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まず始めに私にとって『生涯で一番つらい試合』となりました・・・。
いつものようにプリプラに入ることができず、トーナメント直前のプラのみで本番に挑むこととなりました。今回は、エンジン使用が禁止のダムであるためエレキのみでの試合ということもあり一人だと何かと無理なことばかりなので、『SHINGO荘』でもお馴染みの九州在住の仲間たち(昨年遠賀川で大変お世話になった“ディーパー”の店長マー坊・伊原君達)が遠路遥遥応援(レスキュー)で来てくれたお陰で何とか試合をする事ができました。(さまざまな手伝いをして頂きココロから感謝しています)
そんな4月23日(火)の晩に仕事を終わらせ会社より直で高速道路に乗り山口県に向けて出発した。途中車両事故により広島で降ろされて下道で一部移動しながら何とか現地に着いた時には疲れ果てて吐きそうなほど眠く釣りどころではありませんでした。しかも初めて訪れる小野湖である。ボートを下ろす場所がわからない。どの道なのか詳細がわからず・・・右往左往しているうちにタイヤのオーバーフェンダーを細い道の横にあった石に接触して飛ばしてしまった・・・。(何か嫌な予感の始まり)
再度、現地にいる仲間に連絡し、ボートを下ろす場所を再確認をし無事合流した時は涙出るくらい嬉しかった。
私の愛艇ニューファイブZZ号に36ボルト108ポンドのエレキを乗せてプラをはじめました。
4月24日(水)
初日は、マー坊と共に上流部を中心にチェックをした。全体に水が濁っていたが上流の左側(ダムサイト側)をメインにチェックをしていった。この時点で上流部の右側エリアは捨てた。
ダムサイト付近でマー坊がプリっぽいバスを3本程取るのをみながら夢の世界に落ちて行った。1時間位落ちて、何だか嫌な悪夢を見て起きた。
非常用のユンケルを飲み、目を覚まし釣れたエリア周辺の地形をチェックしながらポイントを絞っていく作業をした、さらに次ぎのエリアをチェックしていきその日は終了した。ダムサイトから会場までエレキで40分はかかる。(注・その間落ちてました)
4月25日(木)
二日目、マー坊は仕事があるため一端帰っていき、入れ替わりに伊原君が来てくれ一緒にプラを付き合ってくれる事になった。
前日と同じエリアをチェックしていく。アプローチが違う為か思いの他ブッシュにバスは濃いコトがわかった。ただ食う、喰わないは時間なのか、距離なのかの判断がつかない…。自分的にはダムサイトに近い方がバスを取りやすい気がしたなので、本番も一番奥(ダムサイト)まで行かないとダメなのだろうなと予測をしてみた。午後4時にプラを終了し明日の準備を済ませて宿に戻る。宿に戻ると応援にかけつけたヒロ夫妻と合流した。
そして楽しみの夕食は、ちょうど、2002年・ワールドシリーズの第一戦から某番組企画で「今江克隆に挑戦」ということで来ていた“夏山(ミュージシャン)”と“アラケン(ミュージシャン)”が同じ宿であったため、一緒に名物料理の“瓦ソバ”を食べに行った。(その後も長い付き合いになる予感がビシバシ伝わるほど面白い人達である。)“瓦ソバ”なるモノを伊原君、ヒロ夫妻と食べてみたが…。
ここからは私のプライベートなので読みたい方のみ読んでください。
実はこの日の夜に、警察からと親戚の叔父さんから電話がかかってきた。
「お父さんらしい人物の遺体が…で…事故…確認…」
「…」
えッ?親父が?親父が死んだと言うのか?
