在来線存続運動は国と地方の戦いだ!

◆在来線存続運動は現代の百姓一揆(松井田町の鉄路存続運動の記録)

 信越本線碓氷峠の鉄路廃止の動きに際し、碓氷峠の地元の碓氷郡松井田町では、行政と全町民が一丸となって鉄路存続運動を展開しました。昭和63年10月16日に松井田東中学校校庭に町民4100人が集まって信越本線碓氷峠存続を求める集会が開催されました。群馬県選出の国会議員も超党派で顔を出しました。垂れ幕やむしろ旗も林立し、さながら現代の百姓一揆の様相を呈してました。今から思えば、これは国と地方の戦いでした。
国に盾突いても勝てるわけがないですね。
新幹線建設のために切り捨てられる在来線の鉄路存続運動の記録として、
小さな田舎町で、このような草の根の集会が行われたことを
後世に伝えるためにこのページを作成しました。

この集会から9年後の1997年9月30日に
信越本線碓氷峠は廃線になりました。







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自治体と住民が一体となって、これほど大規模な鉄路存続運動をやったのは、松井田町が最初で最後だと思います。この運動が届かなかった最大の要因は、沿線自治体が利害関係で一つになれなかったことに尽きると思います。新幹線の新駅ができる安中市や停車駅である軽井沢では、鉄路存続運動は盛り上がりませんでした。
在来線での関東方面への出入口を失う長野県サイドがオリンピックと新幹線誘致のほうに軸足を置いたため、長野県側で鉄路存続運動が殆ど起きなかったことが最大の敗因だと思われます。








余談ですが、松井田町は国との戦いを三度やっています。

一回目は、1953年頃、松井田町入山の恩賀地区に米軍の山岳訓練基地を
     造る計画への反対運動
二回目は、1990年前後の信越本線碓氷峠の鉄路存続運動
三回目は、2006年、市町村合併における総務省告示後の住民投票による
     70%を越える合併反対の意思表示と合併撤回運動
(合併撤回の願い叶わず平成18年3月に碓氷郡松井田町は消滅して安中市になりました。安中市松井田町として名称は残っています。)

(注)「戦い」という表現だと左翼と誤認される虞がありますが、
   平易に言えば「方針に逆らう」ことです。
   松井田町は、進取の気性に富んだ町ですが、
   左翼の町ではありません。









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バックグラウンドの写真; 碓氷峠の刎石山(はねいし山)から見た在りし日の信越本線 特急あさまとEF63 丸山変電所は復元工事前の状態