ゆんみとサミーのことがペット倶楽部で紹介された記事です。



 

「ゆんみとサミー」の世界 かわはらしづか

 最初にゆんみに会ったのは2004年3月のこと。会社に入って間もないゆんみが挨拶に回ってきたときに、ゆんみの隣に寄り添っているサミーに目が釘付けになった。「この子ベルジアン・シープドッグ・グロネンダールだ!」。わたしの注目は、ゆんみを通り越してまずサミーへ行ったのだった。(ごめん、ゆんみ!)珍しいグロネンダールでしかも聴導犬、いろいろ話を聞きたくていてもたってもいられず、でも、ちょっと待てよ、どうやってコミュニケーションをとったらいいのかがわからない。とりあえずメールを出してみた。「サミーはグロネンダールではないですか?」。その返事が「そのとおり、よく当てましたね!」。これを皮切りに、わたしとゆんみとのおしゃべりが始まった。

ゆんみ色

 ほぼ同じだけの人生を歩んできたのに、こんなにいろいろ積み上げてきた上に立っている人はそうは出会わない。詳細は彼女の著書「聾のゆんみがピーターウーマン・浦島花子になる」と今年発刊になる3冊目の著書に譲るが、東映映画への出演、バスケットボール、陸上の選手としての活躍、ホノルルマラソンへの挑戦、出版された2冊の著書、建設会社への就職を経て、アメリカのギャローデット大学へ単身留学、そのまま大学院へも進学して、就職もして合計7年半のアメリカ滞在、サミーの聴導犬としての認定に向けた訓練、2003年末に帰国後の東映の映画出演、各種講演会開催・・・・。
ゆんみは注目されればされるほど嬉しい、輝ける人みたいで、忙しい中でもやめようとか弱音を吐くどころか、ますます元気いっぱいになるのでこちらも一緒についつい頑張れてしまうという人である。


ゆんみは、こんな人と一言で描写するのが難しい、ぴったり枠にはまらない人である。ゆんみはいろいろな社会を駆け抜けてきたから、ゆんみの中には、聾社会、健聴社会、日本社会、アメリカ社会、人社会、犬社会、芸能社会、一般社会、いろいろなカルチャーのかけらが存在していて、それがゆんみ色を織り成しているのだと思う。
それでもあえて一言で言うとすれば、オープンな人だと思う。「なんでも聞いてね。」というゆんみの言葉は本心で社交辞令ではないことはすぐ分かる。話をする相手との間に壁をつくらず、素直にしゃべる。簡単にできそうで意外とできないことを、普通にやってのける。話している相手の方も最初はそのオープンさに戸惑うくらいだけど、すぐにつられて素直な会話になっていくから不思議である。
冒頭のとおり、最初わたしはゆんみとのコミュニケーションをどうやって??と迷ったのだが、この迷いはおそらく聾者と最初にコミュニケーションをとったときに抱いたことがおありの方もあるのではないかと思う。実際は考えるほど複雑ではなく、わたしの心配をよそに、ゆんみは垣根をいとも簡単に飛び越えてくれた。聾家族育ちのゆんみは相手によってコミュニケーションツールを自在に使い分け、こちらの口の動きを読んで自分は声を出して話したり、手話で話したり、手振り身振りが出たりと、難しく考えることはなかった。
「HEART TO HEARTだよ」。通じさせようという心があれば、自然とコミュニケーションがとれる。言葉ができても手話ができても、本当に通じ合いたいという気持ちがなければ薄っぺらい会話になってしまう。ゆんみの心はオープンで、いつでもだれでも腹を割って話をしたいと思えば、簡単にコミュニケーションをとることができた。
 「なんでも聞いてね。」というゆんみの言葉を素直に信じてわたしはかなり突っ込んだこともいろいろ聞いてきたが、そのいずれにも、気を悪くすることもなく答えてくれたので、わたしにとっては特に聾文化や手話に関しては目からうろこな日々が続いた。

ゆんみは相手に対してだけではなく、自分に対してもオープンである。つまり、人やまわりに流されないで自分の声に素直に従う。社会に楯突いているのではなく、ただ、自分自身が納得することをしているまで。行動しないで後悔するより、とにかく行動してみるタイプである。先に述べたゆんみがやってきたひとつひとつのことはそのままゆんみの自信につながり、その積み重ねで今のゆんみがあるのだと思う。



