単独のライブは『ハチミツ』以来だから、実に6年ぶりのスピッツ。この夏に「ロックロックこんにちわ」というイベントで見たときは、あまりの変化のなさにノスタルジーを感じて感動したのだけど、今回もやっぱり6年前に見た印象と同じように、ホールの中でちょっと居心地の悪そうなマサムネが立っていた。


 私がスピッツを好きになって、もう10年近い。私も歳をとったけど、彼らも確実に10年分の歳を重ねてきてるはずなのに、この本当に変わらない佇まいはなんなんだろう?マサムネが時を越えているのだろうか?時がマサムネを置き去りにしてるのだろうか?ちょっと遅刻して会場に入った私は、不思議の国に迷いこんだアリスの気分を味わった。


 はっきり言うと、この違和感は最後まで消えなかった。ニコニコと屈託のない笑顔で「マサムネ〜♪」と黄色い声をあげる女の子。演奏力の進歩がないバンドの中で響く、マサムネの透き通る声。(失礼なことを言わせてもらうと、スピッツの唯一無二の楽器はマサムネの声だけだと思う。けっして、他のメンバーの音が悪いわれではないけど、この武器(声)を生かすための音のバランスは、もっと考えるべき。)やたらと長いMCでのアナログなコミュニケーション。なに?なに?この尖りのない世界。思春期の甘酸っぱい恋の気分を、独特の言葉のセンスで表現するスピッツの世界観は完璧にそこにあるのに、ぬるま湯の気持ちよさに浸りきれない自分がいた。


 私は現rockin' onの編集長・山崎洋一郎の大ファンなんだけど、たまたま話す機会があったときに聞いた印象的な言葉がある。私の「社会から逸脱してますからね〜」というつぶやきに、「ダメだよ。ロックは社会と戦わなきゃ」と言ったのだ。社会と戦うロック。確かに、自分の意志を内から外に出すとき、それは内(自分)と外(社会)の戦いなのだと思う。それに、壊れかけた今の社会には戦う相手を見つけやすいし、やっぱり、おかしいと思うことには反旗をあげる必要があると思ってる。


 このライブに、私が最後まで違和感を感じていたのは、そこに怒りが、戦いがなかったからなんだろうか?実はこれを書くまではそう思ってたんだけど、書き進めてハタと気づいた。マサムネは、スピッツの世界観をオーディエンスと共有することで反旗をあげていたのだと。

 アンコールに出てきたときマサムネはこう言っていた「これからも僕たちは唄いつづけていきます」と。そして、その歌声はライブを完璧にバリアし、「ロビンソン」で唄われる「誰も知らない二人だけの国」をつくりだす。そう、マサムネの声は現実を聖地に変える強さをもっている。


 君と僕のミニマムな世界。外で戦争が繰り広げられていても、僕と君の恋の唄は存在し、ココロをあたたかくする。それは、昔も今も同じだということを、その変わらない佇まいでスピッツは体現していたのに、壁を作って勝手に物足りなさを感じていたのは私の方だわ。あぁ、殺伐とした世界にこそ音楽は必要なのだと、最近は思い知らされてるのに・・・。なんか、もったいないことをしたなぁ。でも、実はチャンスは残されていたりする。12月8日にもう一度、ZEPP OSAKAに見に行けるから。そのときは、ポカポカと気持ちいいぬるま湯は身をゆだねて、やわらかいマサムネの声に包まれよう。 text by 浦山

 
 スピッツ

 11.20.Tue

 大阪厚生年金会館
 大ホール

セットリスト

1.さらばユニヴァース
2.放浪カモメはどこまでも
3.スパイダー
4.愛のしるし
5.船乗り
6.胸に咲いた黄色い花
7.日なたの窓に憧れて
8.君が思い出になる前に
9.ベビーフェイス
10.ロビンソン
11.さわって・変わって
12.俺の赤い星
13.いろは
14.涙がキラリ☆
15.俺のすべて
16.8823
17.メモリーズ・カスタム
18.夢追い虫
アンコール
19.遥か
20.ヒバリのこころ
21.恋のうた


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