そのDMは夏にやってきた。ジョンレノンの事などよく知らなかったけれど、大好きな吉井和哉をはじめ、そうそうたるメンバーに惹かれて埼玉まで出かける決心をした。そのイベントを心待ちにしていた九9のある日、世界を巻き込むあのいたましい事件が起こってしまった。また戦争が始はじまってしまった。アメリカと仲の良い日本もテロの標的になるんじゃないか、そんな時に首都圏で何万人も人が集まり、しかもジョン・レノン、そこへ向かうのは楽しみ以上に不安になった。


 しかし一歩会場へ入ればいつものコンサート前の雰囲気にあふれてた。埼玉ドームは大阪城ホールと同規模くらいか。当然超満員だ。テロを恐れて来ないことにした人などほとんどいないんだろうな。


 ほぼ定刻にコンサートははじまった。ジョンの曲が流れ、大きなスクリーンに年代を追ってジョンとヨーコの姿が何枚も映し出される。 その幕(スクリーン)がおりて吉井の第一声でコンサートははじまった。そこにいたのは吉井と押葉伸吾、ゆずの3組。音楽祭の始まりを高らかに告げる一曲だった。この日を心待ちにしていたオーディエンスの興奮も最高潮。そして1人目の押葉伸吾からリレー形式で、1アーティスト3〜4曲の演奏で進んでいく。


 押葉さんはジョンを愛するが故の完璧なコピーで、ゆずはゆずらしいシンプルでストレートな『歌』で、白井貴子はおとなの女性らしい会場を母性で包み込むような優しさで、和田唱くんはジョンを音楽を誰よりも愛してんだぞとばかりに暴れる子供のように、奥田民生は『本当によい曲』を相変わらずのマイペースさで、どのアーティストもジョンへの愛とリスペクトに溢れたとても良い演奏を聴かせてくれた。 この和田→奥田のリレーの際に見せ場がひとつ。世間で似てる似てると言われていたこの奥田和田の兄弟デュオが見れた(聴けた)のだ!本当の兄弟のように民生になつく唱くんの姿がほほえましかった。


 ここでリンゴスターとビートルズのプロデューサーだった人から、このイベントに向けてのコメントが流れた。改めてすごいイベントなんだなと実感。司会が赤坂泰彦ってのもなんかすごい。なんかわからんけどメジャーな感じ。そつのない進行で後半へと続く。


 そしてこの日一番心待ちにしてた人が多かったであろう吉井和哉登場。この日最大の歓声が起こる。イエローモンキー活動休止後初の生.吉井のアクト。そしてステージの吉井はロックスターらしい堂々たるパフォーマンスでジョンの歌を聴かせてくれた。何より歌うことが楽しそうで気持ちよさそうだった。そのためかMCも長くなり、巻きも入ったほど。そんな姿を見て、ファンとしてはたまらなく安心した。彼が戻って来る日も遠くないよね。


 次に、ムッシュかまやつ。同世代を生きたであろう彼は友達の曲を演奏するような軽快さで聴かせてくれた。そして小林武史&ミスチル。シンセサイザーの音が暗闇に鳴り響き今までとは全く違った雰囲気で会場は包まれた。宇宙空間を浮遊してるような母の胎内のような、この日一番の壮大な長い長い1曲。このユニットはこの一曲だけだった。もっと聴きたかったのに。隣にすわってたミスチルファンも嘆いてた。


 再び赤坂登場。全アーティストがステージに一同に会す。その豪華さといったらっ!ふだんチケット入手困難な何万人規模のアーティストが一列に並んで、しかも一緒に歌ってくれる!もうこの光景を目の当たりにできただけで埼玉まで、はるばる来たかいがあるというものだ。衛生中継で今回のテロ事件で来日できなかったオノヨーコがスクリーンに映し出され、 今回のイベントに向けての想い、ジョンへの想いが語られた。彼女の言葉の最後は『イマジン』の最後の部分。なんだか泣きそうになった。


 イベント決定時には予想されなかったこんな状況に、世界がなってしまった今だからこそ、ジョンの詞や言葉で繰り返される「この世で一番大切なものは愛と平和」だということが、普段平和ボケしている私とみんなの心に強く響いたと思う。そしてアーティスト一人一人と言葉を交わし、2曲みんなと歌って『みんな愛してます!』と繰り返しオノヨーコは消えた。


 最後の一曲をみんなで合唱し3時間にわたる長いイベントは終了。愛と優しさに溢れた素晴らしいイベントだったと思う。みんな笑顔で、想いはひとつ。戦争なんてなくなればいい。みんながそう願えば叶わないことなんてない。そんなみんなの心を一つにする音楽ってやっぱり素晴らしい!!私も想い続けるからね。 text by 豊山

 
 
ジョンレノン音楽祭
 2001
 ジョン・レノン
 スーパーライヴ

 2001.10.8.Tue

 埼玉スーパーアリーナ


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