微生物と関った人々のお話

              微生物! その顕微鏡的な生きものと関った人々のお話

「うーん これはすごい!」

オランダのレーウエンフック(Antonie van Leeunhoek,1632-1723)は自作の単レンズ顕微鏡を覗きながらうなった。
時は1680年。
「世の淑女たちに、ひとかけらの歯のカスのなかには、全世界の人口よりも多くの小さな生物が生きていると話したら、一体どんなことになるのだろうか?」

私たちは微生物と関りあいながら生きている。
「ヨーグルト・チーズ・納豆・酢・醤油・味噌・パン・キノコ・日本酒・ワイン・ビール・ぬかづけ・かすづけ・イカの塩辛・かつお節 これら食品の共通点はな〜んだ?」
そう 全て微生物が作った発酵食品なのだ。
数千年前から人類は微生物が生み出したものを活用しながら生きてきた。
が、実はその存在を知ったのはつい最近のことだ。
ではそれら微生物と人々との関りあいの歴史をおさらいしてみよう。

45億年前に地球が誕生し、その10億年後に生物が誕生。
それ以降今日にいたるまで微生物はせっせと活動を続けている。
人類の中で微生物をはじめて発見したのは冒頭のレーウエンフックだった。
彼は独特の構造を持つ単レンズ顕微鏡を数百個も作り、自然界の多くの物を克明に観察する。
この顕微鏡は大体50倍から300倍の拡大率で明瞭な像をとらえるという精度の高いものだった。
しかしながら彼のすばらしさは、この顕微鏡の発明よりも、それを使ってさまざまなものを発見したその観察力にあった、といった方が正しい。

「しかしだな。この小さな生き物は一体どこから発生するのだろうか。」
微生物の発見は、科学者たちに別の興味を抱かせる。
「きっと空気中に種または卵のような親にあたる物体が浮遊していて、それがもとになって発生するのに違いない。」
「とんでもない。自然に湧きだしているのですよ。神の御心によって。」

「有親発生説」と親なしでも生物が生じるという概念をもった「自然発生説」が対立する。
なんとこの2つの説の論争はその後200年間−19世紀の中頃まで−にも及ぶのである。
筆者曰く、「なんてったて 目に見えないでしょ。だから証明するのが大変なんですよ。」

実はイタリアの医師レディ(Francesco Redi,1629-1697)は、1675年に行った実験
−2つの容器の中に牛肉を入れておき、一方は蓋をせずにハエが自由にやってきて卵を生める状態にし、他方は蓋をしてハエが来ても牛肉とは接触できないようにしておいた実験で、ハエが肉に卵を生みつけることができないようにすれば決してウジは発生しない−
によりウジは牛肉から自然発生するという「自然発生説」を否定した。

しかし微生物が有親発生することを証明するには、ウジの発生実験のように目に見える条件下で行えないというハンディキャップがあった。
そのため自然発生説派は、微細な生命体の発生は自然発生によるという考え方を曲げなかったのである。
この微生物発生の問題はフランスの化学者パスツール(Louis Pasteur,1822-1895)
の実験によって、終止符が打たれた。時に1861年のことである.「白鳥の首フラスコ」による実験である。

「フラスコのなかには肉汁が入っています。フラスコの上から、首がS字状に管が伸びていて空気中につながっています。液と空気は管によって接触しているにも関らず、空気中の微生物はS字状の首のところに沈積してしまいます。つまり微生物は歩いて餌のあるところまで行くことができません。ですので肉汁には微生物は繁殖しないんです。」
「そしてですね。このS字状の首の根元を切れば、肉汁には直ちに微生物が充満しますね。ほら。」
そして彼はこの実験報告書の最後にこう書いた。
「すべての生物は生物から発生する」
かくして「自然発生説」は打ち破られたのである。

さる学者が呟く、「しかしなぜ糖を放置しておけばアルコールになるのだろうか?」
ある疑問は解決しても、違った疑問は解決しない。
「それは酵母が増殖するときに引き起こされるのですよ。」
ドイツのシュワン(Schwann)が生物学的発酵説を唱える。
「なにをおっしゃいますやら。アルコール発酵は酵母内に含まれている含窒素化合物である“発酵素”の働きで、糖が分解してアルコールができるのですよ。」
ドイツのリービヒ(V.Liebig)は、発酵は生物の生活作用とは無関係であるとする化学的発酵説を唱えた。
いつの世も対立する意見はあるのである。

さらに解説すると、当時、生物の力を借りなければつくりだすことが不可能と思われてた有機物が、次々に合成され始めたのである。
ヴエーラーによる尿素の合成などがその好例である。
そういう流れの中で、糖がアルコールと炭酸ガスに変化する「化学的な過程」にわざわざ生物のはたらきを持ち込むのは科学の後退ではないかというのが当時の科学者の一般的な考えであった。


その結末は1897年、ドイツのブフナーによる予期せぬ出来事で解明される。
その日彼は、酵母菌体から薬理作用をもつ物質を抽出する目的で乳鉢に砂と酵母を入れ磨り潰していた。
ゴリゴリゴリ
「よしよしこれで酵母は完全につぶれたな。では保存のために糖を加えておこう。」
その翌日 研究所に入った彼はわが目を疑う。
「なななんと 盛んに泡が出ているぞ。アルコール発酵しているではないか。生命がなく無細胞でもアルコール発酵が起こる。これはえらいことになった!」
彼はその現象の解明に没頭する。
「わかったぞ。磨り潰した酵母の細胞内からでた酵素が引き起こしているのだ。ということは、化学的触媒が起因であるな。」

とはいっても、酵母がなければ酵素は生み出されないのだから、両説引き分けともいえる。

この酵素パワーの確認は、家庭で簡単に実験することができる。
もち米とこうじを使った甘酒つくりだ。
とはいっても糖からアルコールを造る話とは違い、でんぷんから糖を作る実験ではあるが。
もち米200gをよく洗って米の量の3倍の水をたしておかゆを炊く。
炊き上がったらきり混ぜて80℃くらいまで冷ます。
こうじ400gをよくもみほぐしおかゆの中に入れて手早くかき混ぜる。
55〜60℃を半日から1日保つと出来上がりだ。
酵母が生きているには苦しい温度だが、酵素にはうれしい温度で、もち米のでんぷんを糖に分解させる。
「糖化」と呼ばれる。
ちなみにこの甘酒は、酒かすをお湯で薄めて砂糖を入れたものとは違い、飲んでも酔わないですよ。

さて酵母自体は1680年に発見されたのだが、ある特定の酵母を分離し、その酵母だけを培養するに至るにはまたもや長い道のりがあった。
そしてその酵母純粋培養はなんとビールから始まったのだ。
時は1882年。デンマークのハンゼンにより、ビール酵母の純粋分離は初めて成功した。
200年の道のりだ。
それまでは、ビール造りは経験と勘と出たとこ勝負であったのだ。

純粋培養により、ビールのみならず多くの発酵食品はその品質を安定させ、かつ大量生産できるようになったのである。先人に感謝!

 参考文献
  醸造の事典       野白 喜久雄 他編集    朝倉書店
  発   酵       小泉 武雄著        中公新書
  パスツール       (財)日本学校保険会 監修  大塚製薬株式会社 発行
  はっこう博士大かつやく 末松 茂孝著        さ・え・ら書房
  酒つくり自由化宣言   稲積忠彦・笹野好太郎著   社団法人 農山漁村文化協会
  ビール酵母読本               くめ・クオリティ・プロダクツ(株)
  


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