読感03年05月

03/05/01読了『慈善週間または七大元素』
 これを読んだといえるには、相当な覚悟が必要でしょう。私は覚悟がないので「みた」というだ
けにとどめ置きたく思います。といいつつ…
 わかりやすい表現として「作者は、作品の生誕に観客として立ちあい、作品の展開の諸段階
を、無関心に、あるいは情熱的に追ってゆくことができる」(p.411)をあげることができる。しか
し、これとても「シュルレアリスムとは何か?人がこの問いにこたえるべきなんらかの定義を期
待したとしても、運動の継続するかぎり肩すかしを食わされるつづけるだろう。」(p.417)とある
ごとく、これがシュルレアリスムだと考えたものはすぐに現実世界に固定されてしまい、超現実
性から乖離することになるのであろう。外的世界と内的世界の境界領域を常に自由に行き来
する方法としてのシュルレアリスムは、みるべきものではなく、まさに「両目のない眼、百頭女
は秘密を守る」(マックス エルンスト(著)巌谷 國士(訳)『百頭女』河出書房新社、1996/3/
4、p.305-321)。
03/05/04読了『平成14年度版男女共同参画白書のあらまし』
 男女の賃金格差の分析は男女共同参画とはいえない現在の社会状況を端的に示している。
一般労働者に対してパート労働者の所定内給与は49.1%という数字を、勤務時間や職種が
考慮されていないということで納得してよいのでしょうか?
 子供に期待する性格の分析に対して、「女の子には情緒的な特性を望む傾向にあることがう
かがわれる」という結論を第16図「子どもに期待する性格特性」からは導けないのではないか
と考える。
03/05/04読了『爆笑問題の今を生きる!』
 おもしろかった(それだけかい!)。
03/05/17読了『青二才の頃 回想の’70年代』
 一気によんでしまった。
03/5/24読了『日本語の乱れ』
 ひさしぶりの稚水という印象。とくに後半に収録されている「絵のない絵日記」「2001年宇宙
の恥」は、シュールでよい。また、「宮事記」のパスティーシュさとアイロニィは痛快さがある。
03/5/25読了『素顔の日銀副総裁日記』
 なんだかとりとめない話の集合であるのは、みなし公務員としての守秘義務が原因している
のであろうか。そんなだだの捨石や埋め草のような印象はぬぐえないけれども、ところどころ光
るものはあるというのも確かである。
 「『外部から藤原というバーバリアン(野蛮人)、ないしはエイリアン(異星人)がやってきて勝
手にやった仕業だと言って、この際思い切って改革を進めてほしい』と励ました。価値紊乱者
の光栄である。」との文章はとくに印象に残った。
03/5/25読了『百頭女』
 コラージュという様式をサブカルチャーの一種と捉えていた自分とすこし違う自分というものを
形成する効果がなにがしかあったといえるでせう。それでもこの本を読んだとはいえないので
す。
 「第一、この彫像がほんとうにデペイゼされ別の環境に移されるためには、それはまず型ど
おりの場所で型どおりの生を送っているのでなければならない、…」(p14-15)という緒言にお
けるブルトンの指摘は、芸術の様式へ大きな示唆であろう。また、「(画家たちはなんと哀れな
のだろう、想像力によってせいぜいひとつかふたつの頭しかつくることができないとは−それに
小説家たちときたら!そこではたがいに似かよっていないものは人間だけである)」(p16)とい
うアイロニィも十分な奥行きをもっている。
 この文庫によせられている窪田般彌の文章でも指摘されているように、百頭女とは「百頭女
をじっと見つめるだけで、わしにはあれが誰なのかわかる。だが君が説明をもとめればそれだ
けで、わしにはその答えがわからなくなってしまう」(p329)ものなのである。
 …と、かたどおりの感想文をならべ…。
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