしまうと,物語が終わってしまうからだ(最もいい障害物は,一見クリアできそうもないほどの難しい印象を与えながらも,クリアできてしまうというものだ.そうすれば,クリアしたときの喜びはより大きいものとなる.ただ,気をつけなければならないのは,あまりにもリアリティのない方法で,主人公にその障害をクリアさせないこと.それをすると,観客は白けて主人公の車から降りてしまうだろう).

 長々と映画におけるドラマの盛り上げ方について書いたが,なぜこんなことに触れたかというと,こうしたオーソドックスな方法でドラマを盛り上げることをキューブリックは決してしない監督だということを確認しておきたかったからである.

 キューブリックは,主人公の主観で物語を進めることを良しとしない.彼は,登場人物たちと一定の距離を保ち,観客にも感情移入させない.おそらく,これは,キューブリック自身が他人と深い人間関係になるというか,馴れ合いのような関係になることを嫌う人間だからなのだろう.だから,彼は自分のつくる作品のキャラクターたちにも感情移入しないのではないか.
 しかし,観客たちは放っておけば,主人公に感情移入しようとする.これは,相手の人間立場になって考えるという,社会的な動物である人間がする極めて当たり前な行為だ.しかし,キューブリックにとって,そういった観客の心の動きは不都合である.彼の作品は,主人公の視点から物語に参加するようなつくりにはなっていないからだ.どうにか,登場人物たちに感情移入をさせずに,登場人物たちの観察者となってもらいたいとキューブリックは考えたに違いない.
 そこで,キューブリックは,主人公の人間を狂人にしたり,機械化することで,感情移入させることを拒み,観察者の視点で物語を見つめさせようとしてきた.

 しかし,感情移入させないだけで,他の観客を楽しませるものを用意してなかったのでは,観客は退屈してしまう.ここで大事なってくるのが,観客が退屈しないために,いかに主人公たちを「目の離せない」連中にするかということ.先ほどの例で言うなら,キューブリックは,観客を主人公の車に乗せない訳だから,主人公と一緒に物語に参加させるためには,主人公の車をずっと観察し続ける状況にさせなくてはならない.観客が主人公を見なくなってしまったらアウト.そこで,物語は終わってしまう.
 だから,キューブリック作品の主人公は,「非人間」であるとともに,魅力的でインパクトの強いキャラクターでなくてはならない.キューブリック作品の主人公たちは,単なる狂人ではないのだ.魅力的で強烈な狂人なのだ.よって,キューブリック流の物語の盛り上げ方は,主人公の狂気をどんどんエスカレートさせ,インパクトを強めていくこととなる.だから,映画の後半で,大概,凶暴化した主人公たちは殺人鬼と化すのだ

 ここで,主人公が狂人かどうかという点で,キューブリックの作品を振り返ってみると(私が未見のため「突撃」以前の作品には触れない).

●主人公が狂っていく作品
「ロリータ」
「博士の異常な愛情」
「2001年 宇宙の旅」
「時計じかけのオレンジ」
「シャイニング」
「フルメタル・ジャケット」

●主人公が正気のままの作品
「スパルタカス」
「バリー・リンドン」

 細かいことを言うと,キューブリックの主人公たちは,少なからずみんな狂っているのだが,大まかに分けると上記のようになると思う.そして,誤解を承知で大胆なことを言うと,キューブリックの作品は,主人公が狂ったり機械化され,「非人間」になれば傑作になり,正気の人間のままだと凡作になるということだ.「おいおい,『2001年』の主人公の宇宙飛行士たちは狂ってねえだろ」という声が聞こえてきそうだが,この作品の本質的な主人公は,宇宙飛行士たちでなく,コンピュータのハルだと思う.そうすると,「2001年」も主人公が狂っていく作品なのだ(強引かな?).また,「ロリータ」は,確かに後半に主人公は妄想に取り憑かれ,狂い出すのだが,この作品のように,主人公が狂人になってもインパクトが弱く凶暴性に欠けると,傑作になり得ないこともあるようだ.
 キューブリックは,人間を人間として描くのではなく,人間を機械や狂人(モンスター)などの「非人間」として描くと,傑作を放つ監督なのだ.しかし,描いているのは人間性そのもの.つまり,非人間をモチーフにして人間を描く.ジャンルとしては,人間を突き放す姿勢が強く,人間の悲劇さえ笑いの対象にしてしまうので,ブラック・コメディとなることが多い.

 キューブリックの作品の真骨頂とも言える映像美についてはよく語られているので,ここでは彼の語り口について中心に語ったが,移動撮影,構図などのカメラワークやフィルムノワール調の照明を筆頭とする映像美は,とても筆で表せるものではない.
 観客が登場人物に感情移入しないで,観察者として物語に参加できるのは,強烈な主人公の魅力だけでなく,観察するに値する映像美がフレーム内を彩っているからだということを忘れてはならない.

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