吾妻連峰・東大顛に向かって

私の「山とスキー
(1970年代)

スキーは冬山登山の道具として始めた。
‘50年代のスキー場は殆どリフトがなく、
あってもせいぜい1基ぐらいしか掛かっていなかった。

当時のスキーは山スキーが主流であり、
スキーに行くと言えばツアースキーのことであった。

冬山登山を禁止されてからは、ツアースキーが多くなった。
スキーで登れる山は大抵踏破した。
そして職場の若い仲間を引き連れて吾妻連峰のツアーコースを
滑りまくったのは、
楽しい思い出として心に残っている。


BACK