パリ・テキサス/ヴィム・ベンダース
「ロードムーヴィー」という言葉を定義するならば、それは“主人公が一種の根無し草状態にあって、戻る場所も目指す場所もない宙ぶらりんの精神状態のまま漂泊している映画”と、言うことができる。 この映画の主人公もまさにそんな状態で、精神的な傷を抱えたまま、幼い子供とともに、妻を探す旅に出る。 彼が真に求めている目的地とは、妻が家出して以来、自分の中では時が止まったままになっている、この苦しい混沌とした精神状態を収拾してくれる“出口”の他ならない。そこに辿り着いて初めて、彼は再び「生きる」ことができたのである。 私は今学生だけど、まさに“宙ぶらりん”の状態にいる。 拠り所ととするような対象もないし、これといって目指す目的もない。 それでも、私達には永遠に「旅」を続けることなんてできないし、この映画の主人公のように、どこかで自分自身にケリをつけなくてはならない。 私にとって旅の終焉、すなわち“大人になること”は、社会的な責任を果たすこと、自分の限界を知ること、そして現実を受け入れること、を意味する。 でも、それまでに出来る限りの努力は必要だし、その結果としての現実を受け入れることが、なにより重要なのだ。「人生諦めが肝心」なんて言うけど、努力の欠落した妥協ばかりの人生ほど醜いものはない。 映画の主人公は、もがき苦しんだ末、現実を受け入れ新たな人生を歩み始めた。 私はまだ旅の途中だけど、精一杯努力しながら一歩一歩、道を進んでいこうと思う。 TEXT BY 中田 |
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