thee
 michelle
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 elephant

 2001.11.6 Tue
 大阪城ホール

 1ヶ月前、同じ大阪城ホールで見たレディオヘッドのライブがあまりに影響力の強かった。お腹一杯で、ライブは当分いらない気分。あのライブの後では、なにもかもショボク見えるような気がしてた。

 が、深紅のカーテンがあるだけのシンプルなセットに出てきた彼等のカッコいいこと。このミーハー女がっ!と非難されそうだけど、やっぱりこの誰もが憧れるルックスを持ってることはこのバンドの武器だし、そのスタイルはメッセージとなっている。「俺、バンド組む!」っていうパンキッシュな初期衝動を未だに与えられている希有なバンドだ。
そして、白いギターを抱えたチバが叫ぶ「お前の今を愛してる!」と。
 ロックの存在の意味なんて、議論してもそれこそ意味ないんだけど、もうムーブメントにも事件にもならないクソなロックがこんなにも疑いを持たずに響きわたらすアホがいたいのか!と嬉しくなってくる。ロックンロールマジックをまだ素直に信じてる「純情ロック馬鹿一代」みたいな奴、まだいたんだよね。そして、それを見て拳上げられるオーディエンスもいるんだよね。ハッピーだ。


 「よく来たね」というシンプルで愛情のこもったMCで迎えれ、前半は『ロデオ・タンデム・ビートスペクター』の曲を中心に構成。前のツアーでも感じてたことだけど、バンドの中でギターの音が年々太く重くなっている。それはCDで聴いても感じていたことだけど、生で聴くと更に感じる。昔のエッジの効いたシャープな音から、ザックリとした感触の腹に効く音。ちょっとアメリカぽい印象さえ受ける。それがちょっと“浮いてる”という声も聞こえるのだけど、今回私が感じた限りではそれなりにハマッテた。曲によって違和感を感じるも時もあったけど、それはそれで、ミッシェルの新しいライブだと受け止めれた。最近、彼等の周りには不穏なウワサしか立たず、解散説もメンバー脱退説も後を絶たない。そんな不協和音がこのライブになかったのか?正直、そうとは言い切れないのだけど、そもそも彼等は最初から一枚岩の結束の堅いバンドか?確かに、ガッと発車させる音の塊は1つの勢いとして圧巻させて来たけど、もともとはいろんなカタチした歪な石が同じ方向に向かって転がっていただけ。それは今も同じロックンロールっていう方向を向いてた。少なくとも、私はそう感じた。


 そして、「この星から、戦争はなくなると思うよ」というチバらしい、簡潔でそして一直線に芯を突くメッセージではじまった「バード・ランド・シンディ」。このライブの直前に届いたファンクラブの会報でチバはこう書いている「毎日、TVをつけて嫌な気分になるよ。そんな毎日を吹き飛ばす為に、ロックンロールはあるんだろうか??どう思う?」私も最近、そんなことをよく考える。音楽は何のために必要なんだろう?人々のストレス発散のためにあるんだろうか?ある意味、そうかもしれない。だけど、もっと大きなパワーがあると思う。うつむいた顔を上に向かすパワーが。

 この歳になっても、まだ音楽を聴きまくって泣いたり叫んだりしてる自分を、「単なるバカじゃないのか?」と思うことがある。大好きなババンドのためなら仕事もお金も投げて飛び出す私は、きっと社会通念のないバカだ。しかし、好きなことに情熱を注ぎ込むのには、体力も脳みそもいる。だからこそ、手に入る幸せを実感できる。生きてる(Live)の実感。「生きてる実感がない」とか生っちょろいガキが、世界を壊す前に、楽しいー!って拳上げてるバカの方が幸せでしょ。人間、幸せな方が勝ちなんだわ。


 こんなに長々となんでこんなこと書いてきたかというと、このライブで私は、意味もなく「勝った!」と感じたことを伝えたかったから。はっきり言って具体的に何にも勝ってないんだけど、目の前に転がる馬鹿ロックンロールに身体を揺らし、叫びながら拳を突き上げた瞬間の充実感は、カラダの隅々までエネルギーをみなぎらせ、クソったれな今に光を見いだせる。


 この日、3回目のアンコールは「世界の終わり」。壊れかけた世界に鳴り響くミッシェルのWorld endは、まるで世界のはじまりのようにまっすぐに波及する。何度でも言う、音楽には世界を、人を救うパワーがある。目の前の単純な幸せを実感してみろ!    text by 浦山


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