『万葉集』では「宇須比」と訓じているし、『和名抄』では碓氷郡の訓としておなじく「宇須比」である。 また『日本書紀』の景行天皇紀では「碓日坂・碓日嶺」とあり、ウスヒを示している。 比較的古い時代の文献にウスヒが多いとすれば、まずウスヒから考えてゆかなけれぼならない。 『上野志』という江戸時代中期頃の地方誌によると、碓氷川の説明に、 「源鼻曲山の麓なり。 此所水たまり侯処あるなり。 東南向にて日向故日当能き所なり。 如何様の寒き時にも薄い氷なり。 依りて名づけしと。」 と説明し、ウスヒはウス(薄)ヒ(氷)だとしている。 またウスヒは薄陽ではないかということが考えられる。 関東平野の平坦部から一気に信濃国の高原になるいわば陸上の階段のような碓氷峠は、気流の関係から暖く 熱せられた気流と、冷えた気流との関係で濃霧の発生することで知られている。碓氷峠の東北一帯を霧積山 と称し、霧積温泉のあることでも知られている。 この霧積という地名がいつ頃からあったかはっきりしない。 しかし、この峠一帯がガスの発生しやすいところであることは現に知られている。ガスの多発地として昔か らそうであったから、つぎの日本武尊伝説が発生Lたのである。峠の熊野神杜の縁起によると、日本武尊が この峠を越えようとしたところ、山の神が邪魔をし、雲霧が立ちこめて一寸先も見えなくなった。そのとき、 紀伊国熊野の八沢烏が現われ、朴(ほう)の葉をくわえて尊の前に落としながら道案内をし、ぶじに峠の頂上 に出られたというのである。(二六〇貫、広説の項参照) この話も、碓氷峠一帯がガスの発生地であることが背景になっている。ガスが発生すれば太陽すなわち 「ひ(陽)」は薄く見える。そのために薄日の山といわれたのではないかということも考えられる。 もとはウスヒで、ウスイとはいわなかったとすれぼいっそうウスヒに起源をもとめなくてはならない。 とすれぼ、薄陽説も一つの根拠にはなる。 (萩原進著 碓氷峠 より) 碓氷峠近辺は確かに霧が多い。昔、霧積山塊の鼻曲山に登った時も霧に囲まれて山頂で一夜を明かしたことがある。 また、国道18号旧道の碓氷峠や碓氷バイパスを車で走っていて、数メートル先も見えないような濃い霧に取り囲ま れた経験をお持ちの方は多いと思う。何となく薄氷説より薄日(ウスヒ)説のほうが実感が湧く。 余談であるが、このように地名一つであっても名付けられた根拠があり、古来より伝えられて来たものである。 昨今の自治体合併の流れで、古来より伝えられてきた歴史有る地名を安易に捨て去って良いものだろうか。 合併による地名の改名は古来より伝えられてきた一つの文化を破壊するに等しい行為である。合併奨励の中で地名 文化に対する保護のあり方も議論していく必要がありそうである。