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| ワールドプロ レイクミード Part.4 |
…マリーナでビールを飲みながらパートナー抽選を見ていたら(参加でしょう?)「ゲッリー・ヤ・マ・モ・ト…パートナー…」おう次はゲーリーだ!誰と組むんだ?と他人事で見ていると(スパーク10秒前)「パートナー・シ・ン・ゴ!?」へえーシンゴってヤツと乗るのか…(スッ・パッーク!)シンゴ…どっかで聞いた事があるぞ?(…)「んッー…オレか?(注・だってダメ人間な33才児)」「本当にオレか?」「オレでいいんだな?」「この状況は喜んでいいんだよな?」「これってかなり美味しいよな?」とイロイロと頭の中をオトナの欲望が渦巻くままゲーリーと握手を交わして「くじで大あたりがでました!」と叫んでいた。(笑)このあたりからはテレビで放映されたので…中略…(笑) 実はゲーリーと釣りをするのは2度目であるが、カリカリのトーナメンターと化したゲーリーは初めてである。その感想は『ゲーリーはゲーリーが大好き!』って事を再確認した。(注・冗談事ではない)ゲーリーのスピベ−とテキサスのゲーリーセンコーとゲーリークロー以外はキャストもしないし持ってもいない。はっきり言ってルアー、タックルに関して迷いがない。信じたエリアで黙々とキャスト&移動を繰り返す。見切りの点や流すスピード等イロイロと見習うべき点が多く、今後の参考になった。結果的には私がビックフィッシュを含む2本を決め(自慢)ゲーリーが3本で10・76ozで総合では9位という成績でした。 その頃マイフレンドのダグは女子プロ(佐々木選手)と組んだため、万国共通で鼻の下を伸ばしっぱなしで私の事など綺麗サッパリ忘れていた。(半分ウソ…笑)そして、最後の晩は表彰式を兼ねたパーティーが開かれ皆それぞれ思い思いにスパークしながらボーターの部で優勝したモリゾー選手とノンボーターで優勝した井上選手に熱い拍手を送りながらベガスの夜が深けていく。ホロ酔気分の私は「JBW万歳!」(完) 3杯目のビール飲み干しながら、一人減り二人減った釣り素のスタッフから「SHINGOちゃん、その後は?」「…えッ!しかたない白状しましょう。朝までカジノでスパークしルーレットでスッカラカンになりましたよ。しかし、そのスパーク(祭り)に6名の匿名希望者を含む事はココだけのヒミツという事で…(笑)」「えッ?何?会社はどうしたって?」… 『おまけ』 「えッ?今何て言ったの?会社がどうしたって聞いた?」「よくアメリカに行けたね…」「…」。ご存知であろうが私はJBのバスプロ歴は11年の他にジャパニーズ・リーマン歴12年のSHINGOである。だから今の質問には参った。あまりにもアメリカがオレを夢中にした訳でもないが、この衝撃の事実をスッカリ忘れていた…と言ってもいい(いいのか?それで)。時に大不況の渦巻く日本いや世界で「釣りに行きたいので休みます」と言ったら「OK!」と言ってくれる企業があったらぜひ教えて欲しい。大方は「一生休んで来い!(解雇通知とも言う)」と返事が来るだろう。ご多分に漏れずSHINGOも仕事をキッチリやって年間5日間程有給休暇を取っているが大顰蹙である…これがノープラ・ブッツケ本番の真相である。 ここで暴露するが、このアメリカ戦が決まった段階で“夢”を取るか“現実(仕事?)”を取るかのチョイスが待ち受けていた。かなりの苦悩があったが、迷わず“夢”を取ることを決めて2000年が幕を開けてしまった。 しかし、決めはいいが簡単に事は運ばないまま“バスプロ”の道を歩(あゆむ)のか “転職”して再スタートするのかの選択にぶつかった。期間はアメリカ戦までである。幾つかの企業から声をかけてもらったが当然“仕事”がメインであるためトーナメント時に休日が取れるとは限らないし、今まで同様にJBW戦にノープラ・ブッツケ本番での参戦になる。これでは今までと変わらないし、いずれ消え行く運命にある “バスプロ”NO・1に確定してしまう。では“バスプロ”ではどうかと言うと今のSHINGOではタイトル(○○チャンプや“売り”等の肩書き)がなく“生活”ができないレベルである。(随時売り出し中!) だけどSHINGOとしては早く“1軍”の選手になって試合がしたいので練習をしてみたい。必死に練習したからと言って“1軍”にはなれるとは限らないが、今のままでは“1軍”の選手に一生追いつけない現実を肌で感じる。では追いつくためには“時間”と“諭吉(お金)”が必要である事を再認識しつつも…苦悩である。(現在進行中) そんな苦悩の中“辞表”を提出してのアメリカであった。帰国後は残務処理をして晴れてプータローになった日にJBW第三戦“八郎潟”が開催された。 |
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