ゆんみとサミー

 サミーはゆんみの聴導犬である。そう書いてしまうと、聴覚障害者とそれをサポートする犬、という関係に尽きてしまいそうだが、このふたりの関係はそんな簡単なものではない。サミーは将来聴導犬に育てたいと思ってゆんみがアメリカでショードッグハンドラーから譲り受けた犬で、日本に一時帰国した際に日本での聴導犬訓練を受けて第16号の聴導犬認定を受けた。
さらに身体障害者補助犬法施行後に改めて第2号の聴導犬として認定を受けた。日本とアメリカ行ったり来たりの生活をすべて共にしているゆんみとサミーは単なる飼主と犬または聴導犬「ユーザー」と聴導犬という関係を超えている。
ゆんみはひとりでも十分ゆんみだったと思うものの、サミーというパートナーを得てさらにパワーアップしたのだと思う。

サミーはゆんみにとっては娘同然の存在である一方、聴導犬というパートナーでもある。わたしは、聴導犬として実際に知り合ったのはサミーが最初で、その仕事ぶりには目を見張るものがあった。サミーは日常の中であふれる音の中から、ゆんみに必要な音だけをお知らせする。たとえば、会社にいるときに、電話が鳴っても、「ゆんみには電話は必要がないから」、サミーは知らんぷり。でも、家にいるときには、電話がなるとそれはファックスかもしれないから、サミーは様子を見て、知らせる。目覚まし時計が鳴っても、ゆんみが起きていれば、「ゆんみを起こす必要がないから」知らんぷり。
サミーの仕事は音を聞き、必要であるかどうかを判断し、必要な音だけを知らせる、というものだった。子犬の頃からゆんみの背中を見て育ったサミーには、どの音がゆんみに必要で、どの音が関係ないかは、一目瞭然(一聴瞭然?)なのだろう。仕事モードのサミーはいつでも自信たっぷりなのだ。

 サミーが聴導犬としてゆんみのお供をすることのもうひとつ大きな役割は、健聴者とのコミュニケーションの橋渡しをしてくれること。サミーは聴導犬としての仕事中はオレンジ色のケープを着ている。真っ黒い大きな犬がオレンジのケープを身にまとっている姿は遠目からでも目立ち、道ゆく人やお店の人の目にとまりやすく、「あれ、犬だ」、「聴導犬って書いてある」、「じゃあこの人は聴覚障害者なんだな」、「じゃあ筆談用に紙でも用意しようかな」、と、迎えうつ側も心構えができる。サミーがいなかったときは、聴覚障害は目に見えないので、話しかけて、聞き取ってもらえない、相手の口がよく読めない、気持ちよくコミュニケーションがとれない、といった状況に陥ることも多々あったのだそうだ。

 日本では、犬が人と一緒に社会で出歩くということがまだまだ日常的ではない。サミーのような仕事犬が歩くだけでも物珍しがられてしまう。
急に触る人、犬だ犬だと騒ぐ人、車や自転車の多い道、雑踏、ラッシュアワー、サミーにはストレスの多い日本での生活であると思う。そんな中、ゆんみとサミーは、引きこもるのではなく、打って出ている。本を書き、ホームページを公開し、聴導犬の講演会の依頼を受ければ茨城、千葉、東京、休み返上で出かけていく。講演に聴きに来てくれたお客さんには、ご自身の心にとどめず、家族の方、お友達、多くの方に今日聞いた話を伝えて下さいと普及に努める。
2004年に開かれた7回の講演会にみえた方は、約400人。ゆんみとサミーが講演会を開かなかったら、いまだに聴導犬についてご存じなかったかもしれないと思えば、その意味が大きいと思う。現状が良くないなら、嘆くのではなくより良い方向へ動かす、メッセージを発信していく、それがゆんみ流。
 ゆんみとサミーはこれからも、あちらこちらに出没し、メッセージを発信し続ける。そんな彼女と話してみたいと思った人は、難しく考えることはない、ただ、彼女に向かって心を開けばいいのだ。HEART TO HEARTな会話を彼女はいつでも歓迎するだろう。ためしに、ゆんみとサミーのホームページの扉をひらいてみることをオススメしたい。


Yummy's&Sammy'sStory
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