とうとう私にとって最後のライブ。淋しさと期待が入り交じって、開演前から落ち着かない自分がいた。この日、客入れの時に事件が。なんと、トムが客席に出来てたのだ。アリーナクラスの大スターが、ひょこひょことオーディエンスの前に顔をだすのも前代未聞だが、ファンへのサプライズプレゼントとしてはなかなか粋なことをする。だけど、私は一足違いで見逃す・・・残念。
ここまで2回見てきて、彼等のライブの素晴らしさは充分に体験していた。が、どこがよのように良いのか、実際に説明できる言葉は持っていなかった。すべてが彼等のかもし出す世界観で圧倒され、なにもかも支配している。そこにあるのは、まぎれもないレディオヘッドの音だけだ。しかし、「わかった」と思ったそのすぐそばから、また新しい世界に摺り替えられていく。なにが、そんなに素晴らしいんだ??? その変化がレディオヘッドというバンドの魅力なのだろう。「これが、彼等の持つ世界」というものに引きずり込まれ浄化され魅了されている次の瞬間には取り残されている。そして、いつの間にか違う世界で圧倒されているのだ。
この日も、中盤で演奏された「Just」でロックバンドの支配力を存分に発揮させライブの沸点を迎えたと思いきや、ピークはその後の「I might be Wrong」からの後半に現われた。当たり前だけど、彼等には「Just」は沸点のための通過点にしか過ぎない。
しかし、彼等の(編集可能な)CDからライブへの再現能力の高さは凄まじい。アレンジを変えているとはいえ、CDの完成度を変えずにさらに生の力強さと繊細さを加えた楽曲は、もはや完成度とかの次元を越え魅せられっぱなしだ。一緒にライブを見た友人が、「ライブで体験すると、CDの音がショボク感じる」と言ってたが、あながち的ハズレな感想でもないかも。
ステージ上のメンバーは忙しく落ち着きなく動き回り、複雑な構成を具体化する。「Street Spirit」ではジョニーなんかギター弾きながらネックでキーボードを弾くという曲芸まで演じてた。しかし、どんなに複雑で凝った構成でも、楽器の間を嬉しそうに行き来する彼を見てると、単なる楽器好きの子供のようで可愛見えるから不思議。ただし、天才的なセンスと演奏力をもった子供だけど。今日のライブはそんな音楽好きな子供のような無邪気を感じた。トムもステージの端から端へと走ったり、客席に下りたりと大サービス。3回目となる私もリラックスして見れてるけど、演奏してる彼等もリラックスして、好きな音楽を、好きな人の前で演奏する楽しさを感じているのだろうか。圧倒的に美しく、完成度の高い音で形成された世界でありながら、ハートウォーミングな空気が会場を包む。2回、出だしをトチリっても、「No Surprises」でトムが歌詞を間違えて咳払いでごまかしても世界は壊れず、さらに大きく抱擁する音になる。なんて幸せなんだろう。
センチな私のココロにさらに追い討ちをかけるように、2回目のアンコールでは「Karma Police」からはじまった。あぁ、最後になるライブでもう1度聞けてよかった。静まりかえる会場に溶け込んでいく、音、声、メッセージ、どれも1つ残らず吸収しようと上を見上げると、ホントにキラキラと輝く音が振ってきているような錯覚をみる。人は、例え錯覚でも勘違いでも、こういう理由もなく幸せな瞬間(=消えてなくなる時間の徒花)をつなぎ合わせて、ようやく生きていけるんじゃないだろうか。かなり大袈裟だけど、理屈抜きに楽しみ、感極まり、泣ける自分がとても愛おしくなる。そして「平和のために行動し続けている人に捧げます」というトムのMCの後に響く「Street Spirit」。愛で満たされたエンディング。完璧なハッピーエンド。昇天。
昔、スミスがあまりにも好きで自殺してしまった少女に対し、モリッシーが言ったコトバ。「彼女の人生にスミスがあってよかった」私も大袈裟で気恥ずかしいけど、言いたい。「私の人生にレディオヘッドがあって良かった」 text by 浦山 |