その後、叔父さんから電話がありました。
「警察から電話があってな、お父さんがどこかで事故ったみたいで身元確認のために一緒に警察にいくから用意しなさい…」
「ウソだろう?間違いだろう?何故?何故?どうして?どうして?」
戻ってこいと言われても…、私は山口県にいるからそうは直ぐには戻れない。まして、本当に死んでしまっているというのならば・・・、どうにもならない・・・。私が山口県にいる為直ぐには帰れないので、急いで電話で弟と母と妹に連絡を入れてから、伯父と弟に警察へ行ってもらい身元確認をしてもらった。
「どうか人違いであってほしい…」
そして、数時間後その確認の電話を受けた。
「・・・親父だったよ・・・」
「・・・」
この瞬間から思考能力はゼロになった。ただこの試合が終わるまでは帰れないと心に決めていたので…。伯父と弟に私が帰るまでの雑用をお願いした…。本当は「釣りなんかしてないで早く帰ってこいよ!親父が死んだんだぞ!!」と言いたい弟が私の心情を察した為、涙声で弟が言った「…わかったよ…」という言葉は一生忘れないだろう。
「・・・ごめん親父・・・試合が終わったら帰るから・・・」
この話は、当然大会関係者の誰にも話さずと言うより話せない。ずっと黙ったまま試合を続けた。試合中は何事もなかったかのように振舞う事にした。振舞ってはいたが、私も完璧な人間ではない、むしろ壊れている方だ。
頭の中では「本当に親父が死んだのか?」「なぜ死んだのか?」、さらに電話の向こうで泣き喚く母。大泣きの妹。涙を堪える弟。私の変わりに走り周る叔父さん。
「オレは釣りをしていてもいいのか…」なんだかんだと考えてしまい、釣りどころではなかった。釣りが出来るわけがない。
伊原君が異常事態に気が付いたので話をした。伊原君も若くしてお父さんを亡くしている・・・。
ただ「帰ったほうが良い、だけどやる(試合)なら付き合いますよ」と、言われ時は泣きそうになったが涙が出ず泣けない…。
試合終了後に魂の抜け殻ように高速道路を飛ばして実家に戻ったが…既に灰になった親父と対面した私は骨壷を眺めるだけであった…。
「親父、ただいま帰りました」
涙も出てこない。
ただこの瞬間に何かの歯車が動くのを感じた。
「人の人生や運命とは何なのだろうか」
「親父は私に何を伝えてくれたのだろうか」
「私の、SHINGOの使命は何だろうか」
「その為に私は何をやるのだろうか」
「私は…」
今後は何が待っていようとも運命の答えを求めて棘の道を選ぶ事にした。
1周忌を終えた時も涙が出ない。
きっと、その運命に気付き立ち向かう時に涙がでるのだろう…。
私の居ない間に駆け回ってくれた『叔父さん』、『叔母さん』、『母』、『弟』、『妹』に一生アタマが上がらない。心より感謝します。そんな私を応援してくださる皆様にも感謝します。そして、『多くのSHINGO荘』の方々から法事の時にもお世話になりました。
「私はまだ恵まれている」
試合の三日間は正直思い出せない、今でも「SHINGOは出場したのだろうか?」と思える程記憶が曖昧で実感がありません。
4月26日(金)
初日の天候:晴れ
思うように釣りに集中できないまま1本釣ることができた場所は、下流のブッシュが絡む場所。
〈初日の成績:1匹・950g・40位〉
4月27日(土)
二日目の天候:晴れ
二日目もなんとか2本釣ることができたけど・・・。
〈二日目の成績:2匹・2,244g・19位〉
4月28日(日)
三日目の天候:小雨→晴れ
〈三日目の成績:0匹・0g・40位〉
こんな感じで参加点(5点)ではなくて良かったと思っている。ただ、何も知らない人達から「なんで釣れなかったのですか?」などと質問されたときはさすがにきつかった。(しかたないけどね・・・)
これが原因なんて言えないしね。まだまだ弱いし情けない成績だよ。この大会でマー坊、伊原君との心の結束ができ、夏山、アラケンという新しい仲間もできた事に感謝します。
優勝:奥村 哲史プロ
2位:小林 知寛プロ
3位:林 圭一プロ
4位:小山 隆司プロ
5位:関和 学プロ
34位:SHINGO
入賞されました選手の皆様おめでとうございました!(拍手!!!!!)
メインタックル1
RIG:テキサス
ROD:ウエダ・プロ4 セブンスファイター(7F-70B)
REEL:TD-X103HL
LINE:東レ バウオ 16lb
LURE:ゲーリークロウ5インチ(#021:ブラック/ブルーフレーク)
ゲーリースゴイシンカー(1/8oz)
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