山行報告 「金峰山ー甲武信岳縦走」 1957年4月7日〜10日 
部報“山靴”No.61(’57年6月発行)より

メンバー:横田、高橋、川島、岡田(記)

4月7日
初めの計画は、横田さんと高橋さん、川島さんと私で別々に行く計画だったが、私達を心配してくれて一緒に行ってくれることになった。
6日の夜行列車はそんなに混まなかった。韮崎で下車、バスの発車まで2時間もあるので近くの公園兼墓地へ行った。そこからは、南ア、甲斐駒、鳳凰岳の白い姿を良く眺めることが出来た。
増富鉱泉でバスを降りて歩き出したが、まだ朝飯を食べていない。金山の有井館でお茶でも飲みながら飯にしようと云うが、とてもじゃないがこれから1時間は持ちそうもない。道の脇でパンをかじりながら朝食とする。
金山に着いて金峰山の方を見ると雪が全然見当たらない。重い思いをしてアイゼン・ワカンを持って来るのではなかったと一同ボヤく。天気は上々で真にノンビリした山行で、小休止が30分の昼寝となる。
富士見平から瑞牆山へ行ったが、ここらあたりから雪があり、道を間違えて引き返す。
富士見平より森林帯は雪があったが、良く踏まれていた。大日小屋は10人位で満員なので、我々は雪の中へブロックを積んでポンチョを屋根にして、立派な小屋を作った。しかし、雨が降ったらブロックが溶けないかと心配したが、天気は良いらしい。安心して寝る。

4月8日
雪が少ないから今日の予定は楽だと思い、ゆっくり出発。天気は今日も上々。森林地帯を抜ける頃より、雪はなくなり、遠望は良い。南ア、北アは白く輝き全くすばらしい。
金峰山頂上で食事。五丈岩に登ったりして、1時間ほど遊ぶ。今まで雪が無いので今日は楽だと思っていたが、これからは雪が深く、あまり歩いている者がない。雪は腐ってワカンも用をなさない。腰までスッポリ落ち込む。これには一同閉口。雪が無ければボヤキ、有りすぎればボヤく、全く困った輩だ。どうやらこうやら、大弛小屋迄辿り着く。明日の行程が思いやられる。

4月9日
今日も天気に恵まれる。朝は雪が堅いが、日中は柔かくなり、昨日同様腰まで落込む。金峰山ー甲武信岳間は入っている者が少なく、雪は良く踏まれていなかった。富士見で一パーティーに会う。これから大弛小屋まで行くと云う。きっと暗くなるだろう。
朝より約12時間、やっと甲武信岳の頂上に着く。あたりは薄暗くなっていた。日中は暑かったが、今吹く風は冷たい。この12時間で一同のワカンはバラバラ、修理の施しようなし。水を多く飲みすぎたらしく、夕飯がノドを通らない。吐き出してしまう。少しビスケットを食べて、早く寝る。食後のレモンティーはお預け。ああーお茶がコワイ。

4月10日
今日の内に東京に帰らなければならないが、ワカンがバラバラで使い物にならない。雪が深ければ今日中に帰れないかもしれない。ワカンが無くともどうやら歩くことが出来るが、雪の表面が堅いので、足が落込むと痛くて仕方ない。しかし、どうやらこうやら雁坂峠まで行くことが出来た。ここからは雪は無く、天科まで降り最終のバスに乗ることが出来た。
今回の山行の感想は、さんざんな目に会ったが、しかし良い勉強になったと思う。

“TIME”
4月7日

 韮崎発7:10→増富着8:25→金山10:30〜11:10→富士見平13:05 〜14:30→大日小屋着15:40
4月8日
 起床5:15→出発8:30→金峰山11:45→鉄山13:00→朝日岳15:40→大弛小屋18:10
4月9日
 起床3:30→出発6:10→国師岳7:15→東梓11:35→富士見13:10→水師16:05→甲武信岳17:50→甲武信小屋18:30
4月10日
 起床5:00→出発7:15→木賊山7:35→笹平8:40→破不山9:45→東破不山10:40→雁坂嶺12:00→雁坂峠12:30→広瀬15:15→天科17